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 海を征く獅子




時代の荒波にのまれて、新選組は負け戦が続くようになっていた。

京にいた時代から、彼らの側で行動を共にしている私は、間違いなく良くない方向へ事が進んでいることを、肌で感じていた。
それに従い、副長の土方さんの疲労も極限にまで達していた。第一線で指揮をとり、戦が済めば新選組のために奔走する。幹部の離脱などでただでさえ人員が少ないので、できる限り雑用は私がこなしていたけれど、彼にしかできないことがあまりにも多すぎている。

彼のために、私がやれる事を全てやりたい。

土方歳三という男をこれだけ間近にみていれば、彼を意識してしまうのは当然の結果だった。だけどそれ以上に、彼は尊敬に値する人間だ。こんなところで倒れるべき人ではない。そして羅刹になど、堕ちてはいけない人だ。

今日も後味の悪い戦いを終えて、陣地に土方さんが戻ってきた。
顔色がよくない。真っ赤な血で汚れた、新選組の象徴を脱ぎ捨て、すぐに自室へと姿を消した。
きっとこのあと彼はすぐに仕事を始めてしまう。その前に、一息入れさせるのが、今の私にできること。すぐに茶を淹れ、握り飯と一緒に彼の部屋へと向かった。

「土方さん、です。お夜食をお持ちいたしました。」

返事はないが、それは彼なりに入室を許可したということだ。
静かに襖を開け、遠慮がちに運んできたそれを置いた。

「すぐに下げに参りますから、それまでに召し上がってくださいね。」

そうでもしないと、土方さんは食べてくれないから。長く一緒にいて、わかったことだ。

「何か薬をもって来てくれないか。」

「どこか具合が悪いのですか?」

戻ってきてから、彼の顔色は確かに悪かったが、今は机に突っ伏していた。己の体に鞭打ってまで働く彼がこうなるとは、よほど具合が悪いようだった。



薬を取りに戻る途中、なぜかすごく嫌な胸騒ぎがした。
今夜はなぜか、戦いを終えたあとの安堵感がまだ感じられていなかった。
まだ戦いは続いているのではないか、とにかく終わった気がしなかったのだ。
大きく光る満月が、さらに私を不安にした。



「...土方さん、お薬をお持ちしました。」

相変わらず、辛そうに机に伏せたままだった。心なしか、顔が青ざめていた。体一つ動かすのさえ、苦しそうだった。

「今夜はこのままお休みください。私にできることがあれば、ご指示さえいただければ。」

独特の香りがする粉末を軽く白湯にとかし、彼に渡す。ごくりを彼が喉を鳴らせば、そこにある資料をまとめておいてくれ、と頼まれた。人間病気になると弱気になるというけれど、今の土方さんは相当参っているようだった。

「承知しました。あすの朝までには、必ず。」

休んではほしいが、彼を邪魔することはしたくない。いつでも気が向いた時に仕事ができるよう整えておくのが、私の役割だ。ついでに、今夜は胸騒ぎがして眠れそうになかったので朝までに仕上げられそうだった。



突然遠くのほうから、足音が響いた。だんだんこちらの方へ近づいてくる。
襖が激しく開かれ、そこには顔を真っ青にした隊士がこちらを見ていた。

「土方さん!!敵襲です!!!」

嫌な予感が的中してしまった。
どうやら先ほどの残党が、こちらまで攻めてきたようだった。

「今ある武器は、先ほどの戦いでほとんど底をついてしまっています!撤退、するべきです!!」

「馬鹿野郎!!!撤退なんて誰がするかよ!!.....っ、俺が、指示を、だす...!!」

無理だ。今の彼の体では、到底戦えない。前線に立つどころか、指揮を執ることすら危うい。なにより指揮官が1こでも指示を間違えば、多くの者の命が危険にさらされる。

歯を食いしばって立とうとするが、どうやら力が入らないようだった。
私が手を添えて介抱する。彼の目は焦点が合っていないようだった。おそらく目眩をおこしているのだろうか。

彼の努力は虚しく、その場に倒れ込んだ。

「土方さん!お気を確かに!!」

私を含め、数名の隊士が駆け寄る。
肩を大きく揺すっても、目を開ける様子はなかった。
目の前まで敵襲は迫っている。だが、武器もない、そして指揮官もいない。
一体どうすればいい、そう考えてとにかく辺りを見回す。

ふと彼も胸元に、違和感をかんじた。着物の衿から顔をのぞかせていたのは。

「っ、これって....!?」

紛れもなく、変若水だった。
彼も羅刹への道を考えていたのだろうか。
彼ならきっと、新選組のためなら変若水を口にすることくらい、やってのけるだろう。
おそらく、迷わないはずだ。
だけどこんなに思いつめていたなんて、気付かなかった。
いつでも変若水を取り出せるように、ここに忍ばせていたのだろうが、あまりにも衝撃的だった。

その場にいた数人の隊士には見られないように、隠した。
すぐに彼らも別の隊士に呼ばれ、その場を去っていった。今ここで、土方さんを守れるのは私だけど。だけど、どうすれば良いかまったくわからなかった。

外では戦いに苦しむ、どちらのものとも分からない呻き声が木霊していた。
次第に傷付いた隊士たちが目立つようになり、この場所が崩されるのは時間の問題だった。
土方さんの意識はまだ戻らない。

彼が目覚めたら、今の状況をどう思うだろうか。
間違いなく、自分を責めるだろう。自分が意識を飛ばしている間に、多くの隊士を傷付け、新選組の名にまた汚点を残してしまったと。
そして間違いなく、次に何かあったときに躊躇うことなく変若水を口にするだろう。

それは、なんとしてでも防がなくてはならない。

とにかく今の状況を打破できればいい。あいにく私には軍隊を指揮する力などない。かといって敵を一掃できるような力もない。

……果たして、本当にないのか?

