「引き留めるなら、相応の説明ができるんだろうな?」

 間宮は自分が、彼の手を掴んで引き留めていることに気づいた。慌てて離すが、思い直してまた掴む。今を逃せば佐古は二度と、間宮の声に耳を傾けてくれない気がした。

「俺……春馬さんが、好きだったよ」

 す、と男の目が眇められる。真意を見極めようとする眼差しの前では、虚勢も建前も、綺麗ごとも形無しだった。

「すごく好きだったんだ。だから、もう一緒にいられなくて……逃げた」

 間宮は自身の中で完成しているその方程式が、普通は理解されないことを知っていた。
 佐古も例外ではなく、奇異なものを見るような顔をする。

「仮にそれが真意だとしても、理解できない。好きだったなら逃げる理由はないはずだ」
「普通は……そうなのかもしれない。でも、春馬さんはいつか俺を嫌うから」
「何故言い切れる」
「決まってるからだよ。俺は好きな人に嫌われるなんて耐えられない。だったら好きじゃない人としか、一緒にいられない」

 佐古は間宮の主張を解釈しようと思案していたが、やがてソファに掛け直す。
 一方的に掴んでいた手は、佐古の意思で繋ぎ合わされた。

「では君は、先日まで同棲していた恋人のことすら好きじゃなかった、とでも?」

 頷けば自身の不誠実さを佐古に知らしめることになる。けれどこの期に及んで、守るべきプライドは存在しなかった。
 はなから、当時の振る舞いを許してもらえるとも、信じてもらえるとも思っていない。
 ただ、彼にだけは「遊びだった」と思われたくないだけだ。

「うん……そうだよ。嫌いじゃないけど、好きだと思ったこともない。俺は一人でいるのが嫌だから、言われるまま付き合って同棲してた最低な男なんだ」

 佐古は深い溜め息を吐くと共に、空いている手で目元を覆った。

「おかしいと思った。恋人も棲む場所も失ったのに、君は平気な顔をしているから」
「……うん」
「そうやっていつも、好意を持つ度に恋人を捨ててきたのか」

 間宮は首を横に振る。そして佐古が見ていないのをいいことに、切なさを口元に刻んだ。

「俺が捨てたのは、春馬さんだけだよ」

 静まり返ったリビングへ溶けたのは、間宮が思う以上に甘やかな告白だった。
 息をのむ音が聞こえ、顔を上げる。
 手を下ろした佐古はあれほど冷然だった表情に驚愕を浮かべ、間宮を凝視していた。

「自分が何を言ったか、理解しているか」
「何って、何……」

 動揺した間宮が繋いでいた手を離すと、男はそれを目で追い、奥歯を軋ませた。

「……ふざけるな」
「あ、と……ごめん、今更こんなこと言われたって困るのに」
「違う」

 俯いていた顔を上げると、佐古は呆然とした様子でカーペットへ膝をつき、間宮の肩へ額を乗せた。

「僕はずっと、君に嫌われたと思っていた」

 思わず男の背を抱き返しそうになり、間宮は挙動不審気味に持ち上げた両手を迷わせる。
 佐古はそんな狼狽を知ってか知らずか、間宮の背をやすやすと抱いてしまった。

「すまなかった」
「何……?」
「再会を運命だと勘違いして、好意があることを期待したのは君じゃない。未だに君への未練があるのも……僕だ」

 鼓膜を震わせる言葉がまるで夢物語のように思え、間宮は目を見張る。なんと返せばいいのかがわからず無言でいれば、佐古は苦しそうに続けた。

「恋人がいたことに年甲斐もなく嫉妬した。君に未練を悟られたくなくて酷い言葉を投げつけた。そうでもしないと、今でも好きだと言ってしまいそうだった」
「う、嘘だ……」
「嘘じゃない。この一週間、君のことが気になって仕事に身が入らないほどだった。そのくせ、顔を合わせるのがつらくて避けて……だがネットカフェや僕以外の誰かの家に君が泊まるのも嫌で、無理に引き留めていた」
「は、早く出て行けって言った……!」
「不自然でないように振る舞おうとしたら、そう言う他なかった」

 胸が詰まったように息がしづらいのは、強く抱き締められているからではない。恐らく込み上げた安堵が気管を狭めているからだ。
 佐古が肩から顔を上げる。眼鏡越しの瞳には、深い後悔が滲んでいた。

「虫のいい話だが、叶うならば信じてほしい」

 間宮にとっても都合のいい願いを、否定して信じない理由は一つもなかった。佐古はこの期に及んで、人を弄ぶような嘘を吐く男ではない。たったの二カ月半だったが、間宮は彼の傍で、その不器用なまでに真っ直ぐ伸びた心根を見ていたのだから。

「そっか……俺、嫌われてないんだ」
「すまない。君の気持ちも去った理由も知らず……たくさん傷つけてしまった」
「ううん……先に酷いことしたのは俺だよ。仲直り……ってことで合ってる?」

 佐古は大真面目な顔で「仲直りだ」と言って頷く。三十を超えた堅気な男が言うと妙に愛らしく聞こえ、思わず間宮が薄く笑んだときだった。

「智樹」


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