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「何一人で笑ってんですか?」
「………っ」
びくりと肩を震わせて我に返った吹雪の真正面には、雪村が立っていた。
「あ……れ?おかえり……………どこ行ってたの?」
教え子に睨まれた吹雪は顔をそらすが、見たことない恥じらいの表情を、思春期の少年が見逃すはずはない。
「あっちの角の家、建て直すっていうから……廃材の片付け手伝ってたんです」
すっかり更地になった場所を指さしてみせた雪村は、ぷいっと顔を背けて吹雪を追い越し、体育館に入っていこうとする。
「あ……」
その背中を吹雪は慌てて追いかける。
「待って、君、びしょ濡れ……」
「大丈夫。埃だらけになったから水かぶって来たんで」
「ええっ、風邪引かない?」
足を緩めない雪村と肩を並べて、吹雪はしかめっ面を覗き込む。
「この天候ならすぐ乾きますよ。てか先生こそ顔赤いけど、熱でもあるんじゃないですか?」
「っ…………!」
やっぱり気持ちがうまく切り替わってないみたいだ。
教え子を目にしても火照ったままの心身を抱え、吹雪は住処に入る。
「お疲れ様。これ今日のごはん……」
「……………いただきます」
朝食兼昼食のボリューム沢山の食事に黙々とありつく雪村を見ながら、吹雪は思考を巡らせる。
この辺りも復興が始まっているのだ。
きっとこの廃校も近いうちに取り壊しだろう。
僕たちも早く、ちゃんとした住まいを探さないと………
食事は充実したけれど、まだ足りないものはたくさんある。
豪炎寺との色事を思い起こして浮かれてる場合じゃないのに…………まだ気持ちと肌が浮わついている自分を、少し情けないと思う。
「さっき誰か来てたんですか?」
「…………」
「………どうせあの軍医だろうけど」
「ああ………うん、休み時間の散歩でそこまで来た……みたいで……」
「ふ〜ん………」
普段なら沈黙も気にならず、ガツガツ食べる雪村に目を細める幸せな時間なのに、今日は何だかいたたまれなくて。
「どこ行くんです?」
「ちょっと港…………見てくるね」
食事を包んできた英字の新聞紙をくしゃくしゃと丸めて片付けながら、吹雪は雪村に背を向ける。
「次の引き揚げ船は秋にしかこないのに?」
畳まれたマットに凭れてくつろぎながら呟く雪村を残して、吹雪は体育館を後にする。
でも…………奇跡は突然起こるのだ。
予想なんかで測れるものじゃなく。
引揚げ港の休憩所にある“尋ね人掲示板”。
その前に立って、びっしり貼られた紙を食い入るように眺めている軍服の男を見つけた時、吹雪の世界から音が消えた。
心臓の音さえ掻き消えた無音のなかで、吹雪はその男の肩に夢中で手を伸ばす――――
やはり、その男は雪村豹牙の父に間違いなかった。
もう三月も前に南島から引き揚げてきていたが、負傷していたため、上陸とともに病院送りになって。
退院後すぐに都内の家に戻ったが、跡形もなく………
先に訪ねた吹雪たちが、近所の人にこと付けておいた“伝言”を便りに、ここへと辿り着いたらしい。
この日が来ることを強く願って暮らしていた。
だから、豹牙と重なる面差しの中年男を前にした吹雪に、まず押し寄せたのは安堵の大波で。
それから無意識に、孤独の渦に呑まれていく心からは頑なに目をそらし続けた。
そうすることに慣れていたのだ。
そうやって今までも、天涯孤独で生きてきたから
。
自分のこと、これからの不安を頭の中から掻き消して、雪村の気持ちだけに入り込む。
そうでもしないと、笑って父子を見送ってやれないから――――
そして、自分がこの世に生きる意味を、明日からまた探さなくちゃならない。
軍の厨房で貰う報酬の食事は、一人じゃもう多すぎるなあ………なんて考えていたら、偶然は重なるものだ。
吹雪が父子を見送った翌日、駆け落ちして居なくなっていた調理補助の男が、相手の女と別れて厨房に戻ってきていた。
明日からここへ働きに来る必要もない。
むしろこの町に留まる必要さえ、もう無くなってしまったのだ。
「帰ろうかな………白恋に………」
最終日の報酬は、食物ではなく電車賃にしてもらった。
厨房に最後の挨拶を済ませた吹雪の足は、帰郷を考える頭とはうらはらに、医務室へと向いていた。
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