13


 細長いパッケージに収まるそれに目を剥く。
 透き通った青い石がついた安っぽいストラップは、大雅が願いと引き換えに手離した想い出だった。

「お前……それ」
「願いが叶うらしいよ。見つけたから買っちゃった」

 無意識に伸ばしかけた手を引き、拳を作る。
 未来を変えたくてここにいる大雅が、それを受け取るわけにはいかないからだ。

「馬鹿だろ。そんなもんで叶うはずねえし」

 冷ややかさを意識して突き放すと、諒太はストラップごと手を降ろす。

「そうだね、願いを叶えるのは石じゃなくて自分だよ。だけどね……こんなのにも頼りたくなるときって、あるじゃん」

 男はベッドへ乗り上げ、大雅の尻の傍へ膝をつく。驚いて目前の胸板へ手をつくと、脇腹を撫でられて肩が跳ねた。

「なっ、なんだよ」
「隙あり」
「っあ!」

 怯んだ大雅から諒太が取り上げたのは、左ポケットに収まる携帯だった。咄嗟に手を伸ばすが、ひょいと軽く避けられてしまう。

「つけてあげるね。大ちゃんの願いが叶いますようにって」

 唖然とする大雅の前で、携帯にストラップが装着されていく。彼は手早く自分の携帯にも同じものをぶら下げ、誇らしげに並べて見せた。

「じゃん、お揃い。どう?」

 嬉しそうな姿はこれ以上ないほど可愛いのに、大雅は落胆するしかない。願い通りに想いを隠して関係を変えたのに、何故こうも間違えた未来と同じ轍を踏むのだろう。
 ねだられて決めた徒歩五分圏内のアパートも、遊園地も揃いのストラップも――傍にいたがる諒太も、同じままだ。

「なんでだよ……こんな、なぞるみたいに」

 酷い虚脱感に包まれる大雅は、淀んだ頭の中で木霊する寂しげな声を思い出す。
 大雅を不思議な懺悔の旅へ送り出す女は「諦めちゃえばいいのに」と囁いた。ここにきて漸く言葉の意味を理解すると、諒太への罪悪感で圧し潰されそうになった。

「ごめんな」
「……何がごめんなの?」

 ベッドに座る大雅の膝の間へ腰を下ろした諒太は、携帯を握らせてくる。真新しい石はくすみもなく、カーテンの隙間から差しこむ太陽光を取りこんであまりに眩しかった。しかしその透明度も、指先で転がすと油分や指紋がついて濁ってしまう。
 だから一切触ってはいけなかった。綺麗なまま守りたいなら、石も諒太も、最初から。

「俺、間違ってたわ。自惚れてた。こんなんじゃ駄目に決まってんのに」

 人は好意に好意を返そうとする生き物だ。それを好意の返報性というのだと、背伸びして借りた小難しい映画で見たことがある。
 断ち切れない大雅の想いは、視線に、声に、吐く息に混じって諒太を引き留めているに違いない。真冬に流行する悪質なウイルスのように、彼を侵食しているのだ。

「もうやめねえとな」
「何を……?」

 不安そうな男の頭に手を置いた。指通りのいい黒髪を撫でるのが堪らなく幸せだったけれど、触れれば触れるだけ愛しさが増す。
 これが最後だと思えば、殊更に。

「諒太はそんな石に頼ってまで、何を叶えてえの。好きな奴のこと?」

 感情を守る最後の砦は諒太にしか壊せないから、大雅は彼の口から、恋焦がれる誰かへの想いをコテンパンになるまで聞きたかった。
 何せ大雅の恋は、あたかも最初からそこにあったかのように心臓のフリをして左胸で脈動していたのだ。あって当然のものを自分で抉り取ることはできない。きっと泣き喚くほどの苦痛に襲われ、正気でいられなくなる。
 だがその苦しさも諒太から渡された引導であれば慈しめる気がして、胸の内は気持ち悪いほど凪いでいた。

 諒太は幼馴染の穏やかな顔を見上げていたが、同調するように目尻を垂れ、大雅の手を携帯ごと両手で包んだ。

「俺はね、大ちゃんの願いが叶ってほしい」
「……俺? なんで?」
「大ちゃんが好きな人に、好きって言わなきゃいいのにって思ってるから」

 ごうごうと一生懸命に働いていたエアコンが、設定温度を感知して静かになる。すると異様な速さで、太鼓を叩くような音がした。
 その煩さに眉を寄せた一秒後、大雅は発生源が自分の左胸だと気づく。

「何、言ってんだ……?」
「だって、大ちゃんはごめんねの気持ちで、ずっと縛られたままだ。ずっと、その人を忘れられないままだ。……不公平だよ」

 憎々しげに呟いた諒太は、包んだままの手の甲へ唇を押し当てる。
 大雅の五感の全てから、諒太以外が消えた。

「その人は大ちゃんを好きじゃなくても恋人になれたのに、なんで大ちゃんを好きな俺は恋人になれてないの?」

 ただでさえ煩かった左胸から、壊れそうにぎこちない鼓動音が響く。おかげで息もうまくできず、無意味に首を横に振った。
 すると諒太は大雅の携帯から伸びるストラップを摘まみ上げ、青をおざなりに揺らす。

「俺の願いは自分で叶えるよ。けどね、大ちゃんの過去を変えようと思ったら、こんな石にも縋りたくなるじゃん」

 次から次へと投げつけられる信じ難い言葉達が、大雅を混乱の極地へと押しやった。


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