11 決意


空っぽになった店内で店主が一人立ち尽くす。
すべて失ってしまった。あんなに試行錯誤して作った金棒も、これからひとりひとりの手に渡るはずだった品も。
手元に残るのは懐に仕舞っている小刀だけ。あの鬼補佐官とこっそりお揃いにした特別なもの。
散らかる机を見渡せば、注文書の入ったファイルから中身が飛び出していた。

「早く道具を作ってあげなきゃ」

ファイルを拾い上げて中身を確認する。ひらりと落ちた紙を拾い上げれば、いつか贈った小刀のもの。
依頼主の名前を見て、彼女は少しだけ勇気を貰った。


11 決意


次の日から数日かけて店の片づけをしていた名前は、ようやく一段落したと閻魔殿を訪れていた。
心配をかけてしまった鬼灯に報告と、しばらく拷問器具は調達できないことを伝えに。
心配してくれる獄卒がたくさんいて、名前は心が温まるのを感じていた。

「酷いですよね、商品だけじゃ飽き足らず、備品全部壊されたんですよ?炉とか気に入っていた大槌まで…これはもう再起不能ですよ!」

すっかり落ち込んでいるかと思えば、名前は現状を話しながらバンバンと机を叩いた。口の中には名前の買ってきた団子である。
閻魔殿の食堂で目の前に閻魔、隣に鬼灯と三人でお茶する姿は珍しい。
どちらかというと元気な様子に二人は心配しながらも安堵の表情を見せた。
本気で怒っている様子ではなく、既に過ぎたことだとあっけらかんとしている。
彼女の性格なのだろうが、すべてを失ってしまったともいえる彼女の姿は、少しだけ痛々しかった。
無理をして元気な様子を見せているような、あの事件に居合わせていた鬼灯にはひしひしと伝わっていた。

「…で、これからどうするの?お店…辞めるってことはないでしょ?」
「もちろんです。あんな犯罪者たちに屈してたまりますか。待ってくれているお客様もいるんです。必ず再開させます!」
「さすがだねぇ」

ガッツポーズしてみせる名前に閻魔はほっとしたように笑う。
同じように被害に遭った個人店はなくなく店を閉めるところが多い。再び営業するための資金が圧倒的に足りないのだ。
使い物にならない道具を一から揃え、材料などを調達するのは多額の費用が必要になる。

犯人たちの思惑は拷問器具を売って儲けている人を路頭に迷わせること。以前鍛冶関係の仕事に就き働いていた者も犯人グループの中にいた。だからこそ商品だけではなく本当に必要なものまで壊して奪った。
彼らの犯行は言ってしまえば逆恨みと愉快犯。彼らの思惑通り個人店は潰れることになるのだ。
中でも名前の店は被害が大きかった。理由は女性のために作った金棒を売り大儲けし、補佐官までも手篭めにとって贅沢な暮らしをしている、と思い込んだ同業者がいたから。
それを聞いた名前は第一声に「馬鹿みたい」と吐き捨てたそうだ。

そんなこともありながら、名前はそれでも心を強く持った。彼女にとって鍛冶師でいることが人生で、たくさんの客に満足してもらうことこそが生きがいなのだ。

「ですけど問題は山積みで。やっぱり…ね?」
「ああ…お金ね…」

机にうな垂れながら一番の問題を挙げる。
力になりたいと言ってあげたい閻魔だが、そればっかりは独断では決められないし、一個人を手助けするとなると批判も買う。
閻魔の気持ちをありがたく受け取りながら名前は優しい彼に頭を下げた。やはり巷で囁かれる怖い閻魔様はいない。
隣で黙々と団子を食べる鬼灯に名前は唇を尖らせた。

「鬼灯様は励ましてくれないんですね。一言くらいないんですか?」
「そうですねぇ…この団子おいしいです」
「ですよね!この店私のお気に入りで……そうじゃないです!」

わかってて言ってるから困る。意地悪ですと鬼灯を揺さぶる名前に閻魔は微笑む。
彼女が元気でいられるのは彼が傍にいるからではないだろうか。そんなふうに考えつつ時計を見る。
このあと閻魔は秦広庁に出向かなければならない。邪魔者は退散しよう、と席を立つ閻魔に名前は改めてお礼を言う。
鬼灯は閻魔がいなくなったのを確認するとようやく団子から手を離した。

「名前さん、場所を移しましょうか」

団子をすべて平らげた鬼灯は、名前を連れて食堂を出た。


***


地獄特有の生ぬるい風が吹き抜ける廊下を歩きながら、名前は鬼灯に連れられて庭のよく見える場所まで来た。
廊下からは庭に植えてある金魚草が揺れていた。
名前は「すごい…」となんとも微妙な気持ちになりながら、鬼灯の携帯に金魚草の根付がついていたのを思い出す。
小さいのがかわいいなと眺めながら、同じく庭を見つめる鬼灯の横顔を盗み見た。

あの晩鬼灯は、ひとしきり泣いた名前を閻魔殿の客間に案内し、彼女が眠るまでずっと傍にいた。何も声をかけずにただ傍にいるだけ。
無愛想で冷酷だといわれる彼の手は温かくて、目を覚ましたときにはその姿はなかったが、心は不思議と落ち着いていた。

それ以来鬼灯とまともに話していないことを思い出して名前は口を開いた。けれども何と言っていいかわからない。
ゆっくりと庭に視線を戻した名前の手を鬼灯は握った。

「ここはあまり人は通りませんよ。金魚草が気味悪いと言って反対側を回るんです」
「…え?」
「ですから、強がらなくてもいいと言っているんです」

鬼灯の瞳が名前を捉える。彼は名前の隠しているものに気がついている。
名前は逃れるように金魚草を見つめるが、そのどれとも視線は合わない。こんなにいるのにだ。
まるで彼のことしか見てはいけないような、逃げるなと言っているような。
戸惑う名前に鬼灯は言い聞かせた。

