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「まさしく…ノアの箱舟だな」
案内した僕の部屋を見渡しながらフードを脱ぎ、
豪炎寺くんは落ち着いた声で呟く。
「そうだね …確かにNOA(ここ)は……不毛の地に再び生を与える希望の舟のようなもの……」
肌の色が濃くなり精悍さと鋭さを増した彼の横顔を正視出来ずに、僕はさりげなく目をそらす。
そんなに広くない部屋の壁一面を占領する大きなモニターと、多種多様な植物が植えられたビーカーのような植木鉢の陳列棚。ここが僕の研究室を兼ねた住まいだった。
「このモニターの地図はね、コミュニティの中に作った里山エリアなんだ。この中で青く光るのはウサギ、白はキツネ、赤はクマでね……この点滅はイノシシで、これがシカなんだけど……生態系を自然に成り立たせるのは難しくて…」
僕は、ふと赤くなって口をつぐんだ。
だって豪炎寺くんがすごく優しい目でこっちを見てるから。
「お前が楽しそうで良かった」
「っ……僕のことは良いよ。あの…さ………君の話も聞かせてほしいな」
「…………俺の話、か」
豪炎寺くんは、少し困ったように肩で息をつく。
「ここへ何しに来たの?………アンドロイドって?」
「…………」
ねぇ、どういうことなのさ?…………と少し責め立てるように身を乗り出した僕の頭を、
彼の温かい掌が宥めるようにくしゃくしゃ……と撫でた。
その瞬間、秘めてきた大事な想い出が、涙と一緒にとめどなく溢れ出してきて。
初めてひとつになれた夜のやりとり……
『頭撫でるの…好きだよね?』
『……いや……』
『それはお前の髪が……綺麗な色で柔らかくて……いい香りで…だから触れたくなるんだ』って。
あの要塞で君に仕えた日々、
僕は幸せだったんだ。
奴隷だなんて表向き。
君は、いつだって僕を愛し
僕のこと必要としてくれていたから…………。
「……吹雪……」
気づいたら僕は豪炎寺くんの首にぎゅっとしがみついていた。
「ご…えんじくん……」
もうどこにも行かないで僕のそばにいてよ―――!小さな子みたいに喚きたいのに、胸が痛くて言葉が出てこない。
「…………俺は…」
何を言われるのかが怖くて、彼の首が締まるほど、絡める腕がきつくなる。
「俺は……この半年間でアンドロイドに自分ののすべて明け渡してきた」
「……………………?」
「成り代わられた俺の元にはもう、過去はもちろん名前すら残っていないんだ…………分かるか?」
耳元で豪炎寺くんの、ふっ…と笑むような吐息が漏れた。
「つまり………今度は俺がアウトローという訳だ」
「アウト……ロー?」
アウトロー……?まさか、君が?
僕が思わず腕を緩めて彼の顔を覗こうとすると、
彼はふわりと僕の視界から消える。
「ご、豪炎寺くんどうしたの?顔を上げてよっ」
僕の前に跪いてしまった彼を慌てて起こそうとするけど彼は顔を上げない。
「吹雪、頼みがあるんだ」
余裕なく「何?」と聞き返す僕を、
吹っ切れたような強い眼差しが
下ろした金髪の隙間から覗いてる。
まさか、
跪く彼のこうべを
僕が見下ろす日が来るなんて………
「しもべでいいから…………」
「えっ?」
「俺を傍に置いてくれ」
「っ…………そんな…………」
「これからはずっと…………吹雪に仕えて生きる」
「………………」
僕は答えを躊躇っていた。
彼にとっては、僕への贖罪の意図もあるのだろうか。
彼は、僕の命を2度も助けてくれたには違いないけれど………でも『ずっと僕を使い続ける』という約束を放棄して2年強、僕を放置してたから。
しかもその間に結婚相手の家と急接近して、一体何をしでかしていたのか、ロも重くて。
さらには、しもべになるだなんて……僕に対してどれ程の埋め合わせが必要な後ろめたさを抱えているのか、不安が胸を掻きまぜた。
「っ…………だったら……」
嫉妬とか甘えとか、心細さとか………もどかしさとか。
込み上げるいろんな感情に急かされた僕の口から
「僕を………気持ち良くしてよ」という 言葉が零れる。
声の震えは押さえていたのに…………
豪炎寺くんは、ギュッと握った僕の拳が震えているのに気づいて、跪いたまま両手で包む。
そして熱い唇がチュ…と音を立てて吸い、そのまま僕の結んだ指をほどいて優しく口内で弄ばれれば、それだけで腰が砕けそうで。
「待……って」
そのまま腕を舐め上げる豪炎寺くんの舌から逃れるように手を引いて身を捩ると、今度は立ち上がった彼に背中から抱かれて、耳の後ろや首筋を音をたてて舌が這い「ぁ……あっ」とよがるような声が零れてしまう。
「やめ……て」
と伝えれば、豪炎寺くんは僕を抱きすくめたまま従順に動きを止めるから…
そのまま僕は彼の腕を震える指で掴み「こっちへ………」と奥のベッドへと誘った。
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