その日の夜は、記憶通り諒太の家で夕飯を食べた。食卓を彩るのは気合いが入った早智子の手料理と、隆史が仕事帰りに買ってきた大きなケーキだ。卒業祝いが誕生日会のようだと呟くと、過去と同じように早智子から「ロウソクないでしょ」と睨まれてしまった。

「ねーえ、大兄」

 ケーキの口直しに珈琲を飲んでいた大雅へ、右手の誕生日席に座る女子高生が声をかける。いつもはバイトにデートにと忙しくてあまり家にいない彼女は、諒太の妹、愛希奈だ。
 兄と同じ、くっきり二重の愛らしい目元が大雅を上目遣いに見つめている。

「やっぱり卒業式の後、告白とかされた?」
「諒太はな」
「えっ、大兄は? 諒兄より頼もしくてカッコいいのに……?」
「ないない。つーかお前、兄貴泣くぞ」

 言ってから左を向いた大雅は、無言で諒太の背に手を置く。三つ目のケーキと共にフォークを行儀悪く齧る兄は、可愛がっている妹からの評価に拗ねていた。

「そうだよね、大ちゃんカッコいいもんね」
「いやいや、自信持てよイケメン。お前は向かうところ敵なしだって。な?」
「それで諒兄、初めての彼女はどんな子?」

 愛希奈は親兄弟に似ず、怖いもの知らずなところがある。いじける兄へのフォローは後回しで、好奇心が勝ってしまったようだ。
 諒太は仕方なさそうに苦笑し、首を振った。

「どんなって、もちろん断ったよ」
「えっ、なんで断っちゃうかな!」
「そうよ諒君、チャンスだったのに!」
「ええ? おばさんまで……?」
「いつも顔の怖い大雅と一緒にいるから女の子が寄ってこないんじゃないかって……おばさん心配なの」
「いやいや、諒兄がすぐ大兄に甘えちゃうから彼女できないんだよ。この間あたしの友達がさ――……」

 加勢してきた早智子と二人、愛希奈は楽しそうに恋バナを繰り広げている。母からの評価には眉をひそめたが、物申したところでタッグを組む女性陣には勝てないと知っているから、大雅は黙って残りの珈琲に口をつけた。
 すると今まで穏やかに話題を傍観していた隆史が、一番の爆弾を微笑みと共に落とす。

「諒太には好きな人がいるんじゃないかな?」

 パッと勢いよく諒太に顔を向けてしまった大雅は、口端にクリームをつけた男の耳朶が薄く赤らんでいく様を全て見てしまった。

「……え、いんの?」
「うん、いるよ?」

 形のいい頭が躊躇なく上下し、照れくさそうな笑顔ではにかむ。
 大雅は「ふうん」と平然を装って相槌を打ち、諒太から目線を外す。早智子と愛希奈の盛り上がる賑やかな声を他所に、泥沼のような思考に頭から突っこんだ。
 つまり大雅は、想い人がいる諒太を一年半も拘束していたことになる。罪の意識が喉に詰まり、窒息しそうだった。

「悪い、ちょっと疲れたから先戻るわ」

 これ以上諒太の隣に座っているのが耐えがたく、逃げるように席を立つ。そんな息子を、ロックグラス片手に早智子が見上げた。

「大丈夫? 母さんも帰ってほしい?」
「別にいいって、寝るし。おやすみ」

 ヒラリと手を振り、軽い調子で挨拶を残した大雅は諒太の家を後にした。
 一体、隆史と早智子はいつから交際していたのか、と考えている内に、癖で自分のアパートへ向かいかける。すぐ我に返り、諒太の家の隣にある三階建てマンションへ入った。
 久しぶりの実家で自室のベッドへ転がると、改めて過去にいるのだと実感する。

「これからどうすっかな……」

 未だ、二十歳の自分には戻らない。
 一年半の重複生活は億劫だが、奪ってしまった諒太の青春を見守ることができるなら悪くないはずだ。ぼんやりと己に言い聞かせていると、控えめなノック音が部屋に響いて諒太が入ってきた。

「大ちゃん……」
「あ? なんだ、お前も抜けてきたのかよ」

 身体を起こすと、諒太はムッツリと口を噤んだままベッドに座る。

「聞いてないよ、家出るってホント?」

 大雅は気まずげに目を逸らし、諒太から一人分の距離を空けて床へ足を降ろした。

「母さんが言ったのか」
「うん、さっき。なんで一人暮らし?」
「就職すんのに、親のすね齧り続けんのもな」
「でもおばさんは、大ちゃんに大学出てほしかったって」
「シングルマザーにこれ以上負担かけられるかよ。早く楽させてやりてえって、お前も知ってんだろ?」

 今となっては会社務めで生活も給料も安定している早智子だが、まだ大雅が幼い頃は大層苦労してきている。祝日、行事などで就ける職業は限られ、定職にありつけても、風邪をひいた、警報が出た、という理由で休めば退職を促される。息子を養うためにどれほどの時間や労を犠牲にしたか、間近で見ていた大雅は端から大学に進学する気がなかった。
 諒太は寂しそうに俯きながらもそれ以上食い下がってこない。しかし大雅を見る瞳は、少しも納得していなかった。

「じゃあ、住む場所は近くにして?」
「は?」
「できる限り近いとこ。そうだ、徒歩五分圏内くらい。俺も一緒に探すから。ね?」

 その懇願には憶えがあり、狼狽える。交際が始まった直後、家探しを始めた途端無言で拗ねる諒太を誘導尋問した結果、ねだられたときと同じだからだ。


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