乗り慣れた車の後部座席から、流れていく景色を眺めるのはいつもの事だ。
けれど今日だけは違っていた。いや、恭也を連れ去った日と今日の二回、真智は隣にイレギュラーを引き連れている。

あの日は全てを捨てた恭也を。
そして今日は、自ら堕ちてきた愚かな須田を、世界から切り離されたようなあの部屋へ閉じ込めに行くのだ。

「あの…会長」
「やめろ。もう会長じゃねーよ」
「…そうでしたね」

か細い返答に、真智はかけようとしていた問いを飲み込んだ。
この期に及んで「本当にいいんですか」と聞くには、何もかもが手遅れだと気付いたからだ。

「…本当に、恭也に会えるんだな?」
「恐らく」
「恐らく…?」
「僕もあの日から会っていません。一ヶ月経つまで来てはいけないと言われました」
「お前の兄が恭也を閉じ込めてるからだろ」
「それは…どうでしょう」

何度か訪れた事は敢えて言わなかった。意味のない事を言うだけの義務も気力もなかったからだ。

「どういう意味だ?」
「来るなと仰ったのが志藤様だからです。兄が閉じ込めているのか、志藤様が閉じ籠っているのかは…僕にはわかりません」

しかし期日の今日行けば何かしらの対応があるのは確実だ。せめて開いた扉の中で、二人が息をしていればいい。真智の祈りはそれだけだった。

「…そうか」

須田はそれ以上何も言わず俯いた。少し伸びた前髪に隠された表情はきっと見れたものじゃないから、気にするだけ無駄だろう。

「本当に…誰一人救えないなんて、最高ですよね」

自らを嘲笑う真智に、同意するような笑い声が一瞬響いて消えた。

+++

つつがなく車はマンションに着き、真智と須田を残して去って行った。
帰り道にあの車の後部座席に座るのは真智一人だ。それでも馴染みの運転手は、何も聞かず真智をまた学園へ送り届けるのだろう。

もし彼らを、真智らを、全力でもって正そうとしてくれる大人が傍に居たのなら、他の結末は選べただろうか。
いいやまた余計な事ばかり考えている。真智は浮かんだたらればを必死に振りほどき、エントランスへ足を向ける。

黙って着いてくる須田と共にエレベーターに乗り、最上階で降りた。
二人の間に親しげな会話などあるはずもなく、重苦しい期待だけが満ちている。
その息苦しさは、目も眩むようなこの高さから一思いに落ちれば解放されるかなと、真智を惑わす程だった。

「ここです」

目的の扉の前で、真智は指紋認証を行ってインターフォンを押した。
あの日以前は全ての鍵を真智の人差し指で開錠出来たはずなのに、あの日以降はどうしてか頑丈なチェーンに阻まれてしまっている。最先端のセキュリティを張り巡らせたにも関わらず、アナログの名残のようなチェーンに家主が弾かれるだなんて笑い種だと真智は思う。

「はーい」
「っ、恭也さん!」

暫くして、今までうんともすんとも言わなかった扉が開き、ニコニコと恭也が顔を出した。
真智は慌てて扉を引き、一ヶ月ぶりの先輩の名を呼ぶ。背後で息をのむ音が聞こえたが、それどころではなかった。

「真智…と、かいちょー?」
「恭也さん、大丈夫ですか、どうして今まで出てくれなかったんですか、兄は、椎名はっ」
「どーどー、真智おちつこ?ね?かいちょも、そろそろ息しないと死んじゃうよー?」

焦る真智とは裏腹に、恭也はどこまでも『いつも通り』にヘラリと笑い、ドアを大きく開いて中へと二人を誘う。

おかしい。どうして、いつも通りなのだろうか。
なんならあの夜よりずっと朗らかな恭也の姿に、真智は違和感を禁じ得なかった。確かにあの日、真智は恭也の笑顔を見納めるのだと覚悟したはずなのに、どうして。

「恭也…ほん、とうに…恭也か…?」

戸惑い動けない真智の後ろから、須田がフラりと前へ出た。
ドアを開く恭也に近付いた須田は、確かめるように震える手をその輪郭に伸ばす。

ーーしかし、恭也は自分に触れようとしたその手を、何の躊躇いもなくあっさりと、いっそ無慈悲なまでに軽く叩き落とした。眩しいくらいの笑顔のままで。

「…っ恭也…?」
「俺本物だよー?てゆーかぁ、誰が触っていーって言ったの?」
「え?」
「何となくだけど、真智が連れて来たって事はかいちょーも俺が好きにしていーんでしょ?」

ニコニコ、ニコニコ。
恭也は真智に目を向け、可愛らしく小首を傾げる。
思わず頷いた真智は、内心だけで悲鳴を上げた。

(違う、そもそもこの人はもう、僕の知ってる志藤様じゃない…!)

真智の尊敬し支えたいと思った恭也は、こんな風に誰かの手を叩き落としたりしない。
人を物のように扱う言葉を吐いたりしない。底冷えのする冷たい色を、瞳の奥に宿してなどいなかった。

「し、志藤、様」
「んー?もー、俺の事は名前で呼んでねーって言ったじゃん」
「は、はい。恭也さん…兄は、中に…?」

嫌な予感しかしなかった。
傷付かないようにと恭也をこの檻に閉じ込めたつもりでいたけれど、真智は前提を間違えていたのかもしれない。
兄が心配で仕方がない。そんな顔を隠せない真智に、恭也はまたヘラリと笑った。

「あーうん、椎名?椎名ならねーちょっと苛めすぎちゃってさー部屋で泣いてるよ?」

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