Cendrillon−05




こっそりとバニーのヒーロースーツのポップの陰から室内を覗きこむ。
こんなに朝早く出社したのは初めてだ。そのせいか上司も同僚もまだ来ていないのか室内には誰も居らずほっとする。
昨日さんざん悩んで一人で文句言って腹は括ったつもりだったが。俺も案外小心者ね、と虎徹は心の中で己に呆れる。
『一応社外秘ですので明日出社する時は普段みたいな気の抜けた変装では来ないで下さいね。あと、いつもみたいに変に騒いで目立たない様に』
昨夜のバーナビーからの電話を思い起こす。
気軽に言ってくれるぜ。俺のここまでの旅路は軽く小説一本かけちゃうぐらいヘビーだったぜ?






事件の翌日は念の為にと休みをもらったがカリーナとネイサンの強襲によって久々の休日はものの見事に潰れてしまった。ただでさえ長い女性の買い物、しかも自分の物を選ぶため座って待つなんて事は許されれず二人に散々引っ張り回された虎徹は、帰ってすぐに疲れてソファーに倒れ込んだ。寝ぼけ眼にかかってきた相棒からの電話に虚ろに返事を返し、そのまま寝たいのを我慢して買った服や小物をずらりと並べため息をつく。
普段自分が着てるのよりも上質な生地のシャツ。綺麗なアースカラーのベスト。ぱっと見布の塊にしか見えない頼りない生地量のスカート。細身のデザインのパンツ。細いベルト。独特なデザインの高いヒールの靴。服に合わせた時計。あんまり直視したくない下着類…
意地を張り通し何とか普段着に近いデザインの物を選ばせた。一部男の時には絶対に身つけない物もあったが。
スカートなんか死んでも嫌っ!とごねたが『その年齢でパンツ姿だと老けて見えるわよ!オバサンよっ!』とネイサンに声高に言われたのを思い起こしがっくりと肩を下ろす。
―――今更だけどべつに普段の格好で出社してもいいんじゃねぇのかなぁ…
あぁ、でもサイズの問題があったか。あー、俺明日これ着て家でるの?ヒールとか絶対足痛いだろう。拷問道具よ、これ?
だらだらと文句は思いつくが解決策が出てくる事は無く。選択肢は『着る』意外現れる事は無かった。
虎徹がもう少し冷静なら、あるいはファッションに詳しかったのなら。男女兼用ユニセックスというジャンルのファッションもあったのだが。残念ながら怒涛の様な非日常の連続で虎徹の思考もそろそろ限界を迎えていた。
ぶっちゃけ面倒くさい。
考えたくない。
もーいーや。
手に持っていたエナメルのヒールをぽいっとソファーの後ろに投げ捨て、寝所へもぐりこんだ。
いっそ目が醒めれば全部夢だった、という都合のいい事態を頭の端に願いながら。




朝起きて、顔を洗い、普段の癖で顎を撫でた所ではたと思考が止まる。無意識のうちに手を伸ばし片手に持った剃刀が剃るべき物が無い事を思い起こさせる。
「やっぱ夢にはさせてくれねーか…」
目が覚めたあとも鏡の前に映るのは女の姿だった。
朝のニュースを見ながら普段通り作った朝食が胃に入りきらない。それでも無理やり牛乳で喉の奥に流し込みテレビ画面の端に映る時計を見る。念の為に普段よりだいぶ早くかけた目覚ましのおかげで今日は普段は見れない占いがテレビで流れている。
―――気休め…にもならないな、これじゃ
9位と言う微妙なランキングの自分の星座。気分重いぜ。
カリーナに書いてもらった注意書きのメモを片手に嫌々ながら下着に手を伸ばす。
―――えーっと、前かがみで自重に添わせてカップの中に胸を入れる…で、下は先にガーターで、ストッキングは丸めてから…
あのごついヒーロースーツの着替えがものすごく楽に思える苦行じみた着替えを済ませる。あまりの大変さに全て身に付けた瞬間ガッツポーズを決めたくなった。全身鏡でもあれば自慢げにポーズを取っていただろう。男の姿で想像するとあれだが今は女だし、視覚的には問題無いはず。
脚が締め付けられるストッキングの独特の感覚に不自由しながらもシャツ、スカートを着々と身につける。
―――こっちは男も女もあんま変わらねーな…まぁ、ちょっと胸が苦しいけど。
締め付けると言うより飾りの意味合いが強いベルトをセットすると一応、形だけは何とかなった。
最後の仕上げとして昨夜放り出した靴を足元に揃え並べる。
ふと昔、楓に読み聞かせてやった童話を思い出す。今まで着た事の無いようなドレスにガラスの靴を突然差し出された彼女はどんな気持ちだったのだろう。
南瓜の馬車は俺には無いが大変身して外に出るって所だけは今の自分の状況と同じような気がした。
―――あの主人公もそれなりに覚悟、ってのがあったのかな。やっぱ。
今ならオスカー賞も狙えるぐらいの臨場感で読み聞かせをしてあげれるかもしれない。まぁ、楓はもう絵本なんかとっくの昔に卒業しちゃってるだろうけど。
それに俺が向かう先はお城の舞踏会じゃなくて会社のデスクだ。
くだらない事を考えたもんだ、と自分へ自嘲の笑みを浮かべゆっくりと立ち上がる。多少ふらつきはしたが何とか立てる。
カツリ、と甲高いヒールの音を響かせ、女性の化粧なんてやり方はさっぱりなのですっぴんのまま家を出た。





