それは僅かな興味と、膨れ上がる糾弾心だった。



窓の外がオレンジを隠し、しっかり闇を広げる頃。
役員を先に帰した俺は、一人生徒会室に残って仕事の調整をしていた。

紙の擦れる音。ペンが文字を綴る音。パソコンの稼働音。そんな静寂を破ったのは、扉の開く音だった。

ばん、と扉を開いた田所は乱れた服のまま堂々と入室してくる。いつものつまらなそうな顔で、情事の匂いを色濃く残して。

このメンバーでの役員生活はもうそろそろ二ヶ月を迎えるけれど、重要且つ俺と二本柱になるはずのポジションを与えられている田所の事は、未だよく理解出来ていない。

それは偏にこいつ自体が他人を踏み込ませないのと、少なくとも俺たちにとって一部を嫌悪してしまうような性格だからだ。

原因は志藤恭也という男で、生徒会会計を担当している。
そいつはいつもニコニコしていて、誰にでも分け隔てなく優しく、つい手をかけてやりたくなるほどぼんやりしている。背も俺とそれほど変わらないしネコには見えないが、元々の顔の作りか性格由来か、愛嬌があって中々可愛いのだ。それはもう、あの不良と呼ばれる和野がデレるくらいには。

「あっれ。須田だけ?」
「何時だと思ってんだてめー。今さら来て何の仕事が出来るって?」
「は?しないけど」

じゃあ何しに来たんだよ。そんな目を向ければ、田所は淡々とデスクから書類を出して纏め始めた。
隣同士の俺には見えたけれど、あれは明日提出のものではなかったか。思わず剣呑さを含んだ溜め息を吐けば、田所はくいっと真面目そうな顔を凶悪に歪めた。

「うざいんだけど。何?溜め息」
「明日提出の書類がなんで出来上がってねーんだよ」
「忘れてたからだけど」
「今からやっても間に合わねーだろ」
「徹夜すれば平気。会計が」
「はぁ!?」

しれっと答えてきたのはいいが、内容が信じられない。
束と言っても差し支えない書類を纏め、パソコンに打ち込み、前年度のデータと比較し、また出力する。
会計や書記とは違う、副会長だからこその難しくてややこしい仕事だ。誰もその仕事を忘れる前提で出してる訳じゃない。つまり、一晩で仕上げる想定なんてしていない、そんな量だ。

「ふざけんな、あんだけ恭也に押し付けといて、まだやらすってのか!」
「え、そうだけど。何、文句ある?」
「文句しかねーよ!あいつ毎晩徹夜だろ!」

見ればわかる。最初はともかくこの一ヶ月まともに仕事しないこいつの肩代わりで、恭也はいつも眠そうだし、元より細身だったシルエットが不安定になってる。その上毎日、飛び交う田所の噂を見たり聞いたりしてるんだ。平気そうに笑っていても、こいつを好きだと言った恭也が平気なはずなんかない。精神的に追い詰められているのは、見ていればわかった。

「そうなの?知らない」
「てめ…っ、恭也を何だと思ってんだ!」
「え?お人形だけど。お前こそなんなの?恭也恭也恭也って、あの人形が好きなの?」

く、と嘲笑う唇が歪な形を作る。
俺はどの言葉にどんな返事をすればいいのか、燃えるような怒りと腹立ちの中で考えていた。

「付き合ってんだろ、お前…何でそんな風当たりキツいんだよ」
「は?そんな訳ないじゃん?捨ててないだけ」
「は…?」
「須田にはない?何となく手元に置いてる便利な小物とか」

何の声も出なかった。
俺の中の常識は一切通用せず、正しさが分解されていく。
激しい警鐘が鳴り響いた。なんとかしてやらないととか、正してやらないととか、そんな偽善は吹っ飛んだのだ。

瞬きすら出来ない俺に、田所はそれでも歌うように言った。

「俺の言う事なんでも聞くんだ。しかも重い事言わないし、何してもニコニコしてるし、完璧だろ?」

嫌だ、と思った。殴りたい、とも思った。怒りが脳天を突き抜けて、大きな穴を開けていく。
どうしてこんな扱いを、恭也は受けているんだろう。恭也は、こんなおざなりに人形扱いされ、それでも真摯にこいつだけを見ているのに。

「しかもさ、知ってる?会計あんな顔して、童貞なんだよ。後ろは俺がつまみ食いしたけど。超貴重だろ?」
「…抱いたのか」
「途中でやめた。処女とか知らなくてさ、無茶したんだけど」
「やめろ、」
「さすがに萎えるよ、血みどろは無理なんだよね。それからやってない。あ、でも口は上手いよ仕込んだから」

最近させてないな、今夜にでも呼ぼうかな。

「…っいい加減にしやがれ!」

酷い言いぐさだ。そう思った瞬間、隣の男の胸ぐらを掴んでいた。無意識だった。腹が立った。
恭也が哀れでーー俺ならこんな目に合わせないのに、と。

怒りで真っ赤な視界の中、田所の瞳がにんまりと細くなる。余裕の滲み出た表情だった。対してその瞳に映る俺の、なんと必死な事。

「仕事やらすのやめろとか、優しくしてやれとか。なんなの?そんなに言うなら、須田が俺の代わりにやってやれば?」
「お前…っ」
「須田さぁ、あの人形が欲しいんでしょ」
「…っ」

愕然とした。
自分でも驚いたのだ。無自覚だった。そんなつもりじゃなかったはずだった。
心配で目で追うようになった。そしたら余計心配になって、なんとかしてやりたくなって、ーーそうだ。

「悪いか…!」

そんな奴じゃなくて、俺を見ろよって、思っていた。

「恭也が幸せならいい。けど、このままじゃいつか後悔する。見たくねーよ、俺は、そんなの」
「ヒーローになりたいんだ?エゴイストだな。あれはいつも幸せそうなのに」
「てめーが騙してんだろうがよ!」
「どうだろうね?どっちでもいいけどさ。そう言えば最近、あれもお前になついてるし。まぁでも、お前には無理だよ。あれは俺しか見えてない、それこそ最初から」
「じゃあ捨てろよ、いらないって捨てろ!」
「そしたら拾うからって?はっ、馬鹿だろお前」

面白い茶番をどうも。そう言って、田所は楽しくて仕方がないと言いたげに笑みを浮かべた。

「可愛いでしょ、俺の人形。あげないよ、お前には」

するりと離れていった憎い男は、高らかに笑い、そして俺に中指を立てて見せた。

「とれるもんならとってみな?」

(それは所有者の笑みだった)

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