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「…なぁ、恭也」
数時間の再会の後、俺と恭也は見知らぬ住宅街を並んで歩いていた。
夕方を越えた時間帯のせいで、人通りは殆どない。
その代わり赤い夕陽を追うようにやってきた夜に、ポツポツと家々の明かりが灯り始めていた。
「ん…?」
彼の実家を出た瞬間から黙りこんでいた恭也は、か細い声で首を傾げる。
まるで、未だ夢を見ているようなあやふやさを纏っていた。
「よかったのかよ。断って」
「帰ってこい、て、言われた事…?」
「あぁ」
ーー恭也の両親の事を調べてくれ、と叔父に頼んでから、欲しかった情報はすぐ俺の元へ入った。
田所に捨てられたくなくてあそこまで思い詰めた原因を突き詰めれば、恭也が親と親友に拒絶された過去が見えてくる。
それならばと、俺はまず両親が本当に恭也を捨てたのかを知ろうとした。
すれ違っていたなら、そこを明らかにすればいい。
要は一人じゃないと恭也が気付いてくれれば、田所一人に入れ込む度合いが異常なんだとわかってくれるはずだと思ったからだ。
そして、その思惑は順番こそ違ったものの、うまく作用してくれた。
「うん…俺は、よかったかなって…思ってるよ」
「なんでだよ。お前を捨てた訳じゃなかったって、わかったのに」
そう。恭也の両親は、彼をいらなくなった訳じゃなかった。
大の大人が二人大泣きしながら、恭也を抱き締めて告げたのは、ただかけ違えたボタンの話だった。
「そーだね。俺が一人にならないよーに、どうしても兄弟を作りたかったって、言ってくれた」
高齢出産のリスクよりも、いつか一人置いて逝く長男に、家族を残したくて必死だったそうだ。
そのせいで神経を磨り減らし、他でもない恭也の寂しさに気付かなかったのは彼らの過失だろう。
しかし、その奥にはちゃんと、恭也への愛情が確かにあった。
「それにしても…じいちゃんが会わせないようにしてたってのは、ビックリしたかなー」
「とんだ狸じじいらしいな」
「はは。俺には優しいだけだったから、わかんなーい」
いつもより朗らかに笑いながら、恭也は繋いだ手をフラフラと揺らした。
無邪気な力加減が、彼の機嫌を如実に表しているみたいだ。
「…嬉しかったんだよ」
「ん」
「会いたかった、戻ってきてって言ってくれた事…ほんとーに」
「知ってる」
探していた。会いたかった。恭也さえよければ、もう一度四人で暮らしたい。
恭也の両親の主張は切実で、俺はやはりな、と思った。
恭也は頷くだろう。だって、ずっと求めていたものだから。
それなのに、恭也は膝の上に6歳になったばかりの『妹』を乗せたまま、柔らかく笑って首を横に振った。
『俺は、学園をやめないよ。あそこには、俺を必要としてくれる人がいるんだ』
そう言ってこっそり繋いだ手に力を込める恭也を、その場で抱き締めなかった自分の根性だけは褒めてやりたい。
家族よりーー俺を選んでくれるとは、思ってなかったから。
「でもね、俺はまだ学園に居たいよ。勉強も仕事もあそこで…薫の傍で、したいんだ」
「恭也…」
「ねー、だめかな?俺やっぱ、重いかな。卒業しても薫の傍に居ちゃだめかな。…家族より、薫がいいって言ったら、うざくなる…?」
立ち止まった恭也が、一歩進んだ俺の手を引いてじっと見つめてくる 。
俺は止まりそうな息を、そうっと夜の街に逃がした。
「でも…ちょっとだけ、薫の事信じれてないのも、ほんとだよ」
「…恭也」
「ごめんね。一緒に死んでやるって言ってくれたのに、俺に傍に居ろって言ってくれたのに、俺…こんなだから」
溜め息が出る。けれど、内訳は喜びに満ちている。
親に何を言われても、俺の傍に居てほしい。
そう言わなかったのは、一種の賭けだった。
家族を選んだのなら、ここで手離してやるつもりだった。
甘やかして共に過ごす役目は、俺でなくていいという事だから。
しかし、俺を選んだのなら。
共に学園に帰る道を取ったのならば、恭也をもう離してはやれない。
「…なら、」
卒業しても就職しても、世間に何を言われようと、誰に見放されようと。
どんなに苦しかろうと、俺も恭也を選ぼう。そう思っていた。
「約束をしよう」
「え?」
「俺とお前だけの約束。無条件に俺が傍に居るって、信じられないなら」
不安げに瞳を揺らした恭也は、唇を引き結んでコクリと頷いた。
それを見届けて、内ポケットから用意していたものを取り出す。
二本あるそれを恭也の前に差し出すと、彼はこれ以上ないという程大きく目を見開いた。
「こ、れ…」
「お前の持ってたやつは、俺が持つ。だからこれは…新しいカッターは、恭也のもんだ」
「なんで…?」
血に汚れたカッターと真新しいものを見比べて、恭也は顔を歪めた。
「捨てたんじゃなかったの?」
「捨てられなかった。恭也を…支えてきたのは、このカッターだったんだろ」
綺麗なままのカッターから、わざと短くした刃を出して恭也に渡す。いつか来るかもしれないたった一度だけの為に、俺が折り捨てた残りの刃だ。
受け取った恭也は、じっと光る刃を見つめていた。
「一緒に死ぬって言ったのに俺が離れていこうとしたら、それ使え」
「…薫、のは…何に使うの?」
「お前が勝手に俺から離れていこうとしたら使う」
弾かれたように顔を上げた恭也に微笑みかける。
ーー俺を、選んでくれたなら。
離れていくのは、許してやれそうにない。
「どこにもいくな。俺の傍に居ろ。どこまでも着いて来い。俺と違う道は歩かせない」
「薫、でも」
「今ならまだ、家族の元に帰してやれる。…どうする?」
繋いでいた手を離し、ヒラリと二人の間に差し出した。
恭也は唖然とそれを見つめーーやがて、ボロリと涙を溢す。
「いいの?」
「いい。お前がどっかに行っちまうくらいなら、命ごと俺をくれてやる」
水の玉がポロポロ溢れる目尻に指の背を滑らせると、その手に俺より細いそれが絡まった。
ぎゅっと寄せた眉。外灯を受けた表情は、息苦しそうに、幸せそうに笑う。
「うん、約束、する…だから、ちゃんと、一緒に死んでね…っ」
「当たり前だ」
傍に居られないくらいなら、この手で。
初めて重ねた唇は、涙で塩辛かった。
ーー本当に重いのは、どちらだったろう。
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