暗い暗い世界で目を覚ました。ボロボロに壊れた城壁から闇色をした空が顔を覗かせている。半壊はしていたが、自身が見慣れた部屋にいることに気が付いた。だが、こうなる前のことを上手く思い出せない。デルカダールを護るために戦って、そしてゾルデに──身体を斬られたあの感触を思い出して身震いし、一旦思考を止める。正直その先は考えたくなかった。
半身を起こし、ベッド脇のチェストを見ると壊れたタイタニアステッキが置かれている。蝶々の部分とステッキ部分がうまい具合にすっぱり真っ二つだ。武器としては使い物にはならないだろう……今はもう使ってはいなかったけれども。
「ホメロス様……」
蝶を手に取り、胸に抱き締める。闇の中でひとりぼっちは心細い。部屋の外には複数の魔物の気配が感じられる。どれもこれもそれなりに強敵だ。
ガチャ──
扉を開く音がしてルーナは身構えた。武器も何もない今、苦手だが体術で抵抗する他ない。素早くベッド上で戦闘体勢を取り、来訪者を睨み付けた。
「ルーナ、俺を攻撃するつもりか?」
「えっ……ホメロス様なの……?」
此方を見て、肩を竦めたその男は確かにホメロスの姿をしていた。しかし、赤く光る瞳、人とは思えぬ青白く血の気のない肌、デルカダールの白の鎧ではなく、黒い羽根飾りのついた魔導士の服を纏っている。そして何よりもホメロスから発されるねっとりとした魔物の気配。
「どうして、魔物なんかに……」
愕然とした。以前の闇の気配がする、というレベルではない。彼は、ホメロスは、完全な魔物に変貌してしまっていた。
「あいつを超えるためにはこれしかなかった」
「あいつって……グレイグのこと?……バカ!そんなことしなくたって、ホメロス様だって優れている所が沢山あるじゃない!」
負けず嫌いがここまで来るとは思いもしなかった。苦しそうなホメロスの表情からするにかなり悩んでいたんだろう。こんな滅茶苦茶なことになる前にちゃんと相談してほしかった。
無力さに強く拳を握り締める。
「どうして、魔王なんかに魂を売ってしまったの……」
何もできなかった自分が悔しくて、悲しくて、涙が零れた。ホメロスの闇の気配には早い段階から気付いていたのに、どうして何も行動しなかったのだろう?悔やんでも悔やみきれない。
「ルーナ……俺はお前に謝らなければならないことがある」
こつこつ、とヒールを鳴らしながら、ホメロスがベッドに近づく。そしてルーナの髪をすいた。死んでいるかのような手の冷たさに身体がびくりとした。
それでも、振り払うことはしない。涙で滲んだ視界にホメロスが大きく映る。
「お前を、魔物にしてしまった……」
反応すら、出来なかった。
緩慢な動きで視線を下に、自らの腕へと落とす。ホメロスと同じ死人のような青白い腕がそこにあった。
「死んだお前を見て、何も考えられなかった。無意識のうちに魔力を注いで復活させていたのだ……」
「…………」
「……すまない」
「……私はデルカダールを守れなかったのね」
この部屋で目覚めたときに薄々は感じていた。けれどホメロスの言葉ではっきりした。ルーナが死んだということはつまりデルカダールも滅ぼされたのだ。
自分の死よりも故郷を守れなかった事の方が重くのし掛かった。
握り締めた自身の手も冷たい。
そっと顔をあげるとホメロスと視線が絡む。
「どうして私を生き返らせたの?」
「……」
ホメロスは口をつぐんだ。そして言葉を探すように、視線をさ迷わせた。
「……お前が……ルーナが好きだったからだ」
「え……」
絞り出すような声で言ったその言葉に硬直する。誰が、自分を、好きだって?うまく頭で言葉を処理できなかった。
ホメロスも照れくさいのか、そっぽを向き此方を見ない。
何故か、また涙が溢れた。
「……っ」
溢れだす涙の理由を理解した。
ずっとその言葉を聞きたかったのだと、心の底で待ちわびていたのだと気づく。
「……ホメロスさま、」
──私も、好きです。
その言葉を合図にホメロスに抱き締められた。温もりのない冷たい抱擁だったけれど、心は確かに温もりを感じていた。