家を出て2度目の曲がり角でもう後悔した。
―――足痛てぇぇっ…っ!!
もう心は半泣きだ。
足の降ろし方が拙いのか踵を地面につける度にヒールが突き刺さる様な痛みを感じる。そのまま足貫くんじゃねーか、これ。歩幅の感覚も違っているのか普段通りの距離を歩こうとするとスカートの裾が太ももに食い込む。大股で歩くせいか靴も脱げ易く踵が靴ずれ起こすのも時間の問題だ。ふらふらとよろけて通勤途中のサラリーマンにぶつかり掛けたのもこの数十メートルの距離で一度や二度じゃないし…
―――これ、マジで会社いけるのか…?
予定変更。
徒歩で駅までは軽いだろうと思った俺が甘かった。バスに乗ろう、バスに。
地下鉄の入口までは歩きのつもりだったが、この痛みでは無理だ。あと帰りは絶対靴変えよう。慣れれば余裕よなんてネイサンのウソツキっ!
ギリギリと歯ぎしりを我慢しつつ、時より電燈に身を寄せ休憩を取りながら一番近いバス停へ向かう。
通勤ラッシュが始まり掛けているこの時間、予想通り多数の背広姿がバスの前で行列を作っていた。
その最後尾に並び何とか気合とプライドだけで立ち姿だけは様になる様に立つ。靴売り場でカリーナに叩きこまれた『モデル立ち』とか言う奴だ。なんでもガニ股で立つ俺はすんげー見苦しいらしく、散々な事を言われながらもなんとかこれだけは物にした。
さてあと何分ぐらいで…と腕時計をみると背後からカツカツとヒールの音を立てた、正しくキャリアウーマンと言った風貌の女性が虎徹の横を通り抜けた。
まさしく颯爽。あんな風にカッコよく歩けるようになるには、このヒールと言う苦行にどれだけ耐えたことか…
半ば感動交じりの目線で彼女の背中を見送るとふとその女性が振り向いて虎徹を見た。
え、と一瞬ぎくりとする。少なくても偶然ではないであろうと判る感情の込められた目。しかも好意や好奇心と言った物ではなく、どこか訝しがるような目。それがまっすぐ虎徹を見ていたので、思わず自分が男に戻ってしまったのかときょろきょろと体を見回す。
…残念ながら戻って無い。
いったい何なんだと真意を問うように見つめ返そうと顔をあげるがそこにさっきの女性の姿は無かった。さっさと歩いて行ってしまったらしい。
―――なんなんだよ、いったい…?
少なくても初対面の女性にあんな顔されるいわれは無いぞと、ちょっとムッとした虎徹だが、数十分後先ほどの彼女の視線の意味を知った後激しく後悔した。
―――あー、そういや俺以外にバスに並んでた人の中に、女っていなかったよなぁ…
先ほどすれ違った女性の真意がわかった。
彼女は知っていたのだ、コレを。そして心の中密に警告していたのだ。
まさしく鮨詰めとしか言いようのないこのバスの中の混雑っぷりを!
終点である駅までそう遠くないせいか誰も降りず、そして歩きたくないと思うのも無理もない様なぽっちゃりメタボが目につくこの密室。
若い女の子はそりゃ嫌がるわな…、とギュウギュウと背中に圧力を感じながらこけない様に、潰されない様に必死に釣輪にしがみつく。女性がゼロって程ではないが相当先の乗り場からのっているからだろう、全員座ってる。あー、楽そうでいいなぁ。
普段は歩いて通る街並みを眺めながらこの拷問の残り時間を考えているとザラリと慣れぬ感覚が背筋を走る。
―――Σっ!?こ、これは…
気のせいであってほしいと願いつつゆっくりと首を後ろに向ける。同時に先ほどと同じ感覚が今度ははっきりと尻をなぞる。
…その瞬間、虎徹の我慢が限界を迎えた。





「あれ、オジサ…じゃなくてオバサン。今日はずいぶん早いんですね」
デスクに突っ伏してぐったりとしている虎徹の背中にバーナビーの声がかかる。
「………」
ピクリとも反応しないその姿に疑問に思いつつも自分のデスクのパソコンの電源を入れるバーナビー。しかし起動しメールフォームを開いても一切反応の無い虎徹を流石におかしく思い顔を覗きこむ。
「オバサン…?」
「バ、二ー…」
ぐったりとやつれた顔をゆっくりとあげる。
「俺、お前の忠告守れなかったみたい…」
「は…?」
のそりと緩慢な動きで上半身をあげ、珍しく電源の入っている自分のモニターを指さす。
ワイドショーの合間に流れたニュースはこのシュテルンビルトの一角が映し出されている。
「…これは」
『はい、こちら現場です。本日8:20分、この区画を運行中だったバスが突然揺れ急停止いたしました。床の一部に空いた穴から犯人はNEXTである可能性が高く、現場はいまだ騒然としています。尚、この件による死傷者は奇跡的に居りません。しかし…』
「……」
よくよく見ればそれはバーナビーも何度か足を運んだ事がある虎徹の家に程近い風景で。
ふと覗きこんで足元をみると踵の折れたヒールが無雑作に転がっていて。
そしてこの落ち込みよう…
「…まぁ、普段の破壊行為に比べれば死傷者もいませんし…しかし、何があったんですか」
すぐに別のニュースに切り替わったテレビ画面を消しながら、バーナビーが虎徹に尋ねる。
「…………………………………痴漢にあった」
断腸の思いで、ようやく聞こえるかという小声。
バーナビーの眼鏡が異様な光を反射した。





(とりあえず殺してきましょうか、その不埒な輩は…)











にょたTOP  








「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -