08 研修


客足の途切れた店内で、名前は手も当てずに欠伸を零す。そんな豪快に開かれた口の中に何かが詰められた。
気がつけば目の前に鬼補佐官様がいるではないか。

「差し入れです。閻魔殿近くのパン屋が流行っているらしいので」
「だあらおろをられれはひっれふらはい!(だから音を立てて入ってください!)」
「何を言ってるのかわかりませんよ」

もぐもぐと出来立てパンを食しながら鬼灯を睨めば、彼が持ってきたのはそれだけではない。

「これ、お願いします」

新たな注文に、名前はパンの入った紙袋を奪い取った。


08 研修


文句を言う名前はそれでも納期にはしっかり品を届けに来る。
閻魔殿の法廷ではそのやり取りが行われていた。

「確かに受け取りました」
「忙しいって言ってるのに……疲れた」

はぁ、とやはり品の入った箱に寄りかかる。疲れた様子の名前に閻魔もつい言葉をかけたくなる。
「大丈夫?」と聞けば「大丈夫じゃないです」と返ってきて、鬼灯をちら見しながら声を小さくする。

「あの鬼補佐官はドSですよ。注文に併せて研修やれとか言うんですもん」
「それはそれはご苦労様…」
「何をこそこそ話してるんですか。名前さん、行きますよ」
「はぁーい…」

閻魔から名前を引っぺがし問答無用で連れて行く。鬼灯の傍若無人さを知っている閻魔は苦笑しながら名前を見送った。


連れてこられたのはいつか来た衆合地獄。例の三人いるかな、なんて暢気なことを考えていたら、名前は衆合地獄に着くなり女獄卒たちに囲まれてしまった。
なんだなんだ!?と驚いているのも束の間、きゃあきゃあと彼女たちが言うのは名前を尊敬するような声。
どうやら女獄卒たちの中で名前の名前は有名らしい。女性にも扱いやすい金棒を開発し、その扱いにも秀でているとして。
等活地獄での活躍ぶりがまた掘り起こされて、いろいろとすごい噂になっているのだ。

そんなこと知らなかった名前は女獄卒たちに囲まれてんやわんや。
助けを求めるため鬼灯の後ろに隠れれば、ようやく彼女たちは落ち着いた。

「困ってるでしょう。そんなことしてると名前さんに新しい得物の実験台にされますよ」

どよめく女獄卒たちは名前の噂を信じているためその怖さを知っている。安易な振る舞いをすれば痛い目に遭うと彼女たちは静かになった。中にはそれでもいい、と特殊な獄卒もいるわけだが。
確実に自分に対する何か(噂)が存在するなと感じ取った名前は、それを広めた張本人であろう鬼灯を見上げた。
こんなに美人が揃っているというのに、いつもと変わらぬ涼しい顔。その表情が自分に向けられれば思わずドキリとしてしまう。

「いつまで引っ付いてるんですか。研修を始めますよ」
「え、あ、ごめんなさい!」

隠れたまま鬼灯に身を寄せていた名前は慌てて鬼灯から離れた。
説明を始める声を聞きながら心を落ち着かせれば、ようやく名前の出番になるのだ。

武器の使い方から手入れの仕方まで。一通り説明すれば、武器の使い方を重点的に。
比較的大人しい亡者を連れて来て目の前でやって見せる。それを真似るようにして普段武器を扱わない女獄卒たちも拷問に挑戦した。

これから研修を数回に分けてやり、拷問をしたい獄卒には以後通常業務でも拷問に参加してもらう。
第一回目の今回は鬼灯が立ち会っているためか、女獄卒たちのやる気は溢れている。
次からは衆合地獄の主任補佐、お香が名前と研修をするようだ。
獄卒たちが精を出している中、ようやく個人で顔を合わせる二人に鬼灯は仲介に入って紹介した。

「綺麗な人…」
「まぁ、名前さんの方こそ。それにこの道具すごく使いやすくて、名前さんは優秀な鍛冶屋さんなのねぇ」
「ど、どうしよう鬼灯様。この人眩しすぎて…ああ、この怖い顔が落ち着く……」
「あらあら…」

お香の上品な佇まいと言葉にやられた名前は、鬼灯に違う意味でやられた。お香はその二人の様子に「親しいのね」と微笑んだ。

「よろしく頼むわ、名前さん」
「はい!」

どこかの鬼補佐官と違って優しい人だ、とお香の手を取る。握手を交わせばにっこりと微笑まれて名前も同じように返した。
衆合地獄は美人ばかりで、その官職につく人も美人なのだと目の前のお香を見てため息しか出ない。

周りを見渡しながら鬼補佐官はやはり浮いてるなと、名前は自分も浮いていると気がついて顔を隠した。
浮いている鬼灯が次回からいないのなら、今度は自分だけが浮くことになるのだ。
こんな美人たちの中に放り込まれるなんて、と思うと泣きたくなる名前である。
そんな意味不明な行動を取る名前の頭を叩きながら、鬼灯はお香に口添えする。

