「そのうちね…?好き、とか、よくわかんなくなって…だから、かいちょーが保健室で言ったのは、きっと正解なんだ」

田所にもう恋をしていない。
その言葉を、恭也は噛み締めるように呟いた。
まるで拒絶していた事実を口にするように、辛そうだった。

「好き、なんて、いらないって思ってたんだよ。いつか形を変えてしまう感情なんて、信じられないって。俺だって、おんなじなのにね」
「…変わらない想いだって、あるだろ」
「どこに…?」

すがるような目だ。
恭也は、俺に助けを求めていた。

「ここ、だよ」

俺は血塗れの恭也の手を、自分の胸に押し当てた。
恭也は笑う。しとどに目尻を濡らし、それでも俺と目を合わせて。

「見えないよ、かいちょー」
「…それでいいんだ。見えたらきっと、恭也は俺が嫌いになるかもしんねーだろ」
「どーして?」
「お前に傍に居てほしくて、ドロドロしてるから」

胸にあった手が、俺の頬に触れた。
濡れた感触がそこを彼の色に染めていく。

「変な人」
「うっせー」

思いの外情けない声で笑った俺の額に、恭也が自分のそれを合わせた。
ぼやける程の至近距離で、また一筋涙の跡が作られていく。

恭也は大きな溜め息を吐いた。

「田所くんの理想になりたかった」
「そうか」
「だけど、いらないって言われて、たくさん考えて…やっと、わかったんだ」
「うん」

頬に添えられた手に自分の手を重ね合わせた。
優しく促してやれば、相変わらず泣きながらも、恭也は必死に言葉を紡ぐ。

「俺、まだ痛いし、苦しいよ。悲しいとも思うし、一人になるのは怖い。それにね、涙も血も止まらなくって、そしたら…」
「うん?」
「ほんとに、出来損ないの人間なんだなって…それなのに、かいちょーと食べるご飯、美味しいよ。一緒に寝るの、好きだよ。傍にいないの、寂しいよ」
「恭也…」
「お人形みたいになりたいって思うのは、俺が人間を辞めも、なれもしないからだね」

ーーわかってたんだよ、とうの昔に。

最後に大きな涙の粒を頬に伝わせて、恭也は綺麗に微笑んだ。

「ねぇ、かいちょーはいつまで俺に、傍に居ろよって言ってくれる?」
「いつまでも」
「…いつまでも?」
「そうだ。信用できねーなら、ちゃんと傍に居て見張ってろよ。お前がどれだけ疑っても、俺はお前を好きにしかなれないから」

掴んで上げたままだった恭也の左手を引き寄せて、無茶苦茶に掻き抱いた。

「俺、重いよー?」
「知ってる」
「かいちょが居ないと、ダメな人になるよ」
「もうなってんだろ」
「…取り扱い注意って、田所くんが言ってた」
「そうだな」
「捨てる、時は…」
「一緒に死んでやる」

捨てない、と言っても恭也は信じないだろうから、と思った時にはスルリとそう言葉が飛び出していた。
腕の中の身体が驚きでか、大袈裟に肩を跳ねさせる。

「一緒に、死んでやるから。…安心して寝てろ」

恭也が顔を埋めた肩が、じわりと暖かく湿っていく。
俺は強く彼を抱き締めて、サラサラの髪を何度も撫でた。

もう間違えないように。
もう、この弱すぎる人を一人だと勘違いさせないように。

+++

部屋の扉を開けると、いつものように似非敬語で会釈した和野は、持っていた書類を適当に俺に押し付け恭也の元へ向かう。

恭也の心情に変化をもたらしたあの日から、今日で丁度一週間が経っていた。

「あ、和野くんだー」
「うっす。どうすか。具合」
「うん、ちょー元気!なのにねー、薫が軟禁すんのー」
「須田最低だな」
「でしょー?和野くんもっと言って!俺生徒会室行きたいよー」

リビングで会計の仕事をしていた恭也は、和野の背中に隠れる。
俺は受け取った書類を腕に、乾いた笑いを溢した。

「そうだな。そろそろいい頃だろ」
「え!ほんとー!?」
「あぁ。和野、いつも留守番してくれてありがとな。明日は恭也連れて生徒会室行くって、阿笠にも伝えとけ」
「やっとかよ。マジ阿笠と二人きりの生徒会室地獄だったから」

げんなりした和野は、しきりに背後の恭也を撫でては癒されているみたいだった。恭也は恭也で嬉しそう。
端から見ているとアニマルセラピーに見えるのは、俺だけだろうか。

「やったー!薫の電卓ちょう使いにくいの。生徒会室のが一番慣れてるしホッとするよー」
「そうかよ」
「じゃ、絶対明日は来てくださいよ。そうじゃねぇとそろそろ血祭りっすから」
「え、だめだよー和野くん、阿笠くん虐めちゃー」
「や、血祭りになんの多分俺っす」
「…?」

和野はあははとらしくない笑いを溢しながら、俺の部屋から出て行った。
恭也はしきりに首を傾げているが、阿笠のバックグラウンドを知らないのなら教える必要もない。恭也の中では、明るくて可愛い後輩のようだから。

「薫ー、和野くん、血祭りなの?」
「さぁ?あいつら仲良いし、そういうコミュニケーションじゃねーの」
「そっかー」

俺の腕から追加の書類を受け取った恭也は、ふぅんと納得して数字に目を向ける。
俺は彼の隣に腰かけて、真剣な横顔を引き寄せた。

「んー?どったの?」
「いや…」
「あれれ、なんか歯切れ悪いー。やましいことでもあるのかな?ほらほら、言ってごらんー」

恭也は書類をキーボードの上に放り、身体を俺へと向けて肩に手を置いた。
言葉とは裏腹に心配そうな目が、俺の奥を探ろうと覗きこんでくる。

恭也は、今も疑っている。
俺が離れていかないか。自分を捨てやしないか。あの日言った事が、嘘に、過去にならないかと。

「…恭也、出掛けねーか」

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