焦がれるほどに


あれから二人の距離は元に戻っていた。悩んでもキリがないことに気がついた名前は密かに鬼灯を想いながらも同僚と接している。書類を届けに行けばちょっぴり長居して、鬼灯からの仕事依頼は張り切った。
ふと手で触れてしまう髪飾りはもうなくしてはいない。毎朝それを見るたびに、もう少しだけと決意したことを思い出す。どうなるのかなんてわからないけれど、今の関係も名前にとっては満足なものだった。

「確認お願いします」

書類を提出すると名前は机の上の金魚草に手を伸ばした。
自分たち二人しかいない空間に彼を独り占めしたような特別感がある。少しでも長居しようと愛情込めて育てて贈ったピンク色の金魚草に視線を向ける。
あくまで金魚草を構っているだけ。いつものように言い訳を作ると金魚草の体をつつけば、金魚草は甲高い声で鳴き声をあげた。
そうすれば隣の金魚草も泣き出して大合唱。鬼灯は眉根を寄せると金魚草を睨んだ。

「うるさいんですけど」
「かわいいじゃないですか」
「邪魔するなら出て行ってください」
「それは、邪魔しなければいてもいいってことですか?」

笑う名前に鬼灯は呆れたようにため息を吐いた。このやりとりも何度したことか。変わらない彼女に安心しつつもじれったかった。
とりあえずうるさい金魚草の口を塞ぐように指を突っ込めば、鬼灯が育てた金魚草は苦しそうに鳴くのを止め、それを見たのかピンク色の金魚草も口を閉じる。
なにやら調教されている金魚草に苦笑する名前を鬼灯は見上げた。

「仕事が忙しいんですよ。構ってられません」
「昨日も徹夜ですか?」
「そうです。今日で二徹目。金魚草の声は頭に響くんです。特にこのピンク色のは」

名前が改良した金魚草は泣き声も他に比べて高い。鬼灯は机に肘をつくと頬杖をしながら金魚草を眺めた。
目の前で揺れている分には癒されるだけなのだが、徹夜が続くと鳴き声がだんだんと鬱陶しくなってくるのだ。
金魚草愛好家の鬼灯がそこまで言うのだから、かなり疲れているようだ。名前は心配そうに鬼灯を見つめた。
数秒目が合って、結局は恥ずかしくて逸らしてしまうのだが。
顔の血色をよくする名前に、鬼灯は持っていたペンを机に置いた。

「少し休憩します」
「じゃあお茶淹れて来ますね」
「いえ、いいですよ。その代わりこれを」

鬼灯は机の引き出しから何かを取り出すと名前の手のひらに載せた。
どこか見覚えのあるような包み紙に名前は首を傾げながらその飴玉を受け取る。

「なんですかこれ?」
「書類急ぎで作っていただいたお礼です。疲れているときは甘いものがいいでしょう?」

鬼灯はそう言うともう一つの飴玉を口の中に放り込んだ。普通に飴を食べ始めた鬼灯に名前も包み紙を開ける。
飴玉でさえ鬼灯から何かを貰うことはなかった名前は感動しながらそれを口にした。
口の中に入れた飴玉はしゅわしゅわと弾けるように甘さを広げる。

「おいしいです。しゅわっとしてすぐになくなっていきますね。…あれ、これどこかで……」
「名前さん、こっち」

どこかで経験したような体験に首を捻りながら、鬼灯の手招きに従う。
言われるがまま鬼灯の横に行き、その場で腰をかがめしゃがみ込む。
理由がわからなくて鬼灯を見上げれば、鬼灯は彼女の頭の上に手を乗せた。

「鬼灯様?」

わしわしと撫でる仕草に名前の顔が一瞬にして染め上がる。鬼灯は構わず名前の頭を撫でた。

「動物を撫でると癒されるんです」
「ど、どういうことですか。あ、まさか……!」

飴玉と撫でられていることにいつかのことを思い出す。こんなシチュエーションがあったではないかと。
名前は咄嗟に自分の頭に触れた。そこには思ったとおり猫の耳が生えていた。飴玉は魔女の谷で買ったジョークグッズだったのだ。
猫耳を隠すように手で覆っても鬼灯に払いのけられて触られる。名前は恥ずかしくなって顔を俯かせた。

