14
変化とは、俺にとっては不必要なものだった。
それなのに訪れてしまう。
唐突に、意思なんて確かめてくれもせず、濁流のように抗う暇もなく俺を流し去る。
どこに、いけばいいんだろう。
一人ぼっちで生きていけない俺は、誰の傍で、根を張ればいいんだろう。
+++
今日は朝からずっと、会長がそわそわしていた。
しきりに携帯電話を見ては、何回も俺に断って電話をしにいく。眉をしかめた怖い顔で小さな画面を睨む時間も多かった。
よくわかんないけど、すごく落ち着かない。
副会長に言われて笑うのをやめた俺はきっと置物としても役に立たないはずなのに、それでも変わらず抱き締めてくれる人。そんな人が、傍に居ない時間が増えただけで俺は不安を感じていた。
(そんなこと思っちゃ、だめなのになぁ…)
戒めても嗜めても、頭と心と身体が全く別の反応をするのだ。気持ち悪くて、自分が何になりたいのかもわからない。わかる術もない。
だから俺は、会長にどんどん甘えていく自覚だけを持っていた。
「かいちょー?…また、電話?」
昼休みになっても携帯を握りしめたまま教室の扉を睨む会長に、俺はそう声をかけた。
いつもなら真っ先に俺の席に来て、行くぞと食堂に引っ張って行ってくれるのに動く気配がないからだ。
食べたい欲求とか空腹な訳じゃない。ただ、会長が動かないと俺はどうしたらいいかすらわからない。
一度全ての感情を捨てたつもりだったのに、会長の傍にいると捨てたそれらが俺を責める。そして、支配する。
俺たちは消えちゃいない。
だってお前はまだーーだろ。
だから会長に、そんな我が儘ばかり言うんだろ。
その通りだ。俺は、副会長との約束が会長に適用されないと言った彼の優しい言葉に、全力で寄り掛かっていた。
「あぁ…いや、今日はここで食おう」
「そーなの?」
「ん。もうすぐ…ほら、来た」
会長は携帯を気にするそぶりを見せつつも、俺を見上げて笑ってくれた。そして扉に目をやり、苦笑を浮かべる。
つられて俺も扉を見ると、そこには後輩三人がいくつかの袋を持って立っていた。
「和野くんに阿笠くんにたいちょー?え、なんで?」
和野くんと阿笠くんはともかく、俺の親衛隊隊長の姿がそこにあるのはとても違和感があった。
三人が同じ学年である事は知っていても、繋がりが全く見えなかったのだ。
「俺が呼んだ。最近俺が恭也に張り付いてるから、お前んとこの隊長が寂しそうだって阿笠に聞いてな」
「阿笠くんが?」
「そ。同じクラスなんだと。おーい、遠慮しねーで入ってこい」
前半は俺に向けて、後半は扉付近にいる後輩に向けて会長は声を張り上げた。
その間に、後輩の来訪に興味津々なクラスメイトも食堂やその他の憩いの場所へ散っていき、いつしか教室は俺たちだけになっていた。
「うっす。炭水化物担当の和野っす」
「僕は肉野菜担当です。恭也先輩こんにちは!」
「え、えと、僕はお魚とドリンク担当です…志藤様、お久しぶりです」
三人はそれぞれ持った袋を会長の机に広げ、示し合わせたような文句を告げた。
キョトンとする俺を他所に、会長は手を叩いて笑っている。
「んだそれ、お前ら何かのトリオにでもなるつもりかよ?」
「なんねーよ。阿笠が、登場する時はすべからず台詞がいるとか言うから乗ってやっただけ」
「は?僕そんな事言ってないし!それは隊長君が言ったんですよ会長」
「え、え?僕!?違うよ、和野君だよね!?え!?」
「あーもういい、わかった、わかったからそこらの机寄せてこい」
何このまとまりのなさ。そして結局誰が言い出しっぺなんだろう。
俺が呆れていると、会長はパンパン手を叩いて指示を飛ばす。
やがて出来上がった簡易テーブルにそれぞれつき、降って沸いたような珍メンバーでの昼食が始まった。
「きょーや先輩、これ食う?握ったの俺っすけど」
「え。和野くんが作ったのー?すごいね」
「いやいや恭也先輩、和野の握り飯とか食べたらお腹壊しますよ。こいつトイレの後、手を洗わないタイプです」
「てめぇ阿笠の分際で何ネガキャンしてんだ!つか普通に洗うわ!」
「和野君と阿笠君は連れションする仲なんだ…あ、志藤様、これ今朝獲れたサバを〆たものなんです。如何ですか?」
「連れションしねぇよ!むしろ生徒会室でしか関わりねぇよ!」
「ひっ!」
「あー和野がか弱い男子生徒虐めてるー泣かしてるーこれだから不良は嫌なんだよね」
「な、ん、だ、と!てめぇもうぜぇ!びびんな!」
顔を真っ赤にして怒る和野くんを、阿笠くんは平然とからかっている。
それは生徒会室でも見慣れた光景だったけど、そこに隊長が加わってよりややこしい事になってるみたいだ。主に和野くんが。
「きょーや先輩!助けてくださいっす!」
「和野もさ、いい加減恭也先輩にばっか助け求めんのやめれば?ねぇ恭也先輩」
