一日目


得体の知れない鬼灯に、名前はついて行きたいと申し出た。
倒れたところを助け、一人暮らしの部屋に一晩泊めるだけでもお人好しと見えるが、どうやら彼女は無謀とも言うらしい。
鬼についていくなど一体どんな理由があるのだろうか。鬼灯は返事も忘れて自分を見つめる名前をまじまじと観察した。

「ダメですか?」
「なぜ私に構うのですか。鬼ですよ?」
「わからないです。でも、倒れているところを見つけて、それも地獄の鬼だなんて、なんだか何かの縁に思えてきて。どうせ仕事もないですし、いいでしょう?」

土曜日の今日は仕事が休みだった。カレンダーを眺めながら鬼灯は納得する。
けれど容易に人間と関わるのは躊躇われる。しかし、すでに正体がバレているのだから多少のことは目を瞑れるかもしれない。

「青木ヶ原樹海にはどうやって行くんですか?電車?バス?」
「…決めてませんが」
「その角はどうやって隠すんですか?」
「……確かに、この格好じゃ不便ですねぇ」

擬態薬はあるが残り少なく、いざというときに残しておかなくてはならない。
自分がスーツ姿だと思い出して、鬼灯は不便さを感じた。この格好に帽子を被るわけにもいかない。
すっかり名前のペースに乗せられ、あれよこれよと話しているうちに名前が同行することが決定した。
彼女がどうしてもと言い、鬼灯は珍しく折れた。旅行気分なのかと思えば、そこに行くまで一緒にいても差し支えはない。

「とりあえずこの辺に洋服などを買える店はありますか?」
「あ、私が買ってきましょうか?その角じゃ買いに行けないでしょう?」
「いえ、そこまでしていただかなくても、方法は…」
「近いので自転車で行ってきますね。あ、いなくなったりしないでくださいね。ちゃんとここで待っててください!」

欲しい服の特徴を聞き出しながら、鬼灯の言葉もろくに聞かずに部屋を飛び出してしまった。
おされ気味の鬼灯はその後姿を見送るとため息を吐いた。どうもいつもの調子とは行かない。
地獄に帰れなくなったことが原因か、日々の疲れが原因か。それとも鬼にも恐れない能天気な彼女が原因か。
考えても仕方ないと彼女の帰りを待つ間、することもなく部屋を見渡していた。


三十分もすれば名前は帰ってきた。鬼灯が言ったとおり黒っぽい洋服に角を隠すためのキャスケット帽。
気を利かせたのか下着の類まで買い込んできて、朝ごはんを用意する間に鬼灯はお風呂まで借りることになった。
どうしてこんなにも気を良くしてくれるのかさっぱりわからないが、一緒に行くと決めてしまった手前無下に断るわけにもいかない。

「地獄の鬼かぁ…やっぱりまだ信じられないな」

不思議な体験に名前は夢でも見ているかのようだった。
買ってきた服に身を包んだ鬼灯に「似合ってますね」と笑えば、彼は「どうも」と適当に返事するだけだ。
朝食を済ませれば二人は青木ヶ原樹海へと向かった。


***


東京から二時間ほどかけて青木ヶ原樹海へ向かう。
電車でのたわいのない話に二人は少しだけ打ち解けたように見える。まさか地獄のことを話すわけにはいかず、主に話していたのは名前だが。

「私あまり旅行しないんです。もっと色んなところに行けばよかったなって思います」
「これからいくらでも行けばいいでしょう」
「そうですね。富士山、初めてです」

富士山を見るのは初めてだと、窓から見える景色を眺めた。
仕事の話、趣味の話と、鬼相手にも関わらず名前は楽しげに話し、その振る舞いに鬼灯もつい気が緩んでしまう。

「私の上司は仕事が遅くて、全然使えないんですよ」
「鬼にもそういうのあるんですね。上司とか部下とか……」
「ありますよ。あの世もこの世も大差はありません」
「想像がつきません……そうだ、閻魔大王っているんですよね。怖い人なんだろうな……」

天国行きか地獄行きかを決定する地獄の王。嘘をつけば舌を抜かれるという恐ろしい姿を想像しているであろう名前に、鬼灯はなんともいえない顔をしながら小首を傾げた。

「いや、全然怖くないですよ。仕事もしないで菓子ばかり食べてます」
「え、だって、閻魔大王……」
「まあ、裁判のときは……でも最近は気が緩んでますね。一度叩きなおさなければ」
「…鬼灯さんって何者……」

鬼灯の話す閻魔も気になるが、地獄の王である閻魔に対して物言う鬼灯も気になる。名前は閻魔や地獄についてかなり想像を膨らませていた。
うーんと首を捻る名前に、鬼灯は「話しすぎた」と口を閉じ、名前はますます頭を悩ませる。

そうしているうちに目的地にたどり着いた。
ようやくたどり着いた場所に名前は山を見上げ、満足そうにする。
初めて見る富士を目に焼き付けながら、これから少し登るという鬼灯に、「頑張ります」と意気込んだ。
張り切る名前に鬼灯は首を横に振った。

「あなたは観光に来るついでに私についてきたんでしょう?安易に樹海に入るのは危険ですから、私とはここでお別れです」
「え…私は鬼灯さんについていこうと思ってきたんですけど……」
「地獄に帰るんですから、あなたを連れて行くことはできませんよ」

確かにそうだ、と名前は樹海を眺めた。鬼灯はもう地獄に帰ってしまうのだ。もし見送ったとしても、樹海に取り残されれば一人で帰るのは難しい。
俯く名前に鬼灯はお礼の言葉を並べた。

「いろいろとお世話になりました。観光楽しんでください」
「…はい。もう少し話したかったですけど、楽しかったです。鬼は案外怖くないんですね」
「地獄に来てみなさい。その言葉撤回させてあげますから」
「行くなら天国がいいです」

彼の話す地獄に興味はあるけれど、行く勇気はない。名前は肩を竦めて笑った。
まさか助けた人が鬼で、こうして時間を共にするなど思ってもみなかったこと。名前は樹海へと歩き出す鬼灯に手を振った。
不思議な鬼だったなと、見えなくなった姿に少しだけ心が満たされた気がした。少しの間だけれど楽しい思い出ができたのだ。

「よし」

名前は小さく息を吐き出すと、誰もいない樹海の入り口に足を踏み出した。


***


ツアー客がいるのか最近の樹海は人の気配がある。それでもよく見かけるのは彷徨っている亡者で、鬼灯はそろそろお迎え課に一斉連行させるかと樹海を進んでいった。
ここには木の精霊である木霊が住んでいる。他にも木花咲耶姫や石長姫などの山神がいるが、とりあえず木霊に会って事情を聞き出せば何かわかるかもしれないと、彼らがいそうな場所へと向かう。
広い樹海にも関わらず鬼灯の足取りはしっかりしていて、迷うことなく進んでいく。
しかし、思い当たる地獄への入り口は、どこも入ることが出来なかった。

「どうなっているんでしょうねぇ…」

数時間歩いているが木霊や山神の姿も見えない。連絡する手段もなく、山の中はだんだんと薄暗くなっていた。
地獄に繋がるはずの携帯が繋がらなくなったのも昨日。何かが起こっていると感じ取るには十分だった。
しかし帰る手段が無いのだから確かめようもない。諦めて下山する鬼灯は、すれ違う亡者たちを横目に樹海の外を目指した。

そこでふらりと視界の中に入った人物に意識が集中する。この辺は樹海も深く亡者くらいしか視認できるものはいない。
明らかに生きている人間に、見慣れた姿だと目で追った。鬼灯はその人物に慌てて声をかけた。

