黄昏のむこう側 | ナノ
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「よかった………ぼくもおなじだよ……」

疚しさの共有。
自慰を打ち明けた時の、安堵した吹雪の微笑が、豪炎寺の脳裏に焼きついて離れない。

堪らなくなって、つい、触れてしまった。
その唇はとても柔らかく、吐息は甘い匂いがして………真っ白な肌を包むように抱きしめて。

昨夜はいつになくよく眠れた。
肉欲とは別の、愛しい気持ちが通じあえた充足感のせいだろう。

それがようやく踏み出した一歩だとするなら、まだこれから先踏み込んでいけるとばかり思っていたのに―――――


翌日は一日、暑い中訓練場に付き添いで出向いていた。
汗だくのまま夕方医務室に戻ると、ドアに飾られた花束に目が止まる。
野の花を集めた可憐な花束を手に取ると、リボンがわりに時計が巻き付けられていて……

それは他ならない吹雪が来ていた証だ。
しかし何故このタイミングで、こんなことを?

胸騒ぎがして調理場を覗くと、いつぞやの駆け落ち騒ぎの男が戻ってきている。
調理場の責任者を掴まえて吹雪のことを訊ねると、今日で仕事を辞めたのだと聞かされた。

その足で向かった廃校の体育館。

彼らが布団にしていたマットは倉庫の隅に詰まれ、そこはもうもぬけの殻で――――



それから三月が経ち、季節はもうすぐ冬になる。

豪炎寺のこの国での任期も、もうまもなく終わる頃だった。

今までずっと暇さえあればこの町を歩き続けたのは、任務の一環の時もあったが………どこかでいつも吹雪を探していたからだ。


この三月で、町も見違えるように変わった。
新しい建物が増え、吹雪の棲んでいた廃校も修復が始まっていた。

豪炎寺は、あの体育館の前でまた足を止める。

復興する町の息吹に目を輝かせていた、あの綺麗で儚げな横顔を思い出して。
もうこの町にはいないかも知れないのに――――



「あの……………豪炎寺さん」


背後から掛けられた声に………ハッと息を止める。

振り返る前から誰の声か判ってた。
今まで何度も見た幻覚ではないとするなら、それは…………

「吹雪。お前、今までどこに……」

「ごめんなさい………」

夢中で振り返り、言葉より先に抱きしめていた。

「どうして、俺に黙って消えた?」

「………ごめ………んね………」

強く押し付けた頬に響く熱い鼓動に、吹雪は胸を震わせる。

「……………無事ならいい………こうして会えたのなら………」

いつも冷静な豪炎寺の少し上擦った声に、自分が黙って姿を消した事の重大さと懺悔の念がじわじわ沸いてきて全身を覆い尽くす。

「…………ごめん………ほんと………ごめん………僕ね、ただ…………」

“君と対等に向き合いたかったんだ”と震える声で吹雪は零した。

「どういう意味だ?」

「…………それ…は………」
唇から今にも溢れそうな思いを、吹雪は必死で呑み込んだ。

「……………今夜、また会えるかな?」

「今じゃ駄目なのか?」

「仕事中………でしょ?君も僕も」

打ち明ければ止まらなくなるのは目に見えていたから。

勤勉な軍医の仕事の邪魔にならないように、溢れてやまない熱に二人が押し流されないように、腕の中で吹雪のなけなしの理性が小さくもがく。

「夜8時に、またここへ来れる?」

「ああ。必ず来るから…………」

もう消えたりするな、と低い声を押し出して強く抱きしめてくる腕に、熱を帯びた吹雪の身体がしなやかに軋んだ。

「うん……………」

もう離れたくないくせに一生懸命逃れようとする吹雪から、身を剥がす思いで腕をほどく。
軍服を掴んでいた吹雪の左手首には、あの時破った自分のシャツがしっかり巻かれているのを見て、気持ちがスッと落ち着いた。

「取り乱してすまなかった」

「ううん…………嬉しかった…」

瞼に滲んだ涙をそっと拭いながら、幸せな気持ちで吹雪は小さく首を横に振る。



その晩、豪炎寺は約束どおりにやって来た。

吹雪は彼を、誰もいない学校の用務員室へと案内した。


「今ね、住み込みで学校の修復作業をしてるんだ」

「つまりここが今のお前の住まいということか」

給湯室で淹れてきたお茶を卓袱台に置きながら、吹雪は頷いた。

「先週からはそう。それまでは二か月間、向こうの山のトンネル修復工事をしてた」

「………それはまたハードだな」

「ふふ、その分手当ては弾んだよ。もう雪村もいなくて気楽なひとり身だし………」

気楽、という割には寂しげに見える。
引き揚げ関連の情報は、仕事の合間に色々探っていたから、吹雪が今一人でいることは予想がついていた。
でも聞きたいのは、そこじゃなくて…………

「それで……どうなんだ?今のお前は俺と対等に向き合えているんだな?」

そんなこと元から意識していなかった豪炎寺だが、昼間の吹雪の思い詰めた口ぶりを受け止めて、真摯に問いただす。

「うん。ようやくね、自分で衣食住をまかなえるようになったから………」
一瞬睫毛を伏せた吹雪の頬が赤く色づく。
「だから教えてほしいんだ。進駐軍の戯れの恋のじゃなく、君に………ちゃんと添い遂げるのに相応しい相手になるには、僕はどうしたらいいの?」

「…………」

潤んだ目に見上げられて、豪炎寺が息を呑む。

「君は………今僕と結ばれても、いつか家族のいる国へ帰ってしまうんでしょ?」

「…………吹雪………」

「僕も一緒に行くにはどうしたらいい?」
零れそうな大きな目には涙が浮かんでいる。
「お金ならもっと貯める。ほかに必要なことがあれば、何でもするから………」

卓袱台に身を乗り出した吹雪の手首を掴んで引き寄せた腕のなかで「一人にしないで………」と小さな呟きが聞こえる。

「お前が異国に渡る必要は無い。俺はお前の元へ必ず戻るから………」

「……でも……」

不安げに見上げてくる吹雪の唇を、唇で塞いだ。
言葉よりも今は温もりや感触で吹雪を確かめたくてて………


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