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「…待て。」
驚いて振り返ると、そこには汗だくになりながら息を乱している会長がいた。なんで、どうして。この人は俺を追いかけてきたんだろうか。
そんな淡い期待を抱く自分を舌打ちし、いつものように平然と無表情な顔で会長を見つめる。
「なんでしょう。」
ため息をつきながらうんざりしたように問いかけると、会長がひどく泣きそうな顔をして掴んだ手に力を込めてきた。一体なんだってんだ。
会長は俺の手を掴んだまま、ひどく狼狽えたように目を落ち着かなく動かしている。何か言うだろう、と会長の言葉をじっと待つ俺に、恨みがましいような目を向けられ、次の瞬間掴んでいる腕を思い切り引かれた。
急に引っ張られてバランスを崩し、倒れこんだ先は会長の胸の中。
…なんだってんだ。
「あの…?離していただけませ…」
「いやだ」
最後まで言う前に、会長が俺の言葉を斬り捨てる。何がしたいの、この人。仕方ないなあ、とため息をつくと会長が拘束する腕にさらに力を込めた。苦しいんだけど。
…いろんなところが。
「会長。すみませんが離していただけませんか?先ほども言いましたが、俺はあなたが好きなんです。だからですね、見込みもないのにこういうことをされると辛いんですけど」
「じゃあいいじゃねえか」
何がいいってんだ。人の気持ちに気付いていながら了承なしに勝手にキスするし、上から目線だし。人が苦しいっつってんのにどこまでも自分勝手な人だなー。
抱き込まれている顔を無理やり上げて離して、と言おうと会長を見る。
…なんで、あなたが苦しそうなんですか。
どれくらいの間そうしていただろうか。会長のそんな顔を見てしまった俺は離してほしいとも言えず、他になんて声をかけていいのかもわからず。気が付けば、傾きかけていたオレンジの太陽は沈みかけ廊下全体を紅く染めていた。
「…俺も、好きだから。だから、恋人になろう。」
震えるような声が聞こえて、それが会長から発せられたものだと気付くのにだいぶかかってしまった。
「は…?」
「くそ…」
意味が分からない、と聞き返した俺に小さく舌打ちをして抱きしめる腕に力を込める。
「…初めて見た時から嫌な予感はしてたんだよ。だから、お前を俺に惚れさせて告白させて優位に立ってやろうって思ってたのに。だって、悔しいじゃねえか。お前はいつでも冷静で、無表情で。俺だけがお前の一挙一動に一喜一憂するだなんて。だから、好きって言葉くらいお前からもらったっていいじゃねえか。」
耳元で囁かれる言葉は、はっきり言って理解不能だった。
だって、そんな。
「…その言い方だと、会長が、俺のことを前から好きだったみたいに聞こえるんですが…」
「そうだよ、悪いか。」
自意識過剰かな、と思いながら聞いたことを否定されるどころか肯定されてしまった。そんなバカな。
「俺もお前と同じだ。お前が好きだから、俺の方が絶対お前を好きな気持ちが重いってわかってたから。だから、お前から言ってほしかった。お前をめちゃくちゃに惚れさせたかった。
俺も同じだ。片方だけなんて嫌なんだ。
…だから、ちゃんと、言うから。お前も同じなら、もう一回言ってくれないか。」
俺を抱きしめている会長の腕が、体が、震えているのが伝わってきて。今言っている言葉が嘘などではないと嫌でも気付かされた。
俺は、だらんと下げていた腕をゆっくりと持ち上げてそっと会長の背中に回す。少し力を込めると、会長がびくりと大きく体を竦ませた。
「…会長が、好きです…。」
「俺も、お前が好きだ。」
そう言って顔を上げたら、そこにあったのは今までに見たことがないほどにきれいな笑顔を浮かべる会長。そんな会長の笑顔を見て、俺も同じく顔を緩ませた。
「…やっと、お前の笑顔が見れた…。」
そう言って、想いが通じ合って初めてのキスをした。
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