◎ ずっとこのままで2
*
夜の京は治安が悪い。
出歩いている女は私くらいのもの。
松本先生のところへ行こうかとも思ったけれど、勝手に屯所を抜け出したりして先生の顔に泥を塗った私が頼れる筈もなく。
あてもなくとぼとぼと歩いていれば、不逞の輩に目をつけられるのは当たり前。
「おい女!どこへ行く?」
呼び止められて振り返れば、見るからにだらしのない形をした浪士が三人。
「なかなかの器量じゃねぇか。可愛がってやるから一緒に来い!」
どうしよう……どのみち生きていても良いことはないし、抵抗して斬られて死ぬのもいいかもしれない。
「へへへ……こりゃあ運がいいぜ?」
何より、こんな男に触れられるくらいなら、死んだほうがまし。
私が死んだら、土方さんは少しは悲しんでくれるかな?
囲まれて、腕を掴まれて、覚悟したのにそれでも怖くて、がくがく震える身体とこぼれる涙。
『助けて……助け…て!土方さんっ!』
今さら呼んでも届くわけないのに。
最期にもう一度会いたいけどそれも叶わない。
「大声出されねぇようにしねぇとな」
男が懐から手縫いを出して、私の口に押し込む。
「めんどくせえから、眠らせようぜ?」
首の後ろをに衝撃を感じた瞬間、私はなにもわからなくなってしまった。
「ありすっ!」
土方さんが、私の名前を呼んでくれたような気がした。
眩しい陽の光が顔に当たる。
朝……?
起きなくちゃ……朝餉の支度を……
目を開ければ、見覚えのある部屋。
身体を起こせば、空いた襖の向こうに土方さんの背中が見える。
副長室の隣の土方さんの寝所……?
どうして……ここに?
一気に蘇ってくる辛い記憶。
咄嗟に自分の身体に触れる。
手首には掴まれた跡が赤黒く残っている。
何がどうなったのか、はっきりとはわからない。
でも、この痣は汚された証拠。
死んでしまいたい。
どうしてここにいるのかわからない。
私は、汚されたいらない女。
ふらつく身体に鞭を打って立ち上がるとき、着物の裾が捲れて見えた太腿の痣。
やっぱり……私はもう……
もう思い残すことはない。
早く……土方さんに気づかれる前に……早く!
寝間の障子を音もなく開けて、まっすぐ納戸へ向かう。
幸い誰にも会わずにすんだ。
早く……早く……!
震える手で棚を漁る。
柳刃包丁が……たしか……ここに……
あった!
すぐそばにあった何かの紐で膝を縛り、包丁を喉元に持って行く。
『屯所を女の血で汚してすみません。土方さん……さようなら……誰よりもお慕いしてました……』
届くわけのない言葉を小さく呟いて、ひと思いに喉を突こうと息を止めた瞬間、手を掴まれた。
「馬鹿野郎っ!」
息を切らして慌てた様子の土方さんに包丁を取り上げられる。
『返して……返してくださいっ!お願いですっ!死なせて……お願い……死なせてっ!』
「うるせぇっ!黙れっ!」
眉間に皺を寄せて私を睨みつける土方さん。
『これ以上……生き恥を晒したくない……お願い…死なせて……』
流れる涙を拭いもせず、必死に頼む。
「ありすっ!馬鹿野郎っ!死なせるわけねぇだろうが!」
怒鳴られながら強く抱きしめられる。
廊下を走る足音が近づいて来る。
「土方さんっ!いたか?ありすっ!」
「副長っ!さとうくんっ!」
原田さんと山崎さんが、納戸の入口で安堵した表情で見ている。
ほら……こんなふうに人に知られてしまう。
「はあ……見つかって良かったぜ。ありす、俺が余計なこと頼んじまったせいで悪かったな。本当に……すまねぇ」
「さとうくん……命の尊さ重さを知ってる君が自害などしてはいけない。副長、後はよろしくお願いします」
情けなくて、恥ずかしくて。
手で顔を覆って泣くしかできない。
二人が出て行ったあと、土方さんは何も言わず、私の膝の紐をほどき抱き上げて副長室へと戻った。
「最初に言っておくが、お前は乱暴されてねぇから心配すんな。お前が気を失ったとき、俺たちが駆けつけて助けた。辱めは受けてねぇ。身体の痣は、お前を助けるときに俺がつけちまった……力が入っちまってよ……すまねぇ」
私から目を逸らし、バツの悪そうな顔で謝ってくれる。
「原田のことも……一方的に怒鳴っちまってすまなかった。その……自信がなくってよ。てめぇは俺に何にも言わねぇしよ。好きだとも、何か欲しいとも、何処かへ行きてぇとも恋仲に甘えるようなことを何にも言わねぇからよ……」
そんなふうに思ってくれてたの?
「俺も口が足りねぇから上手いこと言えねぇしよ。原田みてぇな男に横槍入れられたらたまったもんじゃねぇし……焦っちまった」
土方さんでも焦ることあるの?
『本当に……?土方さん、本当に私……』
信じてないわけじゃない……だけど……
「ああ、大丈夫だ。心配すんじゃねぇよ。だから二度と自害しようなんざ考えんじゃねぇぞ!この俺が承知しねぇ!いいな!」
土方さんの大きな手が頭を撫でてくれる。
言葉とはうらはらに優しく撫でてくれる。
「寿命が縮んだぜ。もう勝手にいなくなったりすんじゃねぇぞ」
嬉しい……帰ってこれて良かった。
『はい…土方さん。心配かけてごめんなさい。』
きちんと謝れば、土方さんの照れた顔。
「これ、持ってろ。大事にするって言ったろ?」
渡された懐紙の中には置いていった櫛と簪が、私の涙で洗われたように美しく光っていた。
それを胸に抱き、土方さんに伝える。
『私には土方さんだけ……わかってください……お願いします』
「その台詞はそっくりそのままお前に返す!お前もちゃんと自覚しろよ?俺のモンだってな!」
返事をするより前に、土方さんが口づけてくれる。
どうか、ずっとこのままで。
このままずっと……あなたのそばに。
fin.
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