サンタさん一年生
彼女は、喜んでくれるだろうか。
自室を見回して思案する。
クリスマスは、二度目だ。だからツリーを飾ることと、イルミネーションが必要なことはなんとなく知っていた。多くの女性はイルミネーションを好むということも。
しかし、この本丸の内装はほとんどが和室である。
それは、一期一振の私室も例外ではなかった。大きなクリスマスツリーを飾れば雰囲気でごまかせるかと思ったが、和室にそぐわない洋風の飾り付けをした木はどう見ても浮いている。大きければ大きいほどいいと思って適当に用意したクリスマスツリーは大きすぎて部屋に収まりきらず、てっぺんが曲がってしまった。したがって、てっぺんの星も横向きになってしまっているのだが、これは大丈夫なのだろうか。クリスマスには詳しくないため、よくわからない。……まあいいか。主は細かいことを気にするような器の小さい方ではない。たぶん大丈夫だろう。根拠はないけど。
少しでも雰囲気を出そうと、本丸中の刀剣に頼み込んでかき集めたクリスマスらしいものをツリーの下に置いてみたが、あまり変化はなかった。
それにしても、洋風のものならなんでもいいと借りてきたが、さすがに弟たちの帽子はクリスマスらしくない気がする。加州殿のブーツもよくよく考えればクリスマスと関係がないのでは?というか、どちらも日常を想起させてしまって、却ってクリスマスの非日常感を薄れさせてしまうのでは……?
やはりやめるか……いやしかし、無理に借りてきた品を飾らないというのもなんだか……いやでも、主がどう思うか……
うじうじ考えている間に指定した時間になっていたらしい。
障子越しに主の優しい声が聞こえてきた。
「一期さん、こんばんは。入ってもいい?」
「どうぞ!」
緊張のあまり慌てて開けたせいで、勢いよく滑った障子がスパーン!と鋭い音を立てた。
あああああもっとスマートに迎えたかったのに!
でも、主と同時に肩を跳ねさせてしまったのは、なんだかおそろいみたいでちょっと嬉しかった。
「わあ……大きなツリー!」
主は部屋に足を踏み入れると、ど真ん中を陣取る巨大な樹木に目を留めて歓声を上げた。
きらきらと輝く瞳が眩しい。かわいい。こんなに出来の悪いクリスマスツリーで喜んでくれるなんて、私の恋人はなんと清らかな心の持ち主なのだろうか。愛しい。
ここからが本番。この世の誰より大切な女性をきっと喜ばせてみせよう。
私はこれまで練りに練った作戦を実行すべく、彼女の前に跪く。
「お手をどうぞ、お姫さま」
精一杯気取って片手を差し出す私を、彼女は目を丸くして見下ろした。
ま、まさか失敗か……?
彼女はきっとこういった所作を好んでくれるだろうと思っていたけれど、予想が外れたのかもしれない。引かれてたらどうしよう。冷や汗が背筋を伝う。
なーんちゃって!冗談です!
そう言って、いつも通りの自分に戻ろうと決めた私が口を開くより先に、神妙な面持ちの彼女が声を発する。
「ねえ一期さん、わたしとあなたのクリスマスの認識が異なる気がしてなりません」
「はて……どこかおかしかったでしょうか」
やっぱりまずかったんだ!どうしよう!
こんなに真剣な調子で拒絶されるとは思ってなかった!
彼女は小さく頷いてもう一度口を開く。
「どこもかしこも」
「ど、どこもかしこも……。クリスマスというのは、恋人同士が一緒に過ごすものなのですよね?」
縋るように言葉を重ねてしまうのは仕方ないと思う。こちらは愛想を尽かされまいと必死なのだから。
「たぶん厳密には違うけどわたしの中ではそう」
「そして主は、晴れて恋人同士になった私と過ごしたいのですよね?」
「そんなにはっきり言われると恥ずかしいけどそう……だね」
主は微かに頬を染めて目を伏せた。
な、なんですかその色っぽい表情は……!
まさか他の男の前でもやってるんじゃないでしょうね!?
そう問いただしたくなったが、狭量な男だと思われたくなかったので耐える。
代わりに自分の行動を振り返ることにする。
「お手本通りやったつもりなのですが、何が間違っていたのでしょうか……」
「待って、お手本って何?」
えっ……?私は何かおかしなことを言ってしまっただろうか……?
