08:涙とたまねぎ。
小太郎の家の炬燵でひとり、ぼんやりと庭先を眺める。
隠れ家にも関わらず手入れの行き届いている庭を見ると、変わっていない風景を思い出して、愁傷の想いがほんの少しだけ胸を掠めるような気がした。
― 思い出、ねェ、
小太郎の中では、先生は思い出になっているのかもしれない。
けれど、俺の中で、先生はまだ思い出には、出来ない。
炬燵のある手狭な部屋から続いている台所で、小太郎が料理を作っている。
蕎麦にされそうになったのを、今日は絶対に嫌だと拒否をした。
嫌ならば帰れ、と云われるかと思ったが、小太郎は素直に頷くと、たまには他のものを作ろうと云って、俺を放り出した。
そうやって、俺を簡単に突き放してしまう小太郎が、時々、少しだけ恐ろしい。
台所から水の音が響いてくる。
隠れ家と云っても、木造の、旧日本家屋という風体だ。
小太郎があちこち動きまわるたび、木の軋む音が耳に心地いい。
― 懐かしい、って、俺は、何を。
そんな感情を思い出すのは、きっと小太郎が側に居るからだ。
腹の奥底から何かが這い上がってくるような感覚に捕らわれるのが嫌で、俺は炬燵から躰を引き抜いた。
畳の敷かれた部屋から、土床になっている台所へと足を運ぶ。
小太郎の後姿が眸に入る。
何を料理しているのかは知らないが、動きに無駄がないことだけははっきりと分かる。
小太郎の領域に、俺は存在していないからだ。
― 無駄が、ない、
ならば俺を与えてやろうと、俺は小太郎を後ろから抱き締めた。
■
「う、わっ…、、」
気配もなく、近づかれていたことに気がつかなかった。
丁度包丁を手にしていたので、思わず口調が強くなる。
「高杉!」
怪我をしたらどうするんだ、と云おうとして振り返ると、首筋に冷たいものが触れた。
ぽたり、と一瞬だけ走った感覚に、雨漏りだろうかと考えを巡らせる。
いや、違う。そうじゃない。雨漏りについては後からどうにかするとして。
「高杉、危ないだ…ろ…、」
振り向いた先の高杉は、ぽたり、ぽたり、静かに眸から雫を溢れさせていた。
一瞬、心臓がどくん、と音を立てた。
高杉が無防備に泣いている。
いままでなら、何かしら甘えてきたり、わざと跳ね返ったりして、心の変化を教えてきた。
それなのに、そんな風に涙を流されたら。
「たか…、」
「…なンで、」
「え、」
「なンで、お前ェは平気なんだよ…。」
「どうしたんだ、そんな、急に、」
「たまねぎだろ、それ。」
「は?」
「今、切ってンの、」
「…ああ、」
なんだ、目に染みただけか。なんだ。そうか。
それだけの、こと、か。
― 高杉が、泣いている。
俺に抱きついてきたかと思ったのに、高杉は次から次に溢れてくる涙を止める術を知らないように、静かに泣いていた。
「ぷ、」
「笑うな、」
「いや、はは、そうか。染みたか。」
「煩ぇな。」
「ふふ、あはは、」
たまねぎが、染みた。
そんな些細なことで、涙を流すことが出来る。
何故だろう。
そんな高杉に、酷く安心してしまった。
「お前、何だよ、」
「うん?」
「何、お前まで、染みたのかよ。」
「はは、え?」
くすり、と笑った途端、自分の両目からも溢れ出した涙を止めることが、とうとう出来なかった。
■
「なんだ、いい大人が、二人して。」
「煩ぇな、つか、何でたまねぎなンだよ、」
「ふふ、あははは、」
「笑ってンじゃねえよ、」
「お前だって、泣いてるじゃないか。」
こうやって普通に涙を流すことが、今の俺達には酷く不似合いな気がした。
泣くのは駄目だと、ずっと自分に云い聞かせてきた。
まだ、泣くのは駄目だと。
でも本当は、ずっと泣きたかったんだ。
晋助、お前と一緒に。
だから、たまねぎのせいにしてしまおう。
今は、一緒に泣こう。
そうして、しばらく止まらない涙を、二人で笑った。
/了/
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2012/3/4 掲載
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Renさん主催の突発高桂絵チャで「高杉が涙を流してる。」っていう状況から妄想が広がって結果こうなりました。
絵チャ終了までに書き上げられなかった無念!
最初にいちなさんが「タマネギのしあわせな高桂」みたいなタイトル(すみませんうろ覚え)をつけてくれたんですがなんかギャグっぽいっていう流れでこうなりました。
笑いながら泣くって、お互いに心を預けられる相手の前じゃないと出来ないと思うんです。
しあわせな高桂っていいよね。
Renさん、いちなさん、有難うございました!
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[mokuji]
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