13


休み時間に携帯を開くと、そこには待ち望んでいた人からのメールがあった。

「恭也、ちょっと電話してくる。ここに居ろよ」
「うん」

大人しく次の授業の準備をしている恭也を一撫でし、ざわつく教室を出る。
人気のない、それでいて教室の扉が見える位置まで移動し、俺はメールの差出人に電話をかけた。

「…もしもし。わりぃ、授業だった。ついでに時間ねーから、手短に頼む」

相手は俺の叔父で、『調べもの』が得意な人だ。金は腐るほど持っているから、道楽だと言って俺の頼み事を聞いてくれる。

(ま、和野の時も世話になったから、その内なんかお礼しねーとだけど)

以前テーマパークを貸し切って遊んでみたいとぼやいていたから、その遊びに付き合うのもいいかもしれない。勿論叔父のポケットマネーで、だが。

「へぇ。それで?今どんな状況?」

俺の頼んだ情報をしっかり集めてくれた叔父の言葉を聞きながら、思わず頬が緩んでしまう。願ってもない状況だ。俺の思惑通りに事が運んでいるなら、恭也を田所から離せるのも時間の問題だろう。

「じゃ、詳細はメールで頼む。そろそろ次の授業が始まるから。あ?わかってるって。うまくいったら、可愛い甥っ子が増えるって。あぁ、ははっ、俺と違ってな」

じゃあな、とおざなりな挨拶を最後に通話を終え、教室へ向かう。
いい情報だった。あとは、時期を見て実行に移すだけ。

動く、と決めた俺はもう止まらない。それが恭也の為ならば、何も苦にならないからだ。

早足で廊下をかけて、扉の中へ足を踏み入れる。
ばち、とかち合った視線は、恭也がずっと扉を見つめていた事を表していた。

雛鳥への刷り込みは、順調に上書きされつつある。

「ただいま」
「ん。おかえりー」

未だ、彼に笑顔は戻っていないけれど。

+++

「…なんすか、これ」
「あ?」

いつものように生徒会室で仕事をしている最中、背後で立ち止まった和野が怪訝そうにパソコンを覗きこんできた。

「こら、見んな」

液晶画面の中には、職員にしかアクセス権限のない学園生徒の詳細プロフィールが表示されている。しかし和野はそんなものどうでもいいと思う人種だが、それが恭也のものとなれば話は変わってくるらしい。

「これ、え、」
「和野、仕事しろよ!」
「や、だって須田が」
「いいからさっさと席に戻れって!ウロウロしてたって議事録は出来てくんないんだよ」
「わーってるよ!ったく…マジうざさ」

和野は阿笠に急き立てられ、チラチラ俺と恭也を交互に見つつ席に戻る。
そして隣の阿笠に何かを言われ、眉間に皺を寄せてガリガリと頭を掻いた。

「……」
「……」

チラリと俺を見た阿笠の目が、貸しひとつですよ、と言っているように見えるのは幻覚だろうか。是非そうであってほしい。が、初っぱなから阿笠の裏の顔ばかり見ている俺には、それで正解だということがわかっていた。
ああ見えて和野も気に入ってる阿笠が、俺のしている事を知らせたくないのも同様に。

そう言えばこの間コンビニで話した時、和野もカリカリしていると言っていたから、恐らくこれ以上奴を巻き込みたくないのだろう。

一先ずデータベースの中から欲しいものだけ抜き取り、画面を閉じる。
そして俺は、副会長席に座らせた恭也へ顔を向けた。

「恭也、そろそろ休憩にするか」

相変わらずぼんやりしているが、仕事だけは卒なくこなしてしまうのが恭也だ。
俺は一度も手を止めない彼と時計の針を見て、じっとパソコンを見つめる目元に手を当てた。

「あとちょっとー」
「却下。そろそろお前目がしょぼしょぼしてんだろ。ほら、スリープさせて」
「はーい…」

淡々とした返事と表情からはわからないかもしれないが、四六時中恭也を見ている俺には彼が納得しきれていないのがわかっていた。
なんでわかるかなー。と、以前までの恭也なら唇を尖らせていただろう。

「お前らも休憩な」
「うっす」
「わかりました」
「恭也、珈琲淹れるから手伝ってくれるか?」
「うん」

頷いた恭也を連れて給湯室へと向かう。
やはり疲れ目だったのか、気持ち悪そうに目を擦る恭也は寝起きの猫みたいで堪らなく可愛い。

パタンと閉じた扉を確認して、目を擦る腕を掴んで引き寄せた。そのまま腕の中へと閉じこめれば、恭也は無抵抗に収まってしまう。

「ちょっと疲れたか」
「んーん、だいじょーぶ。かいちょーのが俺よりいっぱい仕事してるよー?」
「会長だから当たり前だろ。疲れてるならそう言え」
「…そんなこと、ないし」

困った声で言いながらも、恭也は慣れたように俺の肩に頭を置いた。
抱き締めた時はこうする、と賢い恭也はすぐに覚えてくれる。

田所と交わした約束のせいで本人は誰にもすがったり頼ったりしないつもりらしいが、そんな事、俺には関係ないのだ。

「それは、約束だからか?」
「そーだよ」
「でもそれって、田所との約束だろ?俺には適用されねーんだけど」
「…?」

田所を信じ、約束を守っていたいならそうすればいい。
その間に俺は、恭也の中に居座る田所のスペースを少しずつ奪い、気が付いた頃にはその存在がどこにもない状態にしてやるつもりだった。