「志藤様、いつもこんな感じなんですか?お怪我はありませんか?」
「てめぇ、大人しいフリして随分な事言うじゃねぇか、ちと表出ろや…!」
「ご、ごめんね和野君、食事中だから…」
「食った後でもいいわ!」
「和野、めっちゃ行儀いいんだね。見直したよ」
「阿笠うぜぇ…っ!!」
は、と突いて出たものが何か、俺は一瞬わからなかった。
空気だ。空気が出た。どこから?俺の口からだ。
なぜ?ーー面白かったからだ。
「きょーや先輩…?」
固まった三人は、落ちそうな程目をかっぴろげて俺を見つめていた。
行儀がいいんだか悪いんだか、和野くんは立ち上がって阿笠くんの胸ぐらに手を伸ばしたまま中腰で口をポカンと開けている。
「ん、なーに?…ふはっ」
ポロリと隊長の箸先から落ちたお刺身が、取り皿の中の唐揚げに乗っかった。
肉オン魚。そんな文字が頭に浮かんで、そしたら我慢出来なくて。
「あははっ、もー、皆お行儀わるすぎだよー?ふふ、は、あはは…!」
久しぶりに動いた表情筋が、ひきつっているように思えた。次から次へと沸き起こる笑いが止まらなくて、俺は隣の会長の肩に額を押し付ける。
「…ってめぇらのせいで、きょーや先輩に恥ずかしいとこ見られただろ!」
「あーそれ責任転嫁っていうんだよ知ってる?」
「あ、わ、っ…ふぇ、う、和野君もっと面白い事して!」
「おまっ、泣くか笑うか命令するかどれかひとつにしろややこしいわ!」
途端、ガヤガヤを再開させた三人の声が耳に届き、俺はプルプルする腹筋を押さえて更に会長に寄りかかる。
すると会長は俺の肩に腕を回して強く引き寄せ、そっと頭頂部に口付けた。
「楽しいな、恭也」
うん。そーだねかいちょー。
そう返したつもりだったけど、うまく言えなかった。
見上げた会長がびっくりするくらい優しく微笑んでいたから、胸が一杯になったんだ。
俺の名前を呼ぶ声が、いくつもそこにはあった。
そう気付いた瞬間、俺は目の前が晴れていくような、清々しさを感じていた。
(ふくかいちょーとも、こんな風に話せたらよかったのかなぁ)
傍に置いて、と願うあまり、
俺は彼との距離を詰める努力をした事があっただろうか。
会長のように気遣って、和野くんのように一生懸命、阿笠くんみたいに冷静に、たいちょーみたいに素直に、接した事があっただろうか。
(…や、なかったんだ。思い付きも、しなかった)
遠ざかる彼にすがるのは約束に反するからと、一歩も動いた事はない。
すがるのはいけないのかもしれない。けれど…勝手に隣に並ぼうと努力するのは、俺の自由だったんじゃないだろうか?
(会いたいな…あの人は今、どこにいるんだろう)
もう一度会って、話をしてみたい。
そうしたら俺は、自分の気持ちの奥の奥にある本音が、わかる気がした。
+++
その夜、お風呂から出てきた会長はいつもみたく俺の髪を楽しそうに乾かしてから、何やら出かける準備を始めた。
「どっか、行くの…?」
「あぁ。ちょっとな。すぐ戻ってくるから、先に寝てろ」
ちょっと、ってどれくらいかな。
そんな不安が顔に出ていたのか、会長は嬉しそうに笑ってわしゃわしゃと俺の頭を両手でかき回す。
「何、寂しい?」
「…?うん…寂しい、のかも?」
「疑問系かよ。まぁ、いい傾向だ。俺絶好調すぎねえ?」
「何が?」
「内緒」
人差し指を唇に当てた悪戯っ子みたいな会長は、癖のように俺のおでこにキスして身体を離す。
こんな風にキスされると、いつも心臓がバクバクと駆け足になる事を彼は知らない。
「かいちょ、内緒ばっかー」
「その内な。全部まとめて教えてやるよ。あ、部屋に誰か来ても開けんなよ?」
「阿笠くんが泣いて訪ねてきたら開けていー?」
「ダメ。それはもう阿笠じゃねーから」
きっぱり言い切った会長は、一体阿笠くんを何だと思ってるんだろう。
今度それとなく聞いてみよう、と決めて、玄関に向かう会長に手を振る。ここで着いていってお見送りでもしようものなら、寝室に放り込まれるのはわかっていたからだ。
「いってらっしゃーい」
「ん。いってきます。待っててな」
「うん」
整った顔を惜しげもなく緩ませて、会長は部屋を出て行った。
しん、と静まり返った部屋には、時計の針の音と俺の服がソファと擦れる音しかない。
「……ちょっとがどれくらいか、聞くの忘れたー…」
無理矢理捻り出した声が、余韻もなくさっと消えていく。
随分久しぶりに一人きりになった俺は、妙な心細さを感じて玄関に身体を向けたままソファの背もたれに体重をかけた。
かち、こち、かち、こち。
時計の秒針の音が、やけにゆっくりだ。
もっと早く動いてくれたなら、それだけ早く会長が帰ってきてくれるかもしれないのに。
「帰ってくる、よね…?」
口にしてから、失敗だったと気付く。
