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結局その日、広大はそれ以上何も言わなかった。泣きそうな広大を見てそんなわけないだろう、と問い詰めてやりたかったけれども、妙に頑固なところのある広大をよく知っている裕輔はこれ以上はきっと泣いても何も言わないだろうと判断し、仕方がないので一旦引き下がることにした。
そして、その日からあからさまに広大の様子が変わった。
出された課題をうんうんうなりながら解いている広大に近づき、裕輔が手伝おうかと声をかけると大きく首を振る。そして、松方の所に飛んで行ってしまうのだ。
そしてそれは、課題の時だけではなかった。
教材を運ぶ時、難しい本を読むとき、はては体育でバテそうになった時まで。裕輔が近寄ろうとすると広大は慌てて松方の所に行ってしまう。
学校が終わって部屋にいるときでもそうだった。何かしようとして失敗しそうになって、裕輔が一歩でも広大に近づくと途端に広大はひどく泣きそうな顔をして拒否をする。
「広大」
「ゆう。大丈夫です。僕、大丈夫ですよ。」
裕輔が何か言おうとするとその前に必死になって『大丈夫』と繰り返し、にこりと微笑む。その笑顔は、見ているこちらが辛くなるほど無理をしているのが明らかだった。
だめだ。このままじゃだめだ。
以前にも広大は、裕輔とお話ができるようになりたいからと裕輔の手を借りず自分で何でもしようとしたことがある。だが、今回のこれは前回の時とは全然違う。自分でしようとするその姿勢が、裕輔にはどうしても広大が無理をして我慢しているようにしか見えなかったのだ。
「こうだ…」
「おい、藤井!だめだろ、先生すぐに来いって言ってたよな?」
そんな日が4日ほど続き、裕輔が限界だと今日こそは話を何としても聞き出そうと広大の手を取ろうとすると、横からまるで見計らったかのごとく松方が現れた。
「せ、せんせ…」
「ほらほら、準備室で補習してほしいんだったよな?さ、いくぞ。あ〜、田上。藤井は俺が見るから、お前は帰れ」
そして、裕輔が広大の手を取るその前に、すかさず広大の手を取り裕輔から引き離すとそのまま広大を連れ去ってしまった。
「だめだろ、藤井〜。田上から離れろって先生言っただろ?」
「…ごめんなさい…」
しゅん、と目の前でうなだれる広大を見て松方はしょうがない奴だな、と困ったように笑う。
だいぶ、自分だけを頼るようになったのに。
危なっかしいこの生徒を助けてやれるのは自分だけなのだ。田上はただの学生だ。広大は、生徒である田上よりも自分を頼るべきなのだ。自分は先生なのだから、生徒である広大を誰よりも助けてやれる。力になってやれる。
松方は広大が田上より自分を頼るたびに、とても心が満たされた。
「な、藤井。田上の為にならないって言っただろう?…お前が頼るのは、先生だけでいいんだ。先生は、いつだってお前の事を一番に考えてやれるんだからな。もう田上なんかいなくても、先生がいれば大丈夫だな?」
そう言ってにこりと微笑んでやると、広大は大きな目に涙をにじませて無言で頷いた。それを、感動したからだと勘違いした松方は広大がこれからは自分だけを頼りにするのだと思いひどく胸が高鳴った。
「いいこだ」
――――――これは、俺のものだ。
えもいわれぬ満足感で体中が満たされる。感動のあまり広大を抱き寄せようとしたその瞬間、二人きりの準備室の扉が思い切り派手な音を立てて開けられた。
何事かと驚いて顔を向けたそこにいたのは、裕輔だった。
「た、田上!どうした、何か用…」
松方が裕輔に声をかけるのを無視して、裕輔はずかずかと二人に近づきぐいと広大の手を引き、自分の胸にぎゅっと抱きしめた。突然の裕輔の行動に松方も広大も驚きのあまり目を見開いて固まる。
「ゆ、ゆう!」
「な、何してるんだ、田上!藤井を離せ!」
ハッと我に返った松方が、慌てて裕輔から広大を引きはがそうと手を伸ばすが、裕輔はそれよりも先に広大の肩をぐいと引き松方の手が届かない様にした。
広大は困惑したまま裕輔を見上げ、その顔を見てびくりと体を竦ませる。
…ゆうが、怒ってる…
そこには、今まで見たことがないほど静かに、だが明らかに怒りに満ちた目で松方をまっすぐに見据えている裕輔がいた。
「…先生」
「…っ、な、なんだ」
松方も裕輔の怒りを感じ取ったのか、若干怯んだような声で呼ばれた声に返事をする。
「誰が、何のためだって?誰が、広大を一番に考えてやれるだって?」
笑わせるな
そう言って睨む裕輔に、冷や汗が流れるのを感じた。
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