動く、と決めた日から、俺はその目標だけを念頭にしている。
恭也を好きだと認めた時既に、つけこんで奪ってしまえばいいと知っていたからだ。

そしてそんな俺の行動は、所詮焼き豆腐の恭也には効果的だったらしい。

「そー、なの…かなー?」

ぐらりと恭也の信念が揺らいでいるのを、ありありと感じる。
田所と交わした約束は守りたい。しかし、俺はその約束に当てはまらないと言う。
ーーならば、矛盾だらけの寂しがり屋はブレる。

それならいいかな、と思わせたら、俺の勝ちなのだ。

「そーだろ。お前、難しく考えすぎ。俺に頼ったところで田所は居ねーし誰も気付かねーよ」

肩の上で考えこみ始めた恭也に声をかけ、思考を中断させる。柔らかい髪を殊更優しく手のひらで撫でつければ、ほんの僅かに光のない瞳が細まった。

「でも…」
「でももへったくれもねーよ。じゃあ聞くけど、お前は俺にこうされんの嫌いか?」

一瞬強く抱き締めた腕に力を込めると、ゆるりと恭也は首を横に振る。

「嫌いじゃない、けどー」
「けど?」
「なんで、こう…ぎゅってすんの…?」
「内緒。それはまた今度な」

クスリと笑って、恭也のこめかみに押し付けるだけのキスを落とした。
目を閉じて甘受する恭也は、もうかなり俺に慣らされている。

だからと言って焦ってはいけない。
ひとつひとつ、田所との約束を心から追い出していかなければならない。

「とにかく、お前が約束守んのは田所オンリーだから。俺相手なら泣いても怒っても頼っても縛ってもいいから。言いたい事は全部言え」
「でも、えっと、迷惑に、」
「なんねーよ。それとも何か、俺がそんな狭量だとでも言いてーの?」

戸惑った雰囲気の小さな顔に手を添えて、真正面から覗きこむ。
長い睫毛に縁取られた瞳は可哀想な程困惑していて、泳いだ挙げ句目線を下げた。

「はは、何、緊張してる?」
「え、と、ちがう…かいちょードアップでもかっこいーなって、憎くなっただけ」
「それはどうも。お前は近くで見れば見る程そそる」
「なにが…?」
「内緒」

また?と俺を見上げた目が不満そうだ。
つい吹き出すと不満の色は濃くなり、無表情のくせにコロコロと感情を表す恭也が面白い。他の誰にもその機微を感じ取れないのだろうと思うと、沸き上がるのは優越感と愛しさだ。

「かいちょーが何考えてるのか、わかんない…」
「知りたいか?」
「また、内緒なんでしょ?最近ずーっと、そーじゃん」

少しだけ恭也の眉が寄った。
寂しそうな、不安げな表情だ。今日も俺の前だけで崩れた無表情が、笑顔を浮かべるまではきっとあと少し。

「それは答えてやれる。聞きたい?」
「う…うん、聞きたい」

いい傾向だ。ぼんやりしていたばかりの恭也が、田所の為だけに生きていた恭也が、俺に興味を持っている。

俺は緩む頬を隠しもせずに、そっと恭也の額にまたキスした。閉じて、開いた瞼の中には気持ち悪いくらい微笑んだ俺がいる。

「お前の事考えてんだよ」
「……」
「こーら。言っただろ。言いたい事は全部言えって」

頬に添えた手でさわさわとそこを撫でてやれば、うろついた視線が俺の顔に焦点を合わせる。
じわりと耳が赤くなっていくのが、この距離ではしっかりと確認出来た。

「かいちょー…ずるくない?」
「なんで?」
「だって、そんなの、普通言わない…」
「普通ってなんだ?」
「…それ、俺の台詞ぱくったー?」

照れ隠しか、恭也の顔がイキイキと歪んだ。
嬉しくてもう一度抱き締めてしまった俺を、誰が咎められようか。

「…かいちょ?」

恭也の腕が俺の背中へとすべり、そこを軽い力で二度叩いた。

「なんでもねーよ。そろそろ珈琲淹れるか。お前、戻ってろ。あいつら二人にしとくと口喧嘩になるから」
「え」

驚いているのはわかっていたが、俺は恭也からそっと離れて食器棚へ向き直った。

まともな表情を見れたのが嬉しくて、ついいらぬ事を口走りそうになる。
好きだ。お前には俺がいる。俺だけじゃない、みんなお前の傍にいる。一人じゃない。だから田所の事は忘れろ。そう、言ってしまいたくなる。

けれどそれは、まだ時期じゃない。
警戒心が溶け、少しずつでも俺に対する態度が軟化している以上、ここで焦る事だけは避けたかった。

「かいちょ…」

けれど。

「やだ」
「え?」
「ここ、居ていい?」

くん、と後ろから服を掴まれた感覚がして、俺はカップを出そうとしていた手を下ろした。
そのまま振り返る。
そこには恭也の、高さのあまり変わらない瞳が、迷子の子供みたいにさ迷っていた。

「向こう、戻んなきゃだめ?俺邪魔?いらない?かいちょ…薫、ねー、だめ?言いたい事言ったら、嫌いになる?」
「…っ」

歓喜に打ち震えた俺が恭也を再び抱き締めると、肩口に安堵の溜め息が触れた。


(そんな、変化の木曜日)

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