素晴らしいネットワークを持ったこの食えない後輩が、予測だけで動く訳ないと感じていた。

ここに来たのは、須田が恭也の選んだ人間じゃないから。
そして、その上で俺が使えるかどうか見極めようとしている。
そう気付いた瞬間、阿笠に対しての無関心が嫌悪に変わった。今なら、須田の方がましだと思える。

「まぁね。そこまでわかってるなら話が早い」
「俺は行かないよ。須田をけしかけてくれば?」
「無理だね。そろそろ恭也先輩にも落ち着いてもらわないと、俺も困るし」

大体お前は何の権利があって恭也を動かそうとしてるんだ。
そう問いかけたい気持ちを堪え、俺は可愛いげのない後輩を睨んだ。

「狸じじいに逃げ場取られそうなんでしょ?なら、うちに来ない?」
「…は?」

阿笠は意味不明な事を言い出した。
俺は何も返せず、その真意を読もうと瞳の奥を探る。

けれど、またニコリと笑われその努力は泡と帰した。

「副会長の頭と狡猾さは、うちでも生きるはずだよ。家族の事も手を打ってあげる。身動き出来ない表にいるより、自由な裏の方が息しやすいんじゃない?」
「…だから、恭也を連れてこい、そう言いたいんだろ」
「ご名答。二人まとめて引き取るよ?…第一、善人の振りして表で好き勝手やる狸じじいみたいなのが、俺嫌いなんだよね。所詮じじいなんだから、放っておいても死ぬし。部下にまで飼われるつもり?」

悪人は悪人らしく日陰で生きて死ねばいいのにね。

阿笠のその呟きには大賛成。だけど、俺はその誘いに頷く訳にはいかなかった。

「飼い主が変わったところで、俺にメリットないからね。寝言は寝て言えよ」
「わお。気の強い犬は嫌いじゃないよ。でも頭の悪い自己犠牲は大嫌い」
「勝手に言ってろ。ついでにどっか行けば?目障りなんだけど」

この話は終わりだ。
俺は変わらない。恭也は須田に囲われて、相互依存でもなんでもいいから幸せになればいい。それが一番のハッピーエンドだ。

阿笠から顔を背けて再び腕を顔に乗せれば、視界は閉ざされる。
そこに無理矢理家族の顔を描いてみようとしたのに、何故かはっきりと思い出せなかった。

「まぁ、そう言わずに考えてみれば?返事はいつでもいいよ」
「……」
「とにかく、恭也先輩を見つけられるのは副会長だけなんだから、拾いに行ってきてよ。早くしないと手遅れになるよ」
「……」
「何だかんだ言って、大事に守ってきたくせに」
「なんのことだか」
「知らないとは言わせないよ?」

つい言葉を返したのは、恐らく失敗だった。
阿笠は楽しそうに笑い、忌々しい事を言い始める。

「会計に副会長の仕事が全部出来る訳ないじゃんね。本当にややこしい仕事は、よく見ればあんたの筆跡だった。あぁ、元々不眠症っぽかった恭也先輩が一人で寝れるように仕事押し付けて疲れさせてたんだよね。仕事しないくせに生徒会室来てさ、こっそり顔見てた。あんたが蹴って怪我させるのは、決まって恭也先輩の顔色が悪い時だよ。誰も気付かないくらいの顔色に気付くのは、そんだけ見てたからでしょ。保健室に行ってほしかったんでしょ。ねぇ、違う?」
「妄想癖が酷いな。病院行けば?」
「そこまでして守ってきた恭也先輩を、自棄になって手放すのってどうなの?いいの?恭也先輩にとっても、副会長にとっても、お互いしか拠り所がなかったくせに」

不器用の病が拗れすぎでしょ、病院行けば?

阿笠はそう宣って、偉そうに鼻を鳴らす。
俺は黙ったまま、ぼんやりと阿笠の言った事を反復していた。

嫌いだった。憎かった。
だけど、少しずつ、ほんの少しずつ情が沸いて。
いつしか、あの笑顔を向けられるのがくすぐったく感じるようになって、それで。

その想いに応えられない自分に、絶望したんだ。

「…こう、するしか…なかった」
「本当に?」
「当たり前だろ。一生飼い殺される俺に、何が出来る。ペット風情が、幸せにするなんて言える訳ない。出来ないんだから。だったらせめて、」

せめて、俺を忘れて心置きなく、幸せに。

切実な祈りは、ついぞ口に出来なかった。
幾度も想像した姿だ。俺じゃない誰かの隣で、あの柔らかい笑顔を浮かべる。素直に怒って泣いて、喜んで、伸び伸びと生きる。
ひとりぼっちじゃないと気付いたなら、恭也はそうやって生きていける。

陥れようと近付いた俺の事は、早く忘れた方がいい。
張り裂けそうな胸の痛みは、気のせいで終わる。そうして生きてきたから。

「…本当は、嫌なんでしょ」
「そんな訳ない」
「嘘だね。自分の顔を鏡でしか見られないのは難儀だ。あんたはあんたの浮かべてる表情がどれだけ未練たらしいか知らないんだから」
「目も悪いんだ。阿笠、いいとこないね?」
「面倒くさいなぁ。さっさと認めろよ」

途端に低い声を出した阿笠は、無害な雰囲気を捨て去った。
威圧されている。自覚した瞬間強張る身体は、所詮表で生きてきた証だ。
ホンモノには、敵わない。

「あんまグダグダ言ってると、じじいより先にうちがあんたらを潰すよ。飼い殺されるよりいいでしょ?」
「俺はともかく、家族は関係ないだろ。それとも何?阿笠は無関係の一般市民に害を為す危ない人?」
「あんたの家族なんてどうでもいいからね。守られてる事に気付かない人間がどうなろうと、俺は痛くも痒くもない」
「矛盾してる。それは恭也も変わらない」
「あの人のぶっ飛び具合は気に入ってるからいいの。面白いし。でも壊れてもらっちゃ困るんだ」

阿笠は暫くぶりに扉から身体を起こし、ツカツカと近寄ってきた。
そして動かない俺の胸ぐらを掴み、見た目よりずっと筋肉のある腕で引き寄せる。

ぐ、と近付いた瞳に映る俺は、やはり疲れきった顔をしていた。

そして囁く。
甘い甘い誘惑を、悪魔の声色で。

「もう、いいじゃん。捨てちゃいなよ、いらないもの全部」

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