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副会長と出会った日の、懐かしい夢を見ていた。
あの後彼の部屋で夏休みを過ごした事、まだ副会長が俺を見て話していてくれた事。

(俺はまた、ちゃんと出来損ないに戻れたはずだから、いつか副会長はあの時みたいに…話しかけて、くれるかな)

淡い期待は夢の中だけで。
目覚めればいつもの日常だと知っていたから、後少しだけ、と朧気な朝陽から顔を背けた。

+++

「…っ恭也!」
「ん…?」

扉の開閉音と共に聞こえた焦り声に、俺はゆっくりと覚醒した。
見慣れた自室の景色。しかし懐かしい景色だ。

「恭也、お前なんでここに…」
「かいちょー…?」
「起きたら居ねぇし、携帯置きっぱだし、…あほ、すげー焦っただろ」

そうだ。昨夜は会長の腕から抜け出て自室へ戻り、俺の在り方を再確認したんだ。そのまま血だけ適当に拭っている内に寝てしまったから、会長の部屋に戻るのを忘れていた。

この人は、優しい人。
だから悲しませてはいけない。この学園に居る間、彼が俺の世話をしたがる間は、幸せそうに笑っていてもらわなければならない。

「心配、したー?」

とてもいい気分のまま、ベッドに乗り上げて俺のお腹の上辺りに突っ伏した会長の頭を撫でてみる。
そんなふうに俺から触れた事などなかったからか、会長は勢いよく顔を上げて男前な顔を驚きに染めた。

「恭也、お前…」
「んー?」
「…や、なんでもねーよ。心配した。探した。もう何も言わずに居なくなんの、やめろよ」
「うん。わかったー。ごめんね?」
「いい。…いや、やっぱ許さねー。もう少し撫でてくれ」
「かいちょー何か可愛いね?」
「そりゃお前だろ」

会長は毒気を抜かれたように、俺の手にすり寄ってまたお腹の上に頭を置いた。
長い腕が苦しくない程度に背を抱く。俺は、朝陽が反射する彼の深い色の髪をすくって、指先から溢れていくのを眺めていた。

「恭也、何かあったのか」
「どーして?」
「俺の部屋に居んの、嫌か?」

会長はその体勢のまま、ポツリと口を開いた。寂しげな声だ。俺を引っ張って世話を焼いていた時が嘘みたいに、自信がないように聞こえた。

「はは、なーに言ってんのかいちょ」

笑ってしまう。会長をお腹に乗せているからあまり振動を起こすのは忍びないけど、細く長い笑いは中々収まらなかった。

「何で笑ってんだ。んなおかしい事言ったか?」
「うん、なんてゆーか、かいちょらしくないなって」
「…俺は、こんなもんだろ」
「ほんと可愛いー」

拗ねたみたいに言うから、俺は会長の頭をぐるんぐるん掻き回した。会長はやめろと言わない。

「夜中にね、目が覚めてー…そしたら急に、あれ?俺部屋のゴミ出してないよね臭くなるかも!て思ったらさー寝れなくてー」
「声かければいいのに」
「すぐ戻るつもりだったんだもーん。かいちょのとこに。でもパタッて寝ちゃった」
「…そうか」

鋭い視線が細くなる。きっと、それは仕方ないなぁって表情だ。
会長は撫でる手に頭を擦り寄せたまま、ふわりとキツめの顔立ちを綻ばせる。恐らく俺が普通の人間みたいにまともな感性を持っていたなら、息を止めて見惚れていただろう。

「飯食って学校行くぞ。お前の顔見たら、腹減ってきた」
「うん」
「恭也」
「うん?」
「ちゃんと俺の傍に居ろよ」

そう言って起き上がった会長は、リビングで待ってると言い残して寝室を出た。

「…?」

傍に居ろ、とは、なんだろうか。
両親も、椎名も、副会長も、そんな事は言わなかった。
会長の言葉はまるで、俺の意思を優先しているような響きがあって、何だか心臓の辺りがむず痒い。

「…ま、いーか」

あまり気にしてはいけない気がしたから、俺はすぐに起き上がって、会長と朝御飯を食べるべく着替えを始めた。

+++

放課後になり生徒会室に向かうと、室内には俺と会長以外のメンバーが勢揃いしていた。勿論副会長もいる。だからか、和野くんと阿笠くんは口喧嘩もせず黙々と仕事をしていた。

「お疲れ。遅れてわりぃ」

そんな空気にも怯まない会長は、平然と自分のデスクへ進んでいく。

「お疲れっす」
「お疲れさまです!」
「おう。…どうした恭也、そんなとこに突っ立ってないで、さっさとこっちに来い」
「う、うん」

手招かれ、パタパタと後を追う。
口々に挨拶してくれる可愛い後輩にやほーと返しつつ、副会長をチラリと見る。

「…っ」

ぶわ、と溢れてきたのは、喜びだった。
目が合ったのだ。気のせいでも何でもなく、バチりと音が鳴りそうなくらいにしっかりと。

「ふ、ふくかちょー、お疲れ…?」
「ん」

恐る恐るかけた声に、彼は小さく頷いた。それからすぐ手元へ目線を戻す。

「恭也、明日の会議に使うやつ…恭也?」
「え、あ、うん!ちょい待ちー」

怪訝な顔で俺を呼ぶ会長に頷きながらも、心の中はとんでもないことになっていた。
ふわっふわだ。狂喜乱舞だ。やばい嬉しい死ねそう。

鰻登りの気分を抑える術がない俺は、きっと最高にニヘニヘニヤニヤしていたはずだ。
今なら空も飛べる。副会長と目を合わせて会話したのは、いつが最後なのか思い出すのも困難な程昔の事だったから。