「名前さん」

その声に驚いたのか、名前は体を震わせながら振り向いた。鬼灯を見るや否や安心したように息を吐き、強張っていた表情は別れたときと同じ笑顔になった。

「鬼灯さん、地獄に帰ったんじゃ…?」
「ええ、それよりどうしてあなたがこんなところにいるのですか」
「……道に迷っちゃって。樹海って怖いところですね」

そう言って笑う姿が疲れて見えるのは、何時間も樹海の中を歩いたからなのだろうか。
迷ったのが嘘というのはすぐに見抜けた。そして彼女が一緒に来たいと言った理由を理解した。彼女はここへ死ににきたのだと。

「名前さん、あなたは……」
「……ちょうど死にたいなって思ってて。鬼灯さんが地獄から来たと聞いて、何かの運命かと思いました。私のこと連れて行ってくれると思ったんですが、そうじゃなかったんですね。でも、こうしてまた会えたということは、何かの縁があるのでしょうか」

名前は変わらぬ表情のまま呟く。あの様子から自殺を希望しているなど思うだろうか。
電車の中で話す名前は確かに楽しそうだった。しかしよく考えてみれば人生を振り返っているような、そんな感じもしたかもしれない。
鬼灯は名前の部屋の中で見た紙を思い出した。ゴミ箱に乱雑に捨てられていたそれには「辞令」の文字が見えていた。特に気に留めていなかったが、こうして自殺を図るまでの事情があるのだろう。

「鬼灯さん、地獄に連れて行ってくれませんか?」
「天国に行きたいんじゃないんですか?」
「死ぬことが出来るならどこへでも。鬼灯さんと一緒に行きたいです」

鬼なんだからそのくらいできるんでしょう?名前は鬼灯の袖を掴みながら笑って見せた。
これほどまで笑顔が似合わない状況というのもない。名前の表情は死にたいと思っている者の顔ではなかった。けれど、目は虚ろで生きる希望は失っているような、なんとも不気味な表情だった。樹海のこんな奥深くにくるくらいだ。本気なのだろう。
鬼灯は面倒事を避けるようにその手を振り払った。

「死んでいないあなたを連れて行くことはできません。それに、自殺は立派な罪ですよ。地獄に落ちて拷問を受けることになります」
「いいんです。死んだら連れて行ってくれるんですね」

かばんの中をあさって取り出したのはナイフやロープ。名前はナイフを手に取った。
手首でも切るつもりだろうか。そんなもので死ねるのなら誰もがそうしている。しかし名前はその切っ先を首元に当てた。

「待ちなさい」

咄嗟に制止したのは目の前で死なれる不愉快さと、数時間ではあるが彼女と共有した時間があるから。
死にたいのなら死ねばいいし、鬼灯が口出すことではない。自分でわかっていながら止めてしまったのは、どちらの思いが先行したからか。
後者だとすれば人間に関わりすぎたということになる。地獄の鬼が人間の人生を左右するなどもってのほかだ。
非情であるはずの鬼が自殺を止めたことに名前は驚いているようだった。

「止めるんですね」
「さっきまで楽しそうに話していた人が目の前で死ぬのは少々不愉快です。死ぬなら私のいないところで死んでください」

それが理由だと言い聞かせるように鬼灯は素っ気無く言葉を落とした。
名前は首筋からナイフを下ろすと「そうですね」と微笑んだ。そのままふらりと樹海の中を歩んでいく。鬼灯は数メートル後ろを歩いた。

「どうしてついてくるんですか?」
「目の前で自殺しようとしている人がいれば止めるのが普通でしょう?」
「鬼にも人間の普通が通じるんですね」

ピタリと足を止め観念したように振り向く。放っておいてとでも言い出しそうな瞳に鬼灯はかける言葉も無い。
どうして自殺を止めているのかも、自分自身理解できていない。ただ、自分の目が届く範囲で死なれるのは嫌だった。

「鬼灯さんは優しい鬼なんですね」

名前はそう言うとふらりと脱力したように体を傾けた。
咄嗟に抱きかかえれば名前は力なく鬼灯にしがみつく。その力が思ったより弱くて衰弱してるのだと感じる。

「…死なせてください」

ポツリと初めて弱音を見せた名前は気を失ったように目を閉じた。

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