真智がハッとした時には既に、強かに打ち付けた背中が鈍い痛みを訴えていた。

「いっ…!」

受け身をする間も与えられず、物凄い力で引き倒されたせいで後頭部からも痛みが這い上がる。
チカチカと星が飛ぶ視界を閉ざし、痛みが引いてから真智は目を開けた。

「な、に…するんですか、会長!」

あんなに頼りない風体で、痩けた身体で、どうしてこんな無体を働かれると思えるだろう。
真智の胸ぐらを掴んで床に転ばせ、その腰を跨いだ須田は死んだ目に怒りを宿らせて真智を見下ろしていた。

「ノコノコと俺の前に姿を見せるからだろ…」
「は?僕はただ、あなたが…」
「お前が!…お前が恭也を連れ去ったくせに!俺から取り上げたくせに!白々しい事ばっか言うんじゃねー!」
「…っ…!?」

ガツ、と頬に衝撃が走った事は理解出来た。
しかしそれが須田の拳がもたらしたものだと自覚するのは、真智には耐えがたかった。

少しの偉そうな態度も許せる程品行方正な生徒の代表が、怒りに任せて暴力を振るったなどと思いたくなかった。けれど、真智の頬とその内側は拳の余韻でしっかりとひりついている。

「わかってんだぞ、全部!全部全部!大人しそうな顔して、騙してたんだろ…!」
「ち…ちが、違います、僕は…っ」
「あの日学園を出た記録はお前ただ一人だった!俺が何も知らないと思うな!」

鬼気迫る表情が真上から真智を見下している。眦から幾筋も涙を溢しながら。
悲痛な怒声はそれでも段々掠れていき、最後には嗚咽が落ちた。

「わかって、るのに、わかってるのに…!」
「会長…」
「どうしてこれだけ調べたのに、恭也の居場所がわからないんだ…っ」

途方に暮れたように、須田が顔を歪めた。胸ぐらを掴んだ手は力を失い、両手で真智のシャツをすがるように握りしめている。
ボロリボロリと落ちてきた滴が、もう渇いていた真智の頬や首筋をしとどに濡らしていった。

須田がいくら探せども、恭也は見つからない。真智は確信していた。何故なら。

「どうして、金本椎名が死んだ事になってるんだよ…!」

どこをどう辿ろうと、金本椎名はこの世に存在しないのだから。

「返せ、恭也を返せ、早く、今すぐ、俺に恭也を…っ」
「…早く、忘れてください」
「無理に決まってるだろう!もう一ヶ月も恭也を見てない、触ってない、声を聞いてない、頭がおかしくなりそうだ…!」

艶のない髪を掻き乱した須田は、もどかしげに身体を揺らした。
その様を見て真智は悟る。もう既に、須田も戻れない場所まで来てしまっているのだ。真智が何を言ったところで意味がないというのは、椎名の時嫌という程身に染みている。

「僕は…どうしたら、あなたを救えるんでしょうか」

迷子の子供みたいな気持ちだった。右に行けばいいのか左に行けばいいのか、自分がどこにいるのかもわからない。
見通しのつかない道ばかりが伸びているかと思えば、その全てが行き止まりのような気もした。

「恭也…恭也、恭也、恭也にあいたい、会わせてくれ、頼むよ、金本、恭也に」

項垂れて泣く須田を黙って見上げ、真智は唇を震わせた。

二人の様子を未だ確認出来てはいないが、少なくとも椎名に関しては恭也がいるならそれで問題ないだろう。
だが、須田は?須田はどうなるのだろう。

もう元の正しい須田に戻れはしない。ならば阿笠に沈められるしかないのだろうか。本当に?
いや、そんな事はないはずだ。どうせ壊れていくのならば、いっそーー。

「金本…」

は、と真智は須田を見た。
何かが掴めそうだった思考が成りを潜めてしまう。

「何ですか」
「お、願い、します。俺はどうなっても構わないから…せめて、恭也の近くに、居させて、ください」
「…っ」
「お願いします、どうか、なぁ…お願いします」

気力を振り絞っているかのように、須田は真智の上から降りて床に額を擦り付けた。
形振り構わない姿は酷く惨めで仕方ない。
真智は慌てて起き上がり須田の肩に手をかけようとして、一瞬躊躇った。

「どう、なってもいいとは…?」
「あぁ、どうなっても構わない。何もかも捨てていい、恭也さえ在れば何でもいい、どんな形でも、何でも、恭也さえいれば」

盲目的に恭也だけを求める男の、なんと滑稽な。
今まで見てきたもの全てが壊れたと錯覚しそうな虚無感が、真智の手を動かした。

「ダメなんですね。あなたも、兄も、…僕もきっと、手遅れだった」
「金本…?」
「最初からこうなると決まっていたのなら、何も誰も悪くないはずですよね。何がいけなかったんでしょうか…出会った事?それとも、あの人に好意を抱いた事?」

真智の手が須田の肩を掴んだ。頼りなく見えていたそこは、それでも高校生らしからぬ体格の良さを残している。

須田は泣き濡れた顔で真智を見上げ、薄く微笑んでみせた。

「そんなわかりきった事を、聞くな」
「会長には答えがありますか?」

真智も同じように微笑んでみた。
救おうとか、そんなものは烏滸がましかった。土台無理な話なのだ。恭也の周りには壊れかけの人間しか集まらないから、助けようがないのだろう。

須田は真智の無邪気な問いに、何もかもを諦めた顔で言った。

「欲しがった報いだ。手に入ると思った罰だ」

須田の言葉は、真智の胸にストンと落ちた。

そうか、罰なのか。ならばこうなったのは必然で、おかしなところなどない。
だからこれから須田の辿るであろう末路は、罰で、そして幸福だ。

「なら…あなたも、行きましょうか、一緒に。志藤様以外何もいらないのであれば、ここに全て、捨て置いて」

真智は須田を抱き締めた。
心の底から、彼に同情していた。

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