黄昏のむこう側 | ナノ
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早く着きすぎちゃった………

約束の門の前で腕時計を見た吹雪は、7時を過ぎたばかりの針を見て、そわそわする気持ちを落ち着かせようと息を吐く。

知らない間に、この広い敷地に現れた立派な建物。

吹雪がこの町に住みついた頃、この辺りは焼け野原だった。造船所か工場があった場所だと聞いたことがあるが………たった数ヶ月でこんな立派な軍事施設を作るなんて、技術も物資も有り余る大国にしかできないことだ。

羨望……というより感嘆に近い気持ちで施設内を眺めていると、門の正面の通りをさっきから何度も横切る一人のコックの姿をいつしか目で追っていた。

彼は何故か不機嫌で、荷物を運んでいるのだが、台車の扱いにも慣れてないように見えた。

「糞っ、何で俺がこんなことまで……」

近づいてみると、案の定、不機嫌なコックはブツブツ文句を言っている。

「………あの、お手伝いしましょうか?」

吹雪は思わず声をかけていた。




「遅っそいなあ…………」

約束の時間ちょうどに着くように出てきたのに、待ち合わせ場所の門に、吹雪は一向に現れない。
雪村は苛つきながら「先生………大丈夫なのか……?」とひとりごちる。


「雪村」

「………え?」

意外なところから掛かる声に、雪村は驚いて振り向いた。

「ごめん、遅くなっちゃった」

「………………って、どっから出て来たんです?」

「あはっ、ちょっと職を探し、かな」

「はぁ……??」

吹雪が現れたのは兵舎の方からだ。雪村は不審げに顔をしかめる。

「ここをどこだと思ってるんです?米軍基地…」
「だからだよ」

吹雪は大きな目を見開いて雪村を見返した。
しっかりと地に足つけて立っているこの子を見るのはいつ振りだろう?
身長差が解消されつつあるのか、近くなった目線にも驚きながら………

「ここなら人雇う余裕があるからさ…………ほらっ」

「…………」

吹雪が手にしていたのは、メモ書きの簡易なものだがたしかに“契約書”だった。

「明日から、調理補助兼雑用係でここの厨房で働くことになったんだ。欠員が埋まるまでの日雇いだけど、給与は“食料”にしたんだよ。だからほら、今日もお土産♪」

「はぁ…………」

目を輝かせてリンゴを手渡す吹雪を呆れたように見つめながら「どうも」と、ため息まじりに受けとる。

「ふふ、これで成長期の君の、栄養もしっかり確保できるよね」

「まあ先生も、もう少し大きくなった方がいいと思いますけど」

「なっ……」

数日前までの翳りはどこへやら、弾けるようにくるくる変わる吹雪の表情に、雪村は何故か胸騒ぎして目をそらす。
生活のためとは言え、よりによって何で進駐軍の兵舎なんかに…………
正直、これ以上この場所に、先生を出入りさせたくなかった。

「…………さ、帰りますよ」

「………あ、うん……」

「あの軍医ならもう来ない」

「…………え?」

名残惜しげにキョロキョロしている吹雪を置いて、雪村が歩きはじめる。

「あ、待って……」

追いかけた背中は、なんだか急に大人びて見えて。
………てか、雪村ったら、なんで尖ってるんだろう。まさか突然の反抗期??

これはきっと、あのドクターのせいだ。
雪村の伸びた背筋も、たしかな足取りも。

肩を並べて家路を辿りながら、吹雪は横目で雪村をちらりと見る。

あの人にたった二晩預けただけで………教え子は体調が戻っただけじゃなく、未熟さの殻を破った。

もしかすると………雪村が弱らせ、救えなくなりかけたのは、僕のせい………?

彼を庇護することを、僕が心の支えにし過ぎていたから。
結果、そのことが彼の生命力をひ弱なものにした。

しまいには自分の存在を“お荷物”だと思いこませてしまって――――


「そういえば俺の治療費は、取らないらしいですよ」

「え………」
子ども相手にそんなことまで……豪炎寺はどういうつもりなのだろう?鼓動が早鐘をうつ。
「でも、そんなわけには……」

「先生が友人だから手を貸した………ってあいつは言ってた。それに何もない俺たちが、何を払えるんです?」

雪村は足を止め、眉をしかめて吹雪を見上げた。

「………ゆう……じん………?」

「そう。だから“バカなこと”は考えないでくださいね」

吹雪の瞳に動揺が見える。
その反応に戸惑う雪村の肩に、女のバッグが軽くぶつかり、密着した男女の影が追い抜いていく。
朝帰りの米兵と売春婦………

“バカなこと”が何なのか、なんて訊くまでもない。
その男女に向けた雪村の軽蔑の眼差しで、吹雪はその意味を悟らざるをえなかった。



それから一週間。

雪村の生意気ぶりは相変わらずだし、だいぶ早い調理場の朝にも慣れた。

一日分の食材を向こうの倉庫から運び、できる限りの下拵えをした後、朝食を出した後の片付けをしたら業務完了。
報酬は、朝食のお裾分けと、倉庫にある好きな食材を手に持てるだけ………かなり条件のいい仕事だ。

サイズがなくて女性用らしいが真っ白なTシャツも支給されて、清潔感もバッチリだ。
衛生面の問題としては………手袋のサイズもなくて素手で野菜の皮を向いたりしていることだ。
だから、怪我などをした時は…………同じ階の廊下の反対側にある“医務室”で必ず手当てをするように、と言われていた。

つまり、豪炎寺のもとで…………

でも、意外と怪我なんてしないものだ。
会いたいけれど、厨房の中じゃ、偶然に顔を合わせることもない。

何もないのに、医務室の彼を訪ねる勇気もなくて――――

「…………いっ………っ………!」

そんなことばかりに思考を奪われていたからだろうか。

じゃがいもの皮を剥いていたピーラーをうっかり滑らせて、親指を傷つけた吹雪は、一瞬途方に暮れた。


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