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いい声…………
数学の授業は一番嫌いだったのに、何でこんなにスンナリ頭に入るんだろう。
あの人の黒板の字が綺麗だから?
理路整然と、説明の仕方が上手いから?
…………それもあるけど、やっぱ一番はこの声だ。
それと……
自惚れなのかなあ?
大事なとこ説明する前と、した後で僕に真っ直ぐアイコンタクトしてくれるような気がするんだ。
イシド先生は僕にとって完璧な人。
先生としてはもちろん、保護者としても―――
ルックスも最高。頭もいいし、いかにも運動神経抜群のソツない身のこなし。
目先も利いていて常に二、三手先を読んでいそうな鋭さと、包容力を兼ね備えた切れ長の瞳。
教室でも、家でも、気づくといつもぽかんとロをあけてイシド先生に見とれてる自分をどうしようもないんだ。
そして視線が合うと「フッ……」って目を細めて微笑う。
恥ずかしい……けど
心が温かい。
“あそこ"を抜け出してきて良かった。と
心底、そう思ってる。
僕はとある理由から、長い間お世話になっていた “施設" を出て、ここに編入してきた。
決め手は二つ。
得意なサッカーを生かせること。
そして、寮があること。
そんな学校を探していた高一の二学期、編入学を受け入れてくれる全国のサッカー名門私立を探していてここへとたどり着いた。
親権のある伯父さんたちは、話さえうまくまとまれば、入学も寮生活も認めてくれると言ってくれてたけど……条件を満たす受け入れ先はなかなか見つからなくて。
そんな中、雷門高の円堂監督はすごく寛大で、定員数を越えてるのに「サッカー好きなやつを断るわけにはいかないぜ!」って受け入れを許可してくれたんだ。
そして……
円堂監督の優しさに甘えて、僕はもう一つ無理なお願いをした。
それは寮の部屋を「個室」にしてほしいということ。
それには円堂監督も困ってしまった。
というのも寮は今ほぼ満室で。無理してねじ込んだとしてもせいぜい四人部屋が精一杯。
そんな時、僕を引き取ると円堂監督に申し出てくれたのが、イシド先生だったんだ。
理由はやっぱり「サッカーが好きなヤツから機会を奪ったらいけない」ということ。
その申し出がなければ、今の僕はない。
部活帰りに、そ〜っと職員室を覗くと、イシド先生の席の周りだけ明かりがついている。
「部活、終わったのか」
「うん……あ、はい」
それを聞くと、イシド先生はペンを置いて机を片付け始めるから、僕は慌てる。
「あの、いいです。先に帰っときますから鍵を……」
「いや、一緒に帰ろう」
あっという間に机が片付きPCもシャットダウンされる。
帰り道、イシド先生の赤いスポーツカーの助手席に乗せてもらって、サッカーの話ですごく盛り上がった。
イシド先生はすごくサッカーに詳しくて……彼の話を聞いてるとすっごく勉強になるんだ。
「ね……先生……」
「何だ…?」
「先生は、サッカー…やってたんですか?」
しばらくの沈黙。
「……………いや」
何となく……
何となくだけど、フロントガラスの向こうを見つめるイシド先生の横顔が曇ってみえる。
「じゃあ何でそんなに神がかり的にサッカーに詳しいんですか?」
「………サッカーは嫌いじゃないからな」
イシド先生はハンドルを切って、スーパーの駐車場に入り、車を停める。
「買い出しをしてくる。少しここで待っててくれ」
「え、僕もいきたい…」
「制服で、か?」
「先生同伴だからいいんだよっ」
「……………」
イシド先生は少し困ったような顔をした。
「いや、時間も遅いし…その…」
「?………」
「…とにかく、待ってろ。欲しいものがあれば買ってきてやるから」
「……………」
僕は黙って頷き、ココアとお菓子と……それと、カレーライスの材料を頼んだ。
明日からテスト週間で部活が早く終わるから、先に帰って夕ごはんを作ろうと思って………と伝えると
「ありがたいな」
と優しく微笑んで頭を撫でてくれた。
そして、すこし考えてから……
車を降りる間際に僕に言ったんだ。
「吹雪」
「はい?」
「俺だって、四六時中先生な訳じゃない。それに…」
「?………」
「先生だから、正しいことばかりする訳でもない…」
「…え、でも…」
イシド先生は完璧だよ…って言おうとして、
僕は固まった。
頭を撫でていた大きな手が頬を包み、イシド先生の顔が近づいて……
額に、唇が触れたから。
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