- ナノ -

35:空を舞う
命の大樹が堕ちてから二ヶ月ほど経った。魔物であるこの身体も馴染んできた。魔物達がこちらに襲いかかって来ないのが始めの内は慣れなかったが、今はもう気にならない。ほとんどの魔物には慣れたがあのンフンフ笑う屍騎軍王ゾルデだけは、見る度に殺された瞬間をフラッシュバックさせるため苦手だった。

人の頃と生活上で別段変わったことは殆どなく、逆に言えば城の仕事がなくなり暇な日々を過ごしている。

「……っと、慣れないわね」

ふわりと宙に身体を浮かべる。ルーラを使わなくても、身体を自由に浮遊させれるのに気づいたのは最近だ。
あのクレイモランの氷の魔女──リーズレットと同じ。慣れていないため彼女のように自由自在とはいかない。

宙でぐらりとバランスを崩して、頭が下になる。ゴツンと鈍い音が響いた。

「〜〜……!!」

バランスを崩した拍子に思い切り頭を打ち付けてしまった。じんじんと鈍い痛みを発する箇所を手で擦りながらホイミを唱えて、ルーナは立ち上がる。
リーズレットはあんなに簡単に飛んでいたが、上昇や下降の調整やバランスを取るのがそこそこ難しい。ルーナの元々の身体能力もあるのだろうが、これは慣れるのに時間が掛かりそうだ。

ルーナが真剣な顔をして浮遊練習をしているのを天井にくっついているドラキーが不思議そうに見つめている。

「あぁ……もう……そう簡単にはいかないわね……」

出来るようになればかなり便利だと思うので、出来ればマスターしたい。

とん、と地面を蹴り、ふわりと宙に浮かんで、まずは上昇。

そして下降。

その次は前進。

後退──

「ふらふらと何をしているんだ?」

「ひゃっ!?」

唐突に声をかけられてバランスを崩して後ろに倒れる。ぎゅっと目をつぶり、続いて来るだろう痛みに備えた。

「また妙なことをして……怪我をしたらどうする」

ぽすんと後ろに倒れた身体をキャッチされる。そっと目を開けると呆れた顔のホメロスが頭上にいた。

「ご、ごめんなさい。飛べるようになったから練習してるのよ」

思いの外距離の近いホメロスに視線をそらしつつ答える。顔に熱が集まるのがわかって、見られないようにすぐにさっと姿勢を戻して地面に降り立った。

乱れた衣服をそそくさと整えて、はにかんだ。

「自由に空を飛べるって夢みたい。魔物も悪くないわね」

「……本当にそう思っているのか?」

ルーナの言葉にホメロスが眉間にシワを寄せて尋ねてくる。やや不安の色が顔から伺えた。

実際不安だったのだろう。その問いはあの日から何度も繰り返されている。そして、ルーナは毎回同じ答えを穏やかな微笑みと共に返した。

「ホメロス様と一緒にいられるんだもの。どんな姿になっても私は平気よ」

少し上にある顔を見上げ、その頬にそっと手を伸ばす。温もりは相変わらずない。それに少し残念に思い、少しだけ眉を下げた。

伸ばした手にホメロスの手が重ねられる。愛しそうに手に頬擦りをしながら、ホメロスが目を細めた。そのままルーナの手を口元まで持っていくと手の甲にそっと口付けた。

絵本の中の王子様のような美しい動作に、ルーナは顔に熱が集まるのを感じた。体温など無いに等しいのに、体温が上がったかのような感覚がする。

「ほ、ホメロス様……恥ずかしいわ」

「これくらいで照れるのか?ルーナは可愛いな」

直視できずに視線を斜め下へと落とす。クク、とホメロスが面白そうに笑って、やっと掴んでいた手を離してくれた。

「そういうの慣れてないの。知ってるでしょ?」

口を尖らせてむすっとする。

小さい頃から城の男所帯で暮らしていたが、そういう風な対応をされたことは全くといっていいほどなかったため苦手なのだ。その裏にホメロスとグレイグの並々ならぬ努力があったことをルーナは知るよしもないのだが。

「あぁ悪いな。忘れていた」

「白々しいわね。貴方が忘れるわけないじゃない」

「あぁ、バレてしまったか……怒った顔も悪くないな」

「もう……」

ああいえばこういう。ルーナは肩をすくめてわざとらしく大きなため息をついた。



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