「いつも通りアホみたいに振舞っているつもりでしょうけど、隠しきれていませんよ。どれくらいあなたを見てきたと思ってるんですか。私に見抜けないわけないでしょう?」
「別に…」
「しばらく顔を見せないからどうしてると思ったらやってきて、わざわざ痛々しい姿を見せに来たんですか?」

再び捉えられて逸らせない。名前の揺れる瞳に弱い心が映った気がした。
鬼灯は名前を抱きしめると子供を諭すように言う。

「私の前でくらい素直になりなさい」
「……鬼灯…さま…」

抱きしめられて囁かれた言葉に溜まっていたものが堰を切ったように溢れ出す。
心の奥に隠していた不安と悲しみを涙と一緒に吐き出した。

「どうしたらいいかわからないんです…もう私には何もない。散らかっていたお店を片付けて、綺麗になった部屋は空っぽで、私の作り上げて来たものすべて、なくなってしまったんです……」

縋り付くように泣く。抱きしめてくれる鬼灯の腕に隠れて、受け止めてくれる彼に甘えて脆くなった心を預けた。
鬼灯はやはり何も言わずに見守った。名前の泣き声を隠すように庭の金魚草が泣いたのは、名前の心を表しているかのようだった。


***


落ち着いた名前は鬼灯に寄りかかりながら揺れる金魚草を見つめた。
すっかり鬼灯の言うままに思いを吐き出した名前は心が軽くなったのを感じていた。
鬼補佐官と思っていた意地悪な取引相手。ここまで心を許してしまうとは思ってなかっただろう。

なんとなく空いた右手が寂しくて、鬼灯の手を探せば優しく包まれる。
欲しいと思ったときに何も言わずにくれる優しさは彼の無意識なのだろうか。
泣いている女性を前にして顔色も変えない鬼灯の横顔に、名前は恥ずかしくて視線を逸らした。

「私、諦めたくないです。このまま鍛冶師を続けたいです」

ぽつりと呟いたのは鬼灯に伝えるためではなく、自分に言い聞かせるための決意。
すべて失ったのならまた一から作り直せばいい。自分の作る道具だってそうではないか。
名前は何かを決めたように鬼灯を見つめ、その真剣な眼差しに鬼灯は耳を傾けた。

「私を獄卒として雇ってはいただけませんか。何年経ってでもまた自分の店を開きたいんです」

それまで待ってくれる客は少ないだろう。もしかしたら何年経ってもそこまでたどり着かないかもしれない。
けれど名前の意志は固く、その瞳に宿る色に鬼灯は名前の頭をくしゃりと撫でた。
首を竦める名前は鬼灯の行動に困惑しながら彼を見つめた。

「獄卒なんかやっても何年かかるかわかりませんよ」
「それでもやるんです」
「では、今あなたを待っている客はどうするんですか?」
「それは……どうしようもないです」

鬼灯の口ぶりに無理と言われたような気がして、名前は少しだけ俯いた。
その顔を無理やり上げさせるように髪を引っ張れば、痛いと抗議の声を上げる。
鬼灯は無視するように「いいですか」と語気を強めた。

「あなたを待っている人はたくさんいるんです。これから何年もその技術を封印するつもりですか?自分で言ってたでしょう、「使いやすい物がたくさんの人の手に渡ればいい」って。あなたは長い間それに貢献しないつもりですか?」
「だ、だって……出来ないんだからしょうがないでしょう…!」

再び俯こうとする名前にはまた悔しさの涙が溜まった。唇をぎゅっと噛み締め鬼灯を睨むように真っ直ぐと見つめる。
鬼灯も名前から手を離すと泣きそうな彼女の目をじっと見つめた。
ここまで言われれば悔しいだろう。名前自身も思っていることだ。
それでも必死に涙を零さんとするその確かな意志に、鬼灯は「合格です」と呟いた。
再び困惑する名前に鬼灯は僅かに口元を緩める。鬼灯は名前を試したのだ。

「私は第一補佐官なんてやっていますから、それなりに貯えはありますよ。趣味も金魚草くらいですし」
「え…?」
「アホな名前さんでも貯金くらいしてるでしょう?それと足し合わせて、足りない分は閻魔庁からお貸しします」

突然の提案に名前の涙はすうっと引いていく。つまり、それは資金を提供してくれるということ。
嬉しいという気持ちよりも「どうしてそこまで」という気持ちに名前の表情は固まったままだ。

「閻魔庁から借りた分の返済は、刑場で使う拷問道具の提供にしましょう。しばらくはタダ働きになりますよ」
「あ、あの…」
「ああそれと、今まで以上に閻魔庁と協力していただきますからお忘れなく。納期が短くても文句は言わないでください」

戸惑ったままの名前を置いてきぼりに鬼灯は言いたいことを並べる。
何とか理解しながら頷けば、鬼灯は「そういうことで」と立ち上がる。名前も慌てて立ち上がった。

「あの、ありがとうございます…!」

まだ頭は混乱しているが、これが特別なことくらい理解できる。感謝してもしきれないこともわかっている。
何度も頭を下げると、鬼灯はやっぱり鬱陶しいというようにあしらった。
再び泣き出しそうな名前は心の底からとびきりの笑顔を鬼灯に向けた。鍛冶師を続けられるのが何より嬉しかった。
そんな彼女の顔面に手のひらを押し付けたのは、きっと鬼灯の照れ隠しだ。

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