お手本に食いつかれるとは思っていなかったので少々面食らう。
しかしお手本のことなら自信を持って答えられる。
彼女に不審に思われることも、嫌悪感を抱かれることもきっとないだろう。
そう思うと嬉しくなって、ついつい口角が上がってしまう。……まぬけなにやけ面を晒していないことを願う。
「おとぎ話です」
「えっ」
えっ?呼び方でも間違えたか?お姫さまと王子さまが出てくるのはおとぎ話だったよな……?
うん、きっと合ってる。主はどうして驚いたような反応をしたのだろうか。
誤解があってはいけない。その思いからさらに説明を加える。
「主が以前、憧れるとおっしゃっていたので」
「そんなこと言ったっけ……」
なるほど、ご自分のおっしゃったことを忘れておられるのだな。だから反応が鈍かったのかもしれない。
よし、いい機会だ。ここで一度、彼女のどの言葉を聞いてこんな行動に出ているのか知らせておこう。
そうすれば少なくとも急におかしなことを言い出したとは思われずに済むはずだ。狙いはときめいてもらうことだったが、仕方ない。人の心は移ろいやすいものだ。今はもう憧れていないのかもしれない。
それならそれで、せめて嫌われなければそれでいい。
「はい。私のことを王子さまみたいだと褒めてくださいましたよ」
「それは〜〜〜〜言った。言いました」
私の言葉に、主は何かを思い出したようだった。
どことなく安心したような様子で私の言葉を肯定している。あっ、これはいけるかもしれない。
なんと言っても、王子さまに憧れると言っていたのは本当なのだから。そう言ったときの夢見る瞳は今も私の脳裏に焼きついている。あれはそう簡単に薄れる想いではないはずだ。大丈夫、いける。もう一押ししてみよう。
「なので、王子さまになりきってみたのです」
なんだか自信が声に滲んでしまった気がする。少し恥ずかしい。
「わたしの一期一振がこんなにかわいい……結婚しよ……」
「はい?」
今何と?ぶつぶつと口の中で呟かれた彼女の言葉に耳を疑う。
かわいい?結婚?それは……私と?私と結婚ですか?ねえ主!!!
……という気持ちを込めて首を傾げてみる。
よく聞こえなかったのでもう一度どうぞのサインである。
「ありがとう、主うれしいよ。大好き……」
「本当ですか!喜んでいただけたようで私もうれしいです!」
主は言い直してはくれなかったけれど、花も恥じらうような愛らしい笑顔で私の手を取ってくださったのでもういい。もうここで終わってもいいくらいの達成感がある。
彼女を驚かせないようにゆっくり立ち上がって、そっともう片方の手も握ってしまう。彼女がこの場から逃げるはずもないが、逃がさないためだ。簡単に両手の自由をこちらに委ねてしまう彼女が愛しい。今、彼女の両手の運命は、私の掌中にある。今の彼女はみんなの主ではない。今だけは、彼女は私の恋人だ。恋人とは、なんと甘美な関係なのだろうか!彼女が私だけの恋人でいてくれることがたまらなく嬉しい。
気持ちを伝えるように彼女の小さな手のひらを何度か軽く握ると、その度に彼女も握り返してくれる。
ああ、幸せだ。こんなにかわいらしい恋人がいて、私は本当に幸せな刀だ。
幸せのあまり、にやけるのを抑えられない。今の私はきっと変な顔になっているだろうに、彼女は嫌な顔をするどころか嬉しそうに微笑んでいる。かわいい。
それにしても彼女の笑顔はいくら眺めていても飽きるということがない。優しく細められた瞳に私が写っていることに喜びをおぼえる。彼女は今、私を見ている。私だけを!見ている!叶わないと知りながら、彼女の瞳に写るのが永遠に私だけであればいいと願わずにはいられない。
そういったちょっと気持ち悪い考えを見透かされたのか、彼女が不意にこちらを窺うような顔をする。今度は何だ。何をやらかしてしまったんだ、私は。
「でもいいの?今夜はせっかくのクリスマスなのに粟田口のみんなと過ごさなくても……」
なんだ!そんなことか!