「…動物が触りたいなら等活に行けばいいでしょう」
「行く暇がありませんので」
「私じゃなくても……」
「いいではありませんか」

鬼灯はそう言って名前の顔を掬い上げた。真っ赤な表情で目が合う彼女に鬼灯は目を細めた。

「あなたも嬉しいんでしょう?」
「じ、自意識過剰です!私はもう鬼灯様のことは……」
「嘘はいけませんよ。こんなに真っ赤にして」

鬼灯の手が名前の猫耳ではないほうの耳に触れる。顔だけではなく耳まで真っ赤に染め上げ、名前はぴくりと肩を震わせた。
その反応に鬼灯は愉快そうに、けれど無表情で指を這わせる。くすぐったさからか名前は困ったように目を瞑った。
無防備に顔を赤くする彼女に鬼灯は心がくすぶるのを感じた。
ただからかって反応を楽しもうと思ったのに、それで仕事のストレスを和らげようと思っただけだったのに、今度は余計なことを考えてしまう。
鬼灯はもう一度名前の顎に手を添え、そっと目を開けた名前は、顔を近づけてくる鬼灯に驚いたように目を丸くした。

「鬼灯様……」

か細い声で呟き、耐え切れなくなって目を瞑る。唇を固く結んだ名前の心音はいつもより早くなっていた。
顔が近づいてくるのが肌で感じることができる。息が近くなって、さらに顔が熱くなっていく。
鬼灯も目を瞑り唇が触れようとしたとき、執務室のドアが勢いよく開いた。

「鬼灯様!法廷で亡者が暴れだしてしまって…!鬼灯様?」

机で仕事をしているはずの鬼灯が机や書類に隠れて何かをしている。もう一度声をかける獄卒に鬼灯は名前から手を離し顔を上げた。山になっている書類のおかげで名前がいることに獄卒は気がついていないようだった。
何もせずに離れていく鬼灯に名前はゆっくりと目を開けた。
顔を上げ獄卒と話す鬼灯の横顔はいつもと変わらなかった。落としたペンを拾っていたかのように装う彼に獄卒は何も疑問に思っていないらしい。
亡者が暴れて裁判が進まないと助けを求める獄卒に鬼灯は頷くと、椅子から立ち上がり金棒を手に取った。そのときにちらりと名前を見るが、何も言わないまま部屋を出て行った。

混乱しすぎてまともに呼吸も出来ていなかった名前は、盛大に息を吐いた。
その場に座り込み手で顔を覆う。熱い顔と脈打つ心臓が張り裂けそうで苦しい。

「鬼灯様は何を……」

からかっているのか本気なのかよくわからない。けれど、あのときは確かに口付けされると思ったのだ。
もし獄卒が来なかったらどうなっていたか、頭を振ってその考えをかき消した。
期待に胸が弾み、自惚れてしまいそうになる。諦めようと何度も言い聞かせてきた彼への想いが溢れそうだった。
名前は黙り込んで熱を冷ます。冷静に理性を保って今一度自分の気持ちを整理するが、答えは既にわかりきっていた。

「……やっぱり私は、鬼灯様のことが好き」

振られたけれど必死にアピールしてきた。諦めろと言われて想いを消そうと努力した。けれど彼への想いは強まる一方で、それを知ってか知らずか彼は距離を縮めるようなことをしてくる。その気がなくとも、名前にとっては想いを加速させる行動だ。
改めて認識した鬼灯への想いに名前は泣きそうになるのを堪えた。会うたびに好きだと伝えていた頃とは違う今の想いを伝えることは許されるのだろうか。もう好きだとは言わないと言ったのに、どうしても伝えたかった。

「もう一回だけ……」

名前は立ち上がると決心したように頷いた。
本気の想いならば鬼灯は聞いてくれるかもしれない。それが上手くいかなかったとしても、本気の想いを伝えたかった。
名前はその想いを胸に仕事場へと戻った。


***


「どうしよう。言えるわけがない」

もう一回だけ本気の告白を!と思ったはずなのにいざ考えてみると尻込みしてしまう。
今日あれから一度も鬼灯と顔を合わせていないため、鬼灯の行動の理由も聞き出せやしない。
いや、鬼灯の姿を見るとつい隠れてしまうのだ。どういう顔で会えばいいのかわからなくて、顔を合わせれば顔が赤くなってしまうのはわかりきっていた。

「鬼灯様が紛らわしいことするから…!」

どうせ頭にごみがついていただとか、睫毛が抜けて顔についていたとか、そういう理由だろうと言い聞かせて何とか舞い上がらないようにする。
ただの同僚としてしか見ていないと言った彼に期待しても、落ち込むのが目に見えている。この前友人だといわれて少し距離は縮まったようだが、それ以上の関係を鬼灯に期待するのは無駄なことかもしれない。
デスクで百面相をする名前に経理課の獄卒たちは「またか」と苦笑していた。

「鬼灯様と何かあったのかな」
「どうせ何秒目が合ったとかだろ。主任乙女だから」
「そうよねえ。主任最近すごく可愛くなってる気がする」

机の上に頭をぶつけていた名前は、部下たちの話を聞いて冷静になった。
仕事中に考えることではない、仕事に支障が出たらどうする。そう言い聞かせて書類に手を伸ばすが、やるべき書類はすべて片付いていた。