「かーいちょ、これね」
「おう。なんだよ、すげーご機嫌じゃん」
「んふふー。あ、立ったついでにお茶でも淹れよっかー」
「恭也先輩、それなら僕がしますよ」
「いーのいーの、遅れて来たお詫びだからー」

立ち上がろうとした阿笠くんを制して、俺は給湯室で各々の好みのお茶を淹れてローテーブルに並べる。
すると何だかソワソワし始めた和野くんが、そうっとタッパーを持って近寄ってきた。

「きょーや先輩」
「うん?」
「これ…」

不良なのに不良らしくない仕草で、彼はタッパーの蓋を開いてそれをテーブルの真ん中に置いた。
中身が気になったらしい会長と阿笠くんも、手を止めて中身を覗き込む。そして会長はむっとした顔をし、阿笠君は真顔のまま和野くんを見上げた。

「和野、これはまさか」
「またおじさんが作ったとか?」
「わー、マド……レーヌ…?」
「きょーや先輩、不安そうにしなくていいっすから、マドレーヌっすから!」

色で判断出来ないそれを形だけで言ってみたら当たったらしく、和野くんは嬉しそうに俺の肩をポフポフ叩く。
知れば知るほど意外性の男、和野くんだ。とりあえずタッパー持ってる姿は壊滅的に似合わなかったけど、似合わなすぎて逆に可愛かったのは事実だ。

「和野のおじさんお菓子作んのはまってるとか?」
「おじさん言うな。うちのはまだ三十路手前だぞこら」
「え、若いねー…?」
「見た目だけだと二十歳過ぎに見えたがな」
「うそ、かいちょー和野のお…お兄さん?に会った事あるのー?」

和野の義父さんが三十路手前なのも驚いたけど、会長が面識あるって言ったのはもっと驚いた。
お盆を胸に抱いたまま首を傾げると、会長は気まずそうに珈琲を口に運ぶ。

「わざわざ会ったのかよ。どんだけ必死に外堀埋めてんだてめぇ」
「うるせー。お前が適任だと思ったんだから仕方ねーだろ。つか、渋ってたの和野だけだし」
「あぁ、和野は生徒会とか嫌がりそうですもんね」
「なんかよくわかんないけど楽しそーだね?いーなぁかいちょ。俺も和野のおに…お兄さん?に会ってみたいー」
「きょーや先輩に限り、うちのをワイフって呼んでいいっすよ」

おじさんと呼べないし義父さんというのも事情を知らないので口にしにくい俺を見かねて、和野くんはよくわからない呼び名を許可してくれた。ワイフって…と思うけど、なんだか知っちゃいけない部分な気がしたから、これからも俺は和野の義父さんをお兄さんと呼ぶだろう。

「ちなみに今回も奇跡的な出来なのか?」
「当たり前だろ。うちのの料理は見た目を捨てて味だけを追求してんだ。食ったらわかる」

会長が恐々とマドレーヌを手にするのを見て、俺はそっと立ち上がった。
そのまま、ドキドキしつつ副会長のデスクへ向かう。

「ふくかいちょー、一緒に和野くんのマドレーヌ食べよーよ」
「…」
「あのね、すっごくおいしーんだよ。だから…ね?」

しん、と室内に広がっていた笑い声が収束した。
原因は俺。会長達は口を閉ざし、副会長と俺を見つめている。

カタカタカタ。キーボードを叩いていた音が止んだ。
ほんの一瞬おりた静寂を破ったのは、俺をついと見上げた涼しげな人だった。

「呑気だね、お前は」
「…?」
「…救えないな」
「ふくかちょー、なんて?ごめん、聞こえなかった…」

呟きは小さすぎて、ちゃんと聞き取れなかった。
申し訳なくて眉を下げると、彼は深い溜め息をこれ見よがしに吐いて、俯く。

「恭也、こっち来い」
「ねぇ会計」

会長の硬質な声と、気の抜けた副会長の声を俺の耳は同時に拾い上げた。
振り返りかけて、副会長へ顔を戻す。その短い時間で、副会長は俺を真っ直ぐに見上げていた。

「ニコニコしてんの、すごく気持ち悪いからやめてくれる?」

ーーす、とその言葉は俺の中へと溶け込んでいった。

「ふく、かいちょ」
「目障りだから。言う事、聞けるよね?」
「…っ田所!お前何言ってんだ!」

ゆっくりと動く血色のいい唇は、俺を嘲笑うかのように口角を上げた。
慌てた会長の声。背後から掴まれる肩。目の前の副会長は笑みを深め、そして。

「恭也、こいつの言う事なんか無視し、っ、…っ!」

ぐいっと引き寄せられた先で、会長は俺の顔を覗いて、顔色を青く変化させた。
広い肩の向こう側では、唖然とした和野くんと、無表情の阿笠くんがじっと俺を見ている。

「きょうや…」

ドロリとした会長のアメジストみたいな瞳には、俺だけが映っていた。
瞬きを繰り返す。見慣れた自分の顔に、笑顔はなかった。

「なん、で、恭也…っ、田所、てめー許さねぇ…!」
「わかってないなぁ須田は。言っただろ。それ、俺のお人形だから」

会長に強く抱き締められながら、副会長の楽しそうな言葉を聞いていた。それはとても満足そうで、俺も嬉しかった。

副会長、ごめんね。

(そうだ。笑い声を上げる人形なんて、存在しないんだから)

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