心の底から安心した。彼女は本当に心優しい主だ。
我ら粟田口派の兄弟が仲睦まじくしていると嬉しそうに目を細めるし、仲睦まじくあれるように気を遣ってくださる。
心配そうな彼女を安心させられるよう、できるだけ穏やかな笑みを浮かべて答える。
「はい。粟田口のクリスマスパーティーは昨夜済ませましたので」
「そっか、よかった」
どこか安堵した様子で笑う彼女の愛らしさといったら、筆舌に尽くしがたい。これだから私は彼女が好きなのだ。
昨夜乱から、普通はクリスマスイブが恋人同士で過ごす日なのだと聞いて肝が冷えたが、鷹揚な主は日付に強いこだわりはないようだ。そんなところもかわいくて好きだ。
「サンタさんからも無事プレゼントをいただけましたし、安心して主と過ごせます!」
「そうだね……」
今年もサンタさんからプレゼントをいただけたことを報告すると、主は控えめに頷いて見せた。
そういえば、主は私よりもたくさんのクリスマスを経験している。
ということは、もしかすると……
「主はサンタさんにお会いしたことがありますか?」
彼女の目を覗き込むと、主は記憶を手繰り寄せるように視線を逸らした。
この反応はまさか、本当に……?
「ないな〜〜!いつもサンタさんに会う前に寝ちゃうんだよね〜〜!」
主は明るく笑って言った。
私と一緒だ!主はサンタさんとお会いしたことがあるのかと思ったが、私と同じでクリスマスであっても早々に眠ってしまうらしい。おそろいだ。小さな共通点に心が踊る。
「主もですか!実は私も起きていられないのです……太刀だからでしょうか……」
「……そうかもね。太刀は夜、苦手だもんね」
主は眉を下げて、少し困ったような笑顔で頷いた。
サンタさんが来るより先に眠ってしまうという主は、私の気持ちをわかってくださっているのかもしれない。
「どうやら弟たちはサンタさんの正体を知っているようなのです。なのになぜか、兄には教えてくれなくて……」
「あ、ああ……そうなんだ……」
「弟たちに見えて私に見えないなんて……兄として情けない……」
刀種によって得手不得手があるのは理解しているつもりだが、やはり長兄という立場上、弟たちにできることが私にだけできないというのは情けない。
それにしても……
「サンタさんとは、一体どのようなお方なのでしょうか……いい子にさえしていれば刀剣にもプレゼントをくださるなんて、きっと素晴らしい方に違いありません。ああ、一目でいいからお会いしたい……」
私は脳裏にサンタさん像を思い浮かべる。
前の主の影響で派手好きなせいか、彼の真っ赤な衣服も好ましく思う。あんなに派手な格好なのに人間の子供たちのみならず刀剣男士である私にも見つからずにプレゼントを配り歩くとは、好好爺然としているが相当の手練れに違いない。
サンタさん、恐るべし。
…………あれ?何か忘れているような……?
「はっ……!いけません!今日の私は王子さまなんでした!」
慌てて目の前の主に目を向けると、彼女は不思議そうにこちらを見上げていた。
あっ……かわいい……。
「では気を取り直して」
覚えたてのウィンクを飛ばして、最初に握った方の主の手の甲に口付ける。
彼女は恥ずかしそうに頬を染めて目を伏せた。ああかわいい。彼女を見て胸の奥がきゅんと鳴いたのがわかった。好き、だなあ……。
かわいいかわいい私の主。もちろん彼女のために全力を尽くすつもりだが、私は人間の恋愛について無知だ。こういうところで前の主の影響を受けたかったと心の底から思う。
私が人間だったのなら彼女を喜ばせる方法をきっとたくさん知っていたはずなのに。
名刀と誉れ高い我が身を誇らしく思わないわけではないが、こういうときばかりは人間が羨ましい。
まだ二度目のクリスマス。知っていることといえばツリーとイルミネーションとサンタさんだけで、恋人同士が一緒に過ごすというのも先日主に教えられなければ知らなかった。
クリスマスを共に過ごしたいと言った彼女は、人並みのクリスマスを少なからず望んでいたはずだ。
クリスマスらしいクリスマスが過ごせないとわかったら、がっかりされるだろうなあ……。
そう思うと、とてつもなく気が重くなった。でも、隠し通すことはできないだろう。言うしかないのだ。
緊張で渇いた喉から無理矢理声を出す。
「……主、大変お恥ずかしいのですが」
「えっなに、どした」
彼女はわたしがクリスマスに無知だとは思いもよらないのかもしれない。
これから言われることがまったく予想できないといった様子でこちらを見上げている。こんなに重い気分でも主は変わらずかわいらしい。
「恋人同士のクリスマスがどういうものなのかわからないのです」
「な、なあんだ……そんなこと……」
「こっちは大真面目ですよ!」
そんなことって!かなり重大な問題なんですけど!