「あれ」

ぱらぱらと片付いている書類をめくれば見たことあるもので、確かに自分が処理したものだ。
いつの間にやったかと首を捻れば、話していた部下たちがデスクに寄ってきた。

「主任、さっき一心不乱に書類捌いてましたよ」
「嫌なことあったのかと思ったら、良いことだったんですね」

心なしか口元が緩んでいる名前に部下たちはにこりと微笑む。名前は急いで表情を引き締めると咳払いをした。

「提出しないと。閻魔様のところへ行ってきます」

にやにやとする部下に見送られ、名前は足早に部屋を飛び出した。



閻魔に書類を提出し、鬼灯に会う前に退散しようと踵を返したところで視察から戻ってきた鬼灯と出くわした。
名前は目を合わせないように俯くと早歩きで鬼灯の横を通り過ぎようとする。しかし鬼灯に声をかけられてしまった。

「お疲れ様です、名前さん」

いつもより顔を近づけて、赤く染まる名前の顔を覗き込む。狼狽える名前に鬼灯は気をよくしながら、何食わぬ顔で閻魔に報告を始めた。
名前は顔を上げられぬままその場に立ち竦む。からかわれているだけだとわかっているのに意識してしまうのは、彼が好きだと再認識したから。
ここで好きと言えたらどれだけいいか。数ヶ月前、この場所で大胆な告白をしたとは思えないほど、今の名前はしおらしくなってしまっている。
いつまでも立ち竦んでいる名前の頭を鬼灯はバインダーで叩いた。

「仕事は終わったんですか?突っ立っていないで戻りなさい」
「は、はい!」

頭を押さえながら名前は顔を上げた。どうにか熱を冷まして真っ赤な顔は晒さなくて済んでいる。
先ほどのように慌てる姿を期待した鬼灯は、眉根を寄せると名前をじっと見つめた。名前はその視線を受け止め困惑する。そっと耳元に口を寄せる鬼灯は小さく囁いた。

「それとも、先ほどの続きでもしますか?」

吐息がかかり名前の体が震え上がる。みるみるうちに名前の顔が染まり、鬼灯は口元を緩めた。
離れていく鬼灯の表情にまたからかわれたと理解しながら、先ほどのことを思い出して続きを想像してしまう。
あのまま行けば、どうなっていたか。名前は再び顔を俯かせて、今度は逃げるように法廷を走り去っていった。
鬼灯は満足そうにしながら、後ろでそわそわする気配に振り向いた。

「名前さんの頭にごみがついていて。取ってあげただけなんですが、彼女はどうも違うことを想像したらしいですよ」

鬼灯は閻魔にそう教えてやれば、名前の様子に閻魔も納得する。
名前はたびたび鬼灯の行動に顔を染め悶えている。またそれか、と名前が走っていくのを閻魔は微笑ましく見送った。
そして、満足げな鬼灯にも同じ表情を向ける。

「鬼灯君もさ、あまりからかっちゃダメだよ。気があるなら別だけど」
「はい?」
「最近見てて思うんだけど、鬼灯君実は名前ちゃんのこと気に入ってない?」

ただ慌てふためく名前を面白がっているようにも見えるが、閻魔にはどうもその行動がただの意地悪には見えなかった。
自分に恋慕している相手に、わざわざ気を持たせるような行動はしないはずだ。名前の積極的なアピールに鬼灯も心が傾いているのかもしれない、と閻魔は少しだけ期待している。
閻魔に指摘され鬼灯は思わず黙る。その不自然な間に「まさか本当に?」と驚く閻魔を鬼灯は呆れた目で見上げた。

「呆れすぎて言葉も出ませんでした。まあ、彼女は金魚草に理解ある貴重な人材ですから、友人としてなら気に入っていますよ」
「そのまま大人しく好意に変わって落ち着けばいいと思うよ」

ため息混じりに呟く閻魔はお茶を啜りながら集まってくる報告書に視線を落とす。
大人しく仕事を再開させる閻魔に背を向けると、鬼灯も執務室へと戻った。

「大王が勘付くとは、少々遊び過ぎたか」

こっそりと恋心に気づかれないよう名前を追い詰めているはずが、いつの間にか行動が大胆になってきている。
猫耳を触ると理由をつけ彼女に触れ、その反応につい手が伸びた。もしあのとき獄卒が来なければ、そのまま口付けていただろう。
早く「好き」と言えばいいものを名前はまだ迷っていて、鬼灯としては気持ちが落ち着かない一方だ。そろそろ鬼灯も手を出さずに我慢するのがじれったくなっている。

「なかなか思うように行かない。……それがいいんですがね」

無意識に口元を緩める鬼灯は、すぐに表情を引き締め仕事に取り掛かった。

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