「名前さんは武器の扱いに長けてますが、獄卒ではないので注意を払ってほしいです。お願いします」
「ええ、わかりましたわ」
「それとあまり亡者には近づけないように」

ぽんぽん、というよりも何度も頭を叩く鬼灯に名前は「痛い痛い」と呟く。
そんなお節介にお香は小さく笑った。

「ふふ、鬼灯様は名前さんのことが心配なのね」
「心配というか、獄卒ではないので…」
「等活地獄を救った女傑でも?」
「あの、私そんな言われ方してるんですか…」

鬼灯はお香の言葉に眉根を寄せる。
痛いところを突かれたような、隠している想いを悟られたような。お香の優しい微笑みに警戒したのは初めてだろう。

そんなやり取りがあるとも知らずに名前はお香の零した異名に引いている。
ただ上手いこと鬼補佐官に乗せられて営業と在庫整理をしただけなのに。
どこでどう間違って広まったのだろうか。尾ひれがつきすぎて事実とは異なっている。だが、等活地獄を救ったというのはあながち間違いではない。

それぞれ思いを抱えたまま、お香は他の獄卒のところへ行ってしまった。
二人の間に微妙な沈黙が流れる。そう思っているのは鬼灯だけなのだが。
名前は改めて武器を使う女性たちを眺めて嬉しそうに微笑んだ。

「女性たちがさらに活躍していけるよう力になれたんでしょうか」

呟く名前に鬼灯は頷く。それはもう、大きく力になったことだろう。

「名前さんの作った武器が彼女たちを強くしていくわけです」
「なんだか話が大きくなっている気がします…」

首を横に振りながら亡者の断末魔を聞く。獄卒たちも要領を掴み始めたのか、目の前にはいい感じの地獄が出来上がっていた。
鬼灯はそれを眺めながらふと思い出す。ここにある金棒はすべて名前が作ったものではないのだ。

「そういえば、設計資料などを公開したらしいですね。よかったのですか?」

名前が考えた女性が扱いやすい金棒。一般的なものより細く、重量も抑えてある。しかし振り下ろしたときの威力は完全に劣っているとは言わない。
材料の微妙な加減と、絶妙なトゲのバランス。まだまだ要素はあるが、それらによって使いやすいものになっていた。

その製造レシピを名前は無償で公開した。いくつもの会社がそれを取り扱うようになり、機械製造もすぐにされた。
出回っているものはほとんどがそういう会社のものだろう。
自分が作ったものなのにいいのだろうか。そんな疑問に名前は「だって」と笑ってみせる。

「私一人じゃ作れないですから。試用が上手くいったとき、どれだけの注文があったと思いますか?私だけだったら全員の手に渡るまで何年もかかるんです。それに、刑場で使うとなれば定期補充も必要でしょう?」

獄卒が振り上げる金棒。鬼灯にはその違いはわからないが、名前は自分の作ったものはすぐわかるという。
ここにどれだけ名前の作った金棒があるかわからないが、試用の時期から考えて多くはないだろう。
それでも見分けてしまう名前は本当に武器を作るのが好きなのだと改めて実感する。

「使いやすい物がたくさんの人の手に渡ればいいなと思います。もしその中で私を選んでくれるなら、精一杯作りますけどね!」

無邪気に笑う姿に「まただ」と鬼灯は視線を逸らした。一体いつから彼女の笑顔に、言動に心を動かされているのだろうか。
ふぁ、と欠伸をする名前は緊張感の欠片もない。いいことを言ったのにそれでは台無しだ。
さらに眠たそうにする彼女に、また徹夜だったと思い出す。こんなところに引っ張り出してきては迷惑だっただろうか。

鬼灯はその空間に響くように手を打つと、獄卒たちは一斉に注目した。
隣にいる名前まで自分が見られているような感覚がして、同じように鬼灯を見上げる。

「今日のところはこれで終わりにしましょう。皆さんレポートを提出するように。拷問業務をしてみたい方はその旨も」

事務的に言葉を並べる鬼灯の姿は仕事をしている男の姿。いつか裁判を手伝ったときに見たその横顔と変わらなかった。
名前は返事をして片づけを始める獄卒に紛れて視線を落とすと、早まる心音にほんのりと頬を染めた。
話しかけられているとも知らずに心を落ち着かせ、ようやく気づけば顔を上げた先に鬼灯の仏頂面。
わ、と驚く名前は一歩後ずさった。

「まったく、寝ても運びませんからね」
「寝ませんよ!…というかあれ、恥ずかしかったんですからね!」

道端で目を覚ましたことを思い出しながら、名前は恥ずかしさを誤魔化すように声を上げた。
そんな二人の様子を、お香は楽しそうに見守っていた。

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