単に心細かっただけなのに、不安が音となり脳に届いたせいで、どんどん怖くなってきたのだ。
慌てて今日の昼食会で、面白かった後輩のやり取りを思い返してみる。
しかし結局、その明るさと今の寂しさを対比させて余計落ち着かなくなっただけだった。
「…かいちょ。かおる…」
呼んでくれると俺は嬉しい。
そう言ってくれた名を口ずさんだら、思わず立ち上がっていた。傍にあった会長の部屋着パーカーを羽織、ぱたぱたと玄関へ向かう。
大丈夫。追いかけて、寂しくなったと言っても、会長はきっと怒らない。俺の事を嫌いにならない。言葉だけでなく、彼は自身の行動全てで俺にそう教えてくれた。だから大丈夫。
言い聞かせて部屋を出る。
どこにいったか皆目見当がつかないけど、何故か俺は会長に追い付ける自信があった。
「…?」
なんとなくで道を選び、寮の一階にある談話室に差し掛かった時、人の話し声が聞こえて俺は立ち止まった。
扉は少し開いていて、中から漏れた光が反対側の壁に筋を作っている。
会長かな、と俺は近づき、隙間から中を覗きこんでーー思わぬ人物と目が合い、息を止めた。
「田所お前、どういうつもりだよ。あいつにあんな暴言吐いて消えて、やっと笑えるようになった頃に戻ってきやがって」
「何か問題でもある?俺、ここの生徒なんだけど。戻ってくるのは当たり前じゃん」
冷たい表情で話す副会長は、俺と目が合ってるにも関わらずその事に触れない。
会長は苛立たしげに、部屋では見た事ない顔で、俺に背を向けて副会長に詰め寄っていた。
「確かに、問題はねーな。お前が居ようが居まいが、俺は恭也を人に戻す。何度でもだ」
「ふーん。うまい事つけこめたんだ?頑張るねーお疲れさま?」
「ふざけんな。…聞いたぞ、お前と恭也の約束事」
待って、と口を開いた時、副会長の視線が鋭く突き刺さる。
まるで俺が声を出すのを制しているような痛さに、思わず口をつぐんだ。
「あんな約束して、恭也をどうしたかったんだよ。お前の立場も、恭也との関係も調べさせてもらった。…憎かったのか?あいつが」
「気色悪い事すんね?必死過ぎて笑っちゃいそうなんだけど」
「茶化すな。お前、そうやってこれからも生きていくつもりか?無理だってわかってんだろ」
会長が何の話をしているのか、俺にはわからなかった。
ただ、これ以上聞いてはいけないと誰かが囁く。知ってはいけないと、全部壊れてしまうと、脆弱な予感がちらついた。
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。須田に理解は出来ないし、してほしくもない。少なくとも俺は、この世に憎くないものなんて一つもないね。お前ら見てると吐き気がする。誰が好きだの、誰を守りたいだの、誰かの為だのって、茶番もたいがいにしろよ」
「田所…お前、呼び戻されてる間に何があったんだよ」
「は?お優しい須田会長は、憎いはずの俺にまで同情すんの?…はは、さいっこーに馬鹿馬鹿しいよ!」
副会長は口許にだけ笑みを浮かべ、わざとらしい笑い声を高らかに奏でた。
それは、俺の知らない副会長の姿だった。いつも余裕を湛えた掴み所のない男は、そこにいない。
「全部どうでもよくなっただけ。だからね、とっても面白い茶番を見せてくれた須田に、欲しい言葉をあげるよ」
「んだと…?」
「もう終わったから、あの会計、須田にあげる」
ひゅ、と乾いた息が喉を切り裂いて肺を膨らませた。
扉に添えた手がカタカタと震え出す。見開いた目は閉じ方がわからなくて、縮こまった心臓が弱々しく鼓動を打った。
「てめぇ…っ、恭也はものじゃねーだろ…!」
「なんで怒るの?欲しかったんでしょ、あのお人形が。皆奇特だね、あんな重い人形を進んで手に入れたがる」
「いい加減に、」
「って事であれは今日から須田の持ち物だから。あ、でも取り扱い注意だよ。捨てる時は、俺みたいに次の持ち主決めてからね」
ニヤリ、と副会長の唇が歪む。
一度も外れなかった視線は、俺の積み上げてきたアイデンティティーを嘲笑っていた。
「早く処分してやれば、もう捨てられる事もなくて、お前も楽だったかもね。ごめんねーー恭也?」
「…っ!?恭也!?」
ゆったりとした声が、俺の存在を綺麗に否定していく。
青ざめた会長がこちらを振り返るのが、スローモーションに見えた。
助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。助けて。
お願い、誰か助けてください。
身が張り裂けて、壊れてしまうから。
捨てられる恐怖で、潰れてしまうから。
(だれかって、だれ?)
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