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 Argentina



退屈な、古典の授業。
ペンをくるりと回して、窓の外を見渡した。一面に広がる青空。眠気が押し寄せる。

薄桜高校三年に在籍する私にとって、この古典の授業は、まさしく戦いだ。
それは眠気とかいう問題ではなくて。

「それじゃさとう、ここの下線部、助詞に注目しながら答えてみろ。」

この担当教師、土方歳三大先生だ。

私にとって土方先生は、ただの古典担当教師ではない。何を隠そう、彼こそが私とお付き合いを初めて半年経過する「彼氏」なのだ。

土方先生は、とにかく薄桜高校の女子生徒からダントツの人気を誇っている。バレンタインデーにはデスクに乗り切らないほどのチョコレートがあるし、体育祭で彼が走るだけで失神する生徒はいるし、文化祭で模擬店をだせば長蛇の列ができる。
その美貌で女性には困らないだろうな、と遠い目で見ていた私がまさか、土方先生と付き合っているなど誰が想像するだろうか。



きっかけ云々はさておき、現在のお付き合いには、少々問題がある。
実はまだ、彼とセックスしていない。





処女なんて堅苦しいものは、高校に入学して早々に捨てた。今の年齢にしてはわりかし経験ある方だと思うし、胸だって小さくない(自称じゃなくて)。
というのも問題は土方先生にあると考えている。以前園芸部が水撒きしていたところに遭遇し全身びしょ濡れになって、彼のいる古典準備室に逃げ込んだら、彼は間違いなく興奮してた。だって、ねぇ。

おそかく土方先生に、性欲はある。だけど、それを私に求めない。
別にセックスしないと死んでしまうわけじゃないけど、正直言って物足りないのだ。


にぎやかだった薄桜高校も、19時を過ぎれば静寂に包まれる。
明かりがついているのは、警備員室と職員室くらいだ。そして夜更けの職員室の主といえば....。

「いたいた、土方先生。」

がらり、と扉を開くと、デスクにむかって仕事する愛しい人がいた。
私たちの関係は当然公にはできない。だから平日はお互い、普通の女子高校生と古典教師の関係を演じなくてはならない。だからこうして、人影がなくなったころ再び彼に会いに行くのだ。

「この間の試験の採点?どう?私。」

「惜しかったな、98点。」

私と目を合わせることなく、赤ペンを動かし続ける。私の成績はおそらく彼の頭の中にインプットされているのだろう。

「あちゃー、あそこか。でもこれなら評定は5かな。」

「おい、もっと向上心を持て。」

「えー推薦取れればそれでいいですぅ。」

一応職員室のカギを閉め、土方先生のデスクに近づいた。
彼の肩を揉みながら、顔をそっと近づけた。今日は一日暑かったというのに、土方先生からはまだ洗剤のいい香りがした。私は部活が終わっていったん家に戻ってお風呂に入ったから、大丈夫だけど。こういう細かい部分までおしゃれだから、女子にはモテるのだろう、と思った。

「ねぇ、土方先生。」

「...二人の時は、そう呼ぶなって言っただろ。」

「あ、そっか。ねぇ、土方さん。」

二人でいるときは、先生と呼ぶな。付き合いはじめの頃、彼はそう言った。でも私から見てみればずっと先生だったわけで、それもいい年した大人。気軽に呼ぶことも慣れていなかったし、できるわけがない。だから、さん付けで今は落ち着いている。

