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「へへ。本当?」
「ったりめえだろ。お前が中身もイケメンだって、俺が一番知ってる」
「大ちゃんには敵わないよ。喧嘩は強いし、面倒見いいし、流し目セクシーだって騒がれてたじゃん」
「あいつら目え悪いんだよ」

 うまく冗談めかせているだろうか。
 少しの不安を取り繕いたくて減ったジュースを行儀悪く吸い続けると、諒太は苦笑し、大雅のカップを下げさせた。

「大ちゃんは好きな人いないの」
「俺のことはどうでもいいだろ」
「よくないよ。ねえ、教えてよ。いるんでしょ? 告白しないの?」

 早智子と愛希奈を彷彿とさせる好奇心で、瞳を輝かせる諒太は再び大雅へ迫る。
 困り果てるが、誤魔化し続けるのにも限界がある。下手に不満を抱かせるくらいならばと、無難な真実だけを選びとった。

「……俺は、お前みたいにできないから」
「告白できないってこと?」
「いや。……したことを後悔してる」

 ざ、とぬるい風が吹き抜けると蝉の声が止み、木の葉が擦れて爽やかな音がする。

「……今、なんて?」

 しかしその清々しさに混ざったのは、底冷えするような感情のない声だった。

「誰に……言ったの? 付き合ってた?」
「な、んだよ、それは秘密だろ」
「答えて」

 男の顔から、表情という表情全てが消えていた。真夏の暑さで汗をかいているというのに、おかしな悪寒を感じる。
 だが絡め取られた目は逸らせず、再燃した蝉の声すら意識の外へ放り出された。言うつもりなどなかったのに、口からは求められた問いの答えが操られたように零れる。

「無理に付き……合わせてた、だけだ」
「どういうこと? その人は好きじゃないのに、大ちゃんの恋人になったの。それなのに大ちゃんは、まだその人が好きなの」

 無から沸々と滲まされる怒りの原因が何かわからず、どう返せばいいか判断できない。
 ほぼ停止した頭が吐き出させたのは、なんの盾も持たない事実だった。

「ああ……好きだ」

 罪悪感に染まった告白は、溜め息に溶ける。
 愛しい男に恋の話をする虚しさは、緩やかに首を絞められているようだった。

「だから……俺は駄目だったけど、お前はちゃんと好きな奴と幸せになれ」

 今の大雅が手向けられる最上級の愛情は、蝉の声に負けるくらい脆い。
 諒太は無表情のまま、ぼんやりと大雅の首元を見つめていた。呆然とする様が不安で仕方なく、艶のある黒髪を恐る恐る撫でる。
 すると諒太は突然、その手首を強く掴んだ。

「大ちゃん、暑いし帰ろうよ」
「あ、ああ……そうだな」

 空いた手で二人分のドリンクカップを持つ諒太は、手首を離さないままベンチを立つ。
 大雅は「手を離せ」と言うタイミングを逃し、結局駅で切符を買うときまで諒太に腕を引かれることとなった。

 そして気まずい沈黙を打開させることもできないまま、アパートへ帰りつく。諒太はベッドの傍で立ち尽くし、面白味のない部屋をただじっくりと眺めていた。

「大ちゃんの部屋、久しぶり。誰かさんが忙しいって全然俺を構ってくれないから」

 台詞には柔らかな棘が生えている。
 大雅はエアコンを強風で稼働させ、冷蔵庫から出した水を飲みながら、諒太にも新たなボトルを差し出した。

「嫌味言う奴にはやらねえぞ」
「誤解だよ。寂しかったって言ってるだけ」

 首を巡らせて振り向く男は、受け取った水を飲む気配がない。何かを訴えるような視線に本音を暴かれそうで、大雅は空のボトルを捨ててベッドへ掛けた。

「……そうかよ」
「愛希奈がくれたチケットだからとか、理由がないと一緒に出かけてもくれないでしょ?」

 大雅の意識と記憶は過去をやり直している時間分しかないが、大雅の知らない大雅もどうにか諒太と距離を置くべく奮闘しているようだ。恐らく可愛い妹を引き合いに出されて渋々頷いたのだろうと、容易に想像できる。

「別に……身内なんだし、いつでも……」
「身内?」
「あ、いや。ほぼ家族みたいなもんだから」

 ポロリと今の諒太が知らない事情を匂わせてしまったが、彼は大雅を問い詰めなかった。

「うん、そう思ってたし、安心してた。……けど間違ってた。俺は変われた気でいたけど、生ぬるかったんだと思う」
「なんの話だ?」

 ボトルをテーブルに置いた諒太は唐突に、見慣れた無邪気な笑みで首を傾げた。

「大ちゃんはさ、叶えたい願いってある?」
「なんだよ急に、女じゃあるまいし……」
「ある?」

 笑顔のはずなのに、細まった視線に射貫かれると息が詰まる。誤魔化せる雰囲気などどこにも見当たらず、目が泳いだ。

「そりゃ、あるだろ。誰にだって」
「何? さっき言ってた人を、好きにならないように、とか?」

 大雅はふ、と苦く笑う。あの占い師も諒太も簡単に言ってのけるその選択肢は、大雅の存在意義を九割方殺すものだからだ。

「……俺が願うのは好きって言わないことだけだ。そしたら、苦しめないですむ」

 冷え始めた部屋の空気が汗を乾かしていくように、僅かずつでも恋心から暴力的な切なさが消えていく日を待ちたい。諒太の傍で、つらい思いをさせた分、甘い痛みを噛み締めながら。
 諒太は笑顔のまま黙っていたが、不意にポケットから取り出した何かを差し出してきた。

「じゃあ、あげるね」


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