心の中で言葉を続ける。
安堵したように呟いた主を見て、思わず大きな声を出してしまった。彼女は驚いたように一度肩を震わせてから、こちらを窺い見る。
「あっ、ごめん……」
「いえ……」
彼女は謝るべきではない。悪いのは私だ。
しかし謝罪の譲り合いが口論になりでもしたら、と思うと曖昧に頷くことしかできなかった。そんなことにせっかくの時間を費やしたくはない。彼女は謙虚なのか何なのか、妙なところで頑ななのだ。
「恋人同士のクリスマスねえ……本丸でそれらしいデートをするのは無理かな」
「そんな……!ではどうやってあなたに喜んでいただけばよいのですか!」
思案しながら紡がれた彼女の言葉に絶句する。最初から私には恋人同士のクリスマスを過ごすことなどできなかったと言うのか。彼女を、普通の娘のようにクリスマスに浮かれさせてやることはできないと言うのか。私は、……私は何のための彼女の恋人なのだろうか。もちろんクリスマスがすべてではないけれど、彼女が共に過ごしたいと願ったクリスマスを、できるだけ彼女の理想通りに過ごさせてやりたかったのに。絶望だ。
目の前が今にも暗くなってしまいそうな心地に陥っていると、彼女が私の両手を、その小さく愛らしい両手できゅっと握りしめた。かわいい。主は小動物なのか?かわいい。かわいすぎる。
手のひらを握る力に釣られて視線を彼女に向けると、目が合った途端に彼女は嬉しそうにはにかんだ。かわいい。
「この世の終わりのような顔をしている一期一振に朗報です」
「……?」
朗報、とは何だろうか。あまり良い展開は期待できないように思うが、主の次の言葉を固唾を飲んで待つ。
「あなたの恋人は、とってもちょろいので、一期一振のハグひとつでものすご〜〜く幸せになれちゃいます」
「……!」
「どうする?」
彼女は私の手のひらから両手を抜き取って、腕を広げる。満面の笑みでこちらを見上げる姿はまさしく聖女だ。こんなに尊い存在があってもいいのだろうか。
一瞬何が起きたかわからなかったが、すぐに理解する。これは、抱きしめてもいいということか。彼女を、抱きしめてもいいのか。
事態が飲み込めると、体が勝手に動いていた。
彼女の小さな体を強く抱きしめる。今にも折れそうな、頼りない体だ。
小さくてやわらかくてかわいらしい私の、私だけの大切な……!
「主……!」
「苦しいよ」
「すみません、でも……」
「……?」
でも、の続きを求めるように彼女が首を傾げたのがわかった。
けれど、まさか馬鹿正直に力加減できないほどあなたが愛しいと言ってしまうわけにもいかない。きっと薬研や鯰尾ならば照れずに言ってのけるのだろうが、私にはそんな言葉を口にする勇気はなかった。
愛を囁く勇気はないくせに、愛しさは募り続ける。
もっと、彼女に触れたい。もし許されるのならば、薔薇の花弁のように可憐な赤い唇に、口付けを……。
「あの、主」
「なあに」
許されるか、許されないか。悶々と考え続けたが答えは出なかった。
もう本人に許可を得るしかない。そう考えて出した声は、自分で思っていたよりも軟弱そうな響きを持っていた。思わずぎょっとするが、主の優しい声に続きを促されて少し落ち着きを取り戻す。
一つ深呼吸してから本題を告げた。
「口付けても、よろしいでしょうか」
「えっと、」
彼女は言葉を選びかねている様子でぎこちなく呟いた。
ひ、引かれた。これは間違いなく引かれた。私の馬鹿!なぜもっと彼女の気持ちを慮れなかったのか!彼女が困っているではないか!浅ましく欲深い刀剣め!彼女に口付けることが許されるだなんて思い上がるのは千年早い!身の程を知れ!
とにかくはやく発言を撤回しなくては、彼女に嫌われてしまう。それだけは絶対に避けなくては。
「あ……嫌なら、無理には……」
まずい。意に反して死にそうな声を出してしまった。
私の声音の暗さに驚いたらしい彼女がこちらを見上げる。丸くなった目が愛しい。
彼女はしばらく私を見つめると、やわらかく破顔した。な、何ですか主。どういう意味ですか主。
「嫌なんかじゃないよ。はいどうぞ」
あっさりと目を閉じてしまう彼女に、心臓が大きく跳ねてそのまま激しく暴れだす。
突然目を閉じるのはやめてほしい。いや、やめてほしくない。いややっぱりやめてほしい。
私はすぐにでも彼女の唇を奪ってしまいたくてたまらないのに、彼女は無防備に目を閉じる。その表情からは私に対する絶対的な信頼が窺えた。私が紳士的に振る舞えると信じて疑っていない様子である。
こ、こっちの気も知らないで〜〜!