私は立ち上がって、彼のデスクに腰かけた。彼はすごく機嫌が悪そうな表情をする。後で気づいたのだけど、テスト用紙を踏んづけていた。

「....おい、その足、もう少し隠せ。見えるぞ。」

ただでさえ短いスカートが、デスクに腰かけたせいでさらに短くなっていた。
なんてったて、今日は、ある目的があったから、わざと短くしてきたのだ。



「土方さん、エッチ、しよう。」




単刀直入に言い放ってみた。
さすがに彼の採点していた手の動きが止まった。馬鹿野郎、彼が小さくつぶやいた。

「私たち付き合っているんでしょ?ならしてもいいじゃん。もう半年だよ?」

「そういう問題じゃねぇだろ。いきなりなんだ?仕事中に突撃してきて、セックスしたいだと?馬鹿も休み休み言え。」

彼が勢いよく立ち上がった。がたん、と大きな音をたて、デスクが揺れた。

「大丈夫。私処女じゃないから、面倒なことにはならないよ。」

彼が煙草に火をつけた。こういう時に吸うのは、イライラしていることを表している。
人差し指で軽快なリズムを刻み、その場になんとなく不穏な空気が流れていた。

「そういう問題じゃねぇだろ。」

「じゃあどういう問題で、エッチしてくれないの?」

私も引き下がらない。頬を膨らまして、できる限り彼を睨みつけてみた。
私だって、男と女を知らないような純情女子高校生ではない。

「よく考えてみろ。未成年のお前に、いい年した俺が、手ぇ出せるかってんだ。」

灰皿にタバコを押し付ける。ぷん、と煙の匂いが鼻を付いた。

「土方さんこそよく考えてください。既に私と付き合っている時点で、不純異性間交流です。」

なんとなく感じていた、私たちの見えない壁。彼は大人で、私は子供。お付き合いをしているはずなのに、どうしても上下関係があるようで、ずっと私のコンプレックスだった。
セックスできないことの物足りなさは、ここからきていたのかもしれない。体を重ねて愛を確かめ合うことは、大人のやることだと。
そして私たちの関係は、単なる彼の戯言であると。

私は、あなたに子供として見られたくない。
私は、あなたと真剣に恋がしたい。

土方さんの彼女として、胸張れるように、お化粧だって勉強し直した。洋服だって、いいところにお出かけしても恥ずかしくないように、お金をかけたつもりだったし。
でも所詮私のエゴで、土方さんから見てみれば、子供が背伸びしているようにしか見られなかったのだろう。

「私だって、エッチがしたいわけじゃない。土方さんに、大人の女性として、見て欲しかった、それだけなのに!」

ばかばかばか、と土方さんの胸を叩いた。いつの間にか大粒の涙が次々とこぼれてきて、私の顔を濡らした。彼と同等じゃないのが、心から悔しかった。









私が大泣きしていた間、土方さんはずっと背中をさすっていてくれた。どんな表情をしていたかは知らないけど。

「う〜土方さんの、ばかぁ〜」

「おい、いい加減泣き止め。お前の気持ちは、よく分かったから。」

今この場に、事情を知らない誰かが来たら、私たち共々即アウトだ。
仕事中の教師に抱きしめられながら、その手の中で大泣きする生徒。
私もいい加減にしなければ、とわかっているけど、落ち着かない。

「だから、そういう所が、まだガキだっ言ってんだ。」

ほら、いくら優しくしてくれたところで子供扱い。

「私のどんなとこが、子供だって言うんですか……!」

真っ赤になっているであろう目を精一杯開き、彼を睨みつけた。
土方さんは大きくため息を一つついた。

「子供だぁ大人だぁ、いちいち気にするな。んなこと俺にとっちゃ問題じゃねぇ。」

それに、と彼は付け加える。

「セックスだけが、愛を確かめ合う方法じゃねぇ。まずはお前にそれを分かって欲しかった。」

だけどお前には心配させちまったな、少しバツの悪そうな顔をした。

「でもエッチするのが、一番手っ取り早くない?」

「男なんざ、セックスするだけなら誰でもいいんだよ。」

ほとんどの場合、そういった行為で負担が掛かるのは女の方だ。だからこそ、その女が大切であればそれほど、行為におよぶことはできない。
一方でそれだけの関係なら、やること済ませてあとのことは知らない。

なるほど、美男子で女性には困らない彼ならではの考え方だ。
初めて彼の内心を知った。

「……私、大切にされてる……?」

「今更気付いたのか?馬鹿野郎。こんなに可愛がってやってんのに。」

そう言って、彼は軽くキスを落とした。
いつもの、触れるだけのキス。

「私、このままでいいの?」

なんとなく彼の言わんとしていることが分かったような気がして。
つまり私が幼いからとかそういうわけでなく。

「たりめーだろ。お前は、そのままでいいんだよ。」

なんだかすごく嬉しくて。
ありがとう、って伝えた。

「でも、お前が望むなら………」

突然視界が反転して、気が付いたら天井が見えた。
背中が少し痛い。今私は、彼に押し倒されている。しかも、職員室で。

「身も心も大人にしてやるよ、これからは、な。」

ふと感じた、彼の雄としての高鳴り。
とたんに恥ずかしくなって、思いっきり土方さんの肩を掴んだ。

「ひひひ、土方さんの、スケベぇ!!!」

そこから先の反論は、彼の唇によって塞がれた。







今日は一段と星がきれいだった。



Argentina
(ささやかな、私の抵抗)






end



















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