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 それから数日が経っても占い師は現れず、大雅は十九歳の自分として過ごしていた。
 アパートで怠惰な日曜を消化していると、安っぽいチャイム音がうたた寝していた大雅を起こす。

「大兄、開ーけーてー」
「愛希奈?」

 玄関前で喚く声に呼ばれるまま、扉の鍵を開けてやる。すると愛らしいピンクの唇を尖らせた愛希奈が、兄にそっくりのムッツリ顔でズカズカと部屋へ入ってきた。

「どうしたんだよ。日曜はデートじゃねえの」

 勝手知ったる様子でベッド横に座りこんだ愛希奈は、自分の隣を無言で叩く。従って腰を下ろすと、似合わない皺を眉間に刻んだ妹分が大雅を見上げた。

「聞いてっ。彼氏がさ、他に女作ってた!」
「シメてくるわ」
「待って! 大兄のそれは洒落になんない!」

 すく、と上げた腰に抱きついて止める愛希奈は焦っている。やる気満々だった大雅はまず彼女の話を聞くため、仕方なく拳を収めた。

「いつでも言えよ。俺は常に臨戦態勢だから」
「目つきに元ヤン感出ちゃってるよ……だけどいいの、もうグーで殴ってから蹴ってきたし。話だけ聞いてほしくて」
「よくやった。なんか美味いの出してやる」

 頭を撫で回してやると、愛希奈は嬉しそうに目を細める。そしてスナック菓子を摘まみながら、鬱憤を吐き出すように事の顛末を大雅へ話して聞かせた。

「はあ……スッキリした。友達がバイトでさ、捌け口なかったんだ。聞いてくれてありがと」
「たまには頼ってくんねえと寂しいだろ」
「最終兵器大兄ってくらい頼ってるよ。あ、お礼に……」

 愛希奈は床へ放ったままだったバッグを引き寄せ、膝に乗せた。たったそれだけの動作中、金具に取りつけられた多量のキーホルダーや小さなテディベアが賑やかな音を立てる。見たところかなり重そうだ。

「ちょっと間引いたほうがよくねえか」
「ヤダ。全部お気に入りだから全部つけたいの。……と、あった。涼兄と行っておいでよ、ペアチケットだから」

 面前へ、地元ではデートスポットとして有名な遊園地のチケットが差し出される。そこは諒太とデートをし、願いが叶う石のストラップを買った場所だった。

「いや……気持ちだけもらっとくわ。男二人で行く場所じゃねえし」
「じゃあ彼女とか」
「馬鹿、お前がいい男捕まえて行ってこい。俺はいいから」

 諒太以外の誰かと行く気にもならず、尤もらしい理由でチケットごと愛希奈の手を押し返す。しかし彼女はニッコリと笑った。

「じゃあ涼兄に渡しておくね。無期限だし」
「は?」

 チケットをあっさり引き下げた愛希奈は、バッグを手に立ち上がる。

「そろそろバイトに行かなくちゃ。それじゃあ大兄、ありがと。大好き」
「お、おい愛希奈っ」

 呼び止める声は聞こえているはずなのに、台風のような彼女は足を止めない。上機嫌で部屋を出て行く背を見送り、大雅はベッドへもたれて脱力した。

「あの強引さは誰に似たんだ……?」

 困り果てて頭を掻くが、すぐに気を取り直す。昔から大雅と諒太はいつも一緒だったが、遊園地や水族館、夜景の望める高台の公園といった所謂デートスポットに二人だけで行ったのは、恋人になってからだ。恋人でない今、いくらペアチケットだからといって諒太が大雅を誘うとは思えなかった。

「さすがにな……ねえだろ」
「どうかなあ」
「!?」

 独り言にレスポンスされる衝撃はこれで二度目だ。慣れるにはまだ場数を踏み足りない。
 身体を起こした大雅は、テーブルに広げたままのスナック菓子を摘まむ女を見て溜め息を吐いた。

「やっとお出ましかよ……ビビらせんな」
「え、あたしに会いたかったの?」
「進めねえし戻れねえだろうが」
「しれっと受け入れちゃってる辺り順応性高くない? てか、これホント美味しい」

 レースマスクの下へ手を忍ばせ、女は菓子をサクサクと食べている。蠢くマスクの間抜けさを眺めていると、粉のついた指先を大雅の服で拭われ、呆れて文句を忘れた。

「はあ……で、これから俺はどうなんの」
「そうだなあ、じゃあ今度は……」

 シミ一つない綺麗な手が、おざなりに大雅の膝へ乗った。途端にくらりと頭が揺らぎ、後頭部がベッドへ落ちる。

「早く諦めちゃえばいいのに」

 視界が閉ざされる寸前、女は寂しそうな声でそう言った。


 耳をつんざくようなセミの大合唱に驚いた大雅は、見覚えのある遊園地を認識して反射的に顔を顰めた。
 木陰のベンチに座る大雅の爪先から数歩先のアスファルトは、真夏の日差しが照り返って白く光り、禍々しい陽炎がゆらめいている。湿った熱気で汗の滲むTシャツは肌に張りつき、暑いと感じるや否や喉の渇きに襲われた。

 携帯を出し、表示させた日付は大雅の二十歳の誕生日だ。なんとも言えない気分で、額の汗を腕で拭い項垂れる。

「来たのかよ……マジかよ……つーか真夏に遊園地来んなよ暑いだろ……」
「大ちゃん大丈夫?」

 足音と声に誘われて顔を上げると、両手にドリンクカップを持った諒太が戻ってきた。

「さすがに真っ昼間は暑いね。はい」
「おう、サンキュ……」

 汗をかいたカップを受け取り、ストローに口をつける。きつい炭酸が口内と喉で踊ると、体内にこもった熱を少し連れて弾け飛んだ。
 誕生日に遊園地を訪れた記憶はないから、今はとにかく状況を把握しなければいけない。


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