なんだか少し怒ってしまいたくもなったが、そこまでの精神的余裕はない。何せ、心臓が痛いほど早鐘を打っているのだ。まともに話すこともままならない気がして、口を開けない。
彼女は緊張しているのか、まぶたが微かに震えている。上から眺めると、美しく並んだ繊細な睫毛も一緒に震えているのがよくわかった。
いつまでも見ていたいが、彼女の気が変わってしまっては困る。私は彼女の頬に触れる決心をした。
「……っ、では」
情けなくも緊張で震える指を無理矢理押さえ込んで、彼女の頬に触れる。その感触は手袋越しでも、滑らかであることが想像できた。こんなことなら手袋など外しておけばよかった。今さら外すのもなんだかわざとらしくて躊躇われる。でも本当に、直接触れたかった。未練たらしく彼女の頬の上を何度か撫でる。私の手が滑るたびに口元にきゅっと力が入るのが大変愛らしい。彼女も、緊張しているのだろうか。
そのことに勇気づけられて、彼女の顎をそっと持ち上げる。
それから、ゆっくりと屈んで……
「……っふ、」
もう少しで唇が触れるというときに、彼女が柔らかく息を吐いた。唇に当たった吐息がくすぐったい。驚いて顔を離すと、彼女は笑っていた。
……え?私は、何かおかしなことをしてしまったのだろうか?彼女に笑われてしまうようなことを……。
「主?」
「な、なんでもないの……ごめん、ちょっと緊張しちゃった」
「あなたという人は……!」
照れ笑いをして言う彼女に、胸の奥が苦しくなる。
なんてかわいい人だろうか。愛しくてたまらない。
抱きしめたいと思うより先に体が動いてしまう。
「どうしたの……」
「あまりにも愛おしくて抱き締めずにはいられませんでした」
「……」
戸惑う声に、またしても考えるより先に答えてしまっていた。遅れて、頬が熱くなる。
な、なんてことを言ってしまったのだろうか。これは恥ずかしい。かなり。
そっと見下ろした彼女の耳が真っ赤に染まっていたので、彼女も照れているらしいことを知る。
「主?もしかして照れてますか?かわいいですね」
「う、うるさい……」
からかうように言うと、彼女が小さく反論する。
その様子がなんだか微笑ましくて、つい声を出して笑ってしまった。
彼女は気を悪くしただろうか。恐る恐る顔を覗き込むと、彼女もこちらを見た。これは、だめだ。かわいすぎる。
つい唇に向きそうになる視線を、無理矢理瞳に縫い止める。彼女の双眸に写る私は、やけに神妙な顔つきをしていた。
許しを得るべく、口を開く。
「……もう一度、よろしいですか?」
「……ん」
彼女は頷きながら瞳を閉じた。
だ、だからァ!そうやって無防備に瞳を閉じるのはやめてほしいんですけど!
今度はさっきよりも我慢がきかない。すぐに彼女の顎を持ち上げて、顔を近付ける。
「主……」
ほんの少しの隙間を空けて囁く。
思わず感極まったような声が出て、ちょっと恥ずかしい。
念願叶ってようやく唇が重なった、その瞬間。
「ン゙……ッフフ……」
「主……?」
彼女の唇が震え始めた。離れて見てみると、予想通り笑っている。
この人は、また緊張したとでも言うのだろうか。
そういったところもとても愛らしくて好ましく思うが、いつまでも緊張して笑われているのでは困ってしまう。
ころころと笑う彼女の次の言葉は、私にとって予想外かつ衝撃的だった。
「ごめんやっぱり無理」
「む、無理!?やはりご不快な思いを……?」
どうしよう。彼女は本当は嫌だったのかもしれない。嫌だが優しさゆえ私のために……なんといじらしい方だろう。本心に気付けなかった自分が情けない。体の芯が冷えてゆく気がする。
「あっ、違……ええっと、」
彼女は両手を顔の前で振ってから、視線を彷徨わせる。次に言う言葉を探しているようだ。
もし別れを告げられたら私は死んでしまう。
それだけは言われませんように。
「ごめんね、嬉しかったから笑っちゃったの」
必死の願いが通じたのか、彼女はまたかわいらしいことを言った。
別れを告げられずに済んだ嬉しさと、彼女のかわいらしさとで、私の胸中には洪水のように幸せが溢れていく。
「主……っ」
また考えるより先に抱きしめてしまった。
どうも私は彼女のこととなると自制ができないらしい。
彼女の頭をしっかりと自分の胸に押し付けるように抱える。小さな体に見合う小さな頭だ。強く抱きしめると壊れてしまうかもしれない。そうは思っても力加減はできなかった。
彼女のことが、愛しい。
「…………ねえ一期さん」
「はい?」
しばらく大人しく抱きしめられていた彼女が静かに口を開く。
「あのね、」
「はい」
「……やっぱりいいや」
「ええっ」
途中で言葉を止められると余計に気になってしまうのはなぜだろうか。彼女が何を言おうとしていたのか気になって仕方がない。
「恥ずかしくなっちゃった」
「…………な、何を言おうとしたんですか……」
彼女が照れ屋なのか、それとも、言うのが恥ずかしいようなことなのか……。
考え込んでいると、少し困ったような彼女の声が耳に飛び込んできた。
「うーん…………あのね、」
「はい」
「あの……」
「…………」
は、はやく言ってほしい。
彼女の緊張がうつってしまったのか、心臓が大暴れする。思わず喉が鳴った。
……まだ、だろうか。
しばらく沈黙していた彼女が大きく息を吸い込んだのがわかった。私の緊張も最高潮に達する。
「キスして!」
「えっ」
とんでもない発言に驚いて見下ろしたが、彼女の表情は見えなかったのでよくわからなかった。髪の間から覗く耳だけは真っ赤になっているのがわかる。
「は、はやく」
急かしながら彼女は、意識的にか無意識にかわからないが、私の服を握りしめた。かわいい。
そんなかわいいことをするのはやめてほしい。
あまりにもかわいいので頭を抱えたくなってくる。こんなにかわいくて大丈夫だろうか、いろいろと。
「いいんですか」
「してって言ってるんだからいいに決まってる……!」
ああもうどうしてそんなにかわいいんですか!私以外の男の前では絶対にそんなこと言っちゃだめですよ!
……などと言える空気ではない。据え膳食わぬはなんとやら。人の心は移ろいやすいから、彼女の気が変わってしまう前にありがたくいただいてしまおう。
「…………」
「…………」
私が腕の力を緩めたことに気付いた彼女がこちらを見上げる。りんごのように赤い頬がとても愛らしい。じっと見ているとますます赤くなるので、どこまで赤くなるのか興味深く思ったが、逃げるように目を閉じられてしまった。
これは好機。目を閉じて逃げたつもりでいる彼女は、唇にだけ口付けられると思っているのかもしれないが、それだけでは溢れる愛おしさを伝えきれない。
額にも頬にも鼻にも口付けてしまおう。
思いついたのと彼女の額に唇を寄せたのとはどちらが早かっただろうか。気持ちの赴くまま、彼女の顔中に口付ける。
「……あの、ちょっと……」
「黙ってください」
抵抗するように顔を背けようとする彼女の耳元でわざと低く囁く。彼女が私の声に弱いとわかっているからだ。
何か言いたげにしていた彼女だったが、私の目論見通りに大人しくなる。
その姿に、私の中の征服欲が満たされていくのを感じる。人に所有される刀剣のくせに征服欲を持つなど、我ながら不思議である。
お許しを得たということは、好きなだけ口付けてもよいということだろう。
「よかった。一度では足りなかったんです」
「だからってこん……」
私の言葉に反論しかけていた彼女の唇を、自らの唇で塞ぐ。
あなたの刀剣でありながら、主に向かってこんなにも無礼な行いをしてすみません主。
しかしあなたの恋人としての私は、あなたへの愛しさをどうしても抑えきれなかったのです。
心の中の弁解はきっと彼女には届かない。
あとで怒られるかもしれないが、彼女は怒った顔もかわいいからそれもいいかもしれない。今はただ、この幸せに浸っていたかった。
このまま時が止まってしまえばいい。
20161224
さらに勢い余った
おまけ書くところないからここで書いておきます。
25日がいいって言ったのは主(サンタさん)だから一期一振がイブを粟田口で過ごしてしまったことを悔いる必要はないという設定です。一期一振は真面目なので、イブに恋人同士で過ごすと聞いた瞬間に25日って指定されたことを忘れて、自分の無知ゆえ日付チョイスを間違ったと思ったとかなんかそんな……そんな感じ(曖昧)
来年はイブを一緒に過ごすとか言い出すからサンタさん大慌て
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