私は自分の衿に手をかけた。
先程土方さんが持っていた、変若水を取り出す。

(これを飲めば、少ししか武術ができない私でも、大丈夫かもしれない。)

敵を殺さなくてもいいのだ。
ただ羅刹という化け物をみて、怖気付いてくれればいい。この場から敵を撤退させさせればいいのだ。
私は羅刹の道に堕ちるけど。もしかしたら殺されるかもしれない。

(土方さんさえ無事なら、それでいい。)

私は迷うことなく、その赤い液体の入ったガラス瓶に手を伸ばした。
そして、飲み干した。

変若水は、思ったよりも無味無臭だった。時折喉につかえる感覚を覚えたが、おそらく精神的なものだろう。
そして痛みも痒くもなかった。ただ鏡をのぞけば、自慢の長髪が白くなった自分がいた。
完全に私は化け物になった。
一方でとめどなく力が溢れてくるような気がした。体も空気のように軽い。

いける、これなら戦える。

目を閉じている土方さんの方を、ちらりと見た。
どうか彼が、こうなった自分の姿を見るのとのないように。そう祈るしかなかった。
ゆっくりと彼の近くに寄り、届くないはずの言葉をかける。

「土方さん、私は化け物になってしまいました。もう貴方のおそばにいることができません。」

羅刹をあんなに厳しく統制していた土方さんだから、いくら彼が許してくれたところで、それは私が申し訳ない。
私が羅刹になったことを知られれば、さらに彼を追い込んでしまう。自惚れではなく、彼はきっとそういう人だから。

「私はこの選択を悔いておりません。自らの意志です。心からお慕い申し上げる土方さんのために、敵をこの場から消して差し上げたいのです。」

そう、悔いてなどいない。
少し間違った方法かもしれないが、今の私にはこれしかできない。
これで無駄な隊士たちの怪我も抑えられるだろう。

「出来ることなら、最後までこの誠の旗の下で、あなたといたかった。あなたにもっと愛されたかった。」

羅刹でも涙がでるのだ、そう思ったとき、大粒の涙が溢れ出した。
自分で選んだことなのに、苦しくて。
もう取り返しもつかないけれど。

「土方さん、あなたは前に進むべきお人です。どうか私のことなど、振り返りませんように。」

温かい彼の指を撫でる。よかった、まだ生きている。
駆け引きされる命の価値。私の人間としての誇りを捨て、貴方の誇りを穢さぬように。

「最期ですから、どうか我儘聞いてくださいませ。」

先程よりだいぶ紅く色付いた彼の唇に、自分のそれを近づける。
一瞬だけ、ふと、触れ合った。

「どうかご達者で。ご武運お祈り申し上げます。」

すっ、と立ち上がる。
自慢の長髪を、土方さんのように縛り上げた。
そして身に纏うのは、新選組の証である浅葱色の羽織。

(新選組はまだまだ力を持っていると、どうか証明できたなら。)

どうなっても構わない。

土方さんの自室の襖を開き、外へ飛び出した。













羅刹の力は莫大だった。
おそらくその恐ろしい見た目も手伝って、敵軍はすぐさまその場を退いていった。
これは敵も味方も関係ないのだが、土方さんがあれほど強いとは知らなかったとの声が聞こえた。
彼らが見ていたのは、土方さんのような様子をした私なのだけど。これで彼の誇りが少しでも守られたなら、それでいい。

結局羅刹の力もはたらいて、なんとか生き永らえた私は、一刻も早くこの場を立ち去らなくてはならなかった。
いずれすぐにこの噂が土方さんの耳に入るだろう。そしたら間違いなく彼は、私のしたことに気付くはずだ。

どこかで血を洗い流して、お寺に住み込みをさせてもらおう。そして今日殺めてしまった人たちの供養に人生を捧げよう。

そう決めた。
慣れない手付きで、刀を鞘に収める。
前に進みだそうとした、その時。

「羅刹に助太刀されるとは、新選組も落ちぶれたもんだなぁ。」

一番聞きたくない声が、背後から聞こえた。
土方さんだ。

「……土方さんは、お部屋でお休みになられてた方がよいと思いますが。」

後ろは決して振り返らなかった。

「……惚れた女を、化け物にしといて、のこのこ休んでる男がどこにいるって言ってんだ。」

今、彼はなんて。

「遠退いていく意識ん中で聞こえた、お前の言葉は、嘘だったのか?」

あれが、私の彼に対する好意が、聞こえていたというのか。

「……嘘、……ではありま、せん。」

今の自分は、あの姿ではないだろうか。ちらりと髪をみると、もとの色に戻っていた。それだけが救いだ。

「たとえ私の事を好いてくださっていても、土方さんとはもうご一緒できません…!どうか、お部屋にお戻りくださいませ。」

「それはお前が羅刹で、俺が人間だからか?」

私の必死の訴えは、土方さんの言葉によって遮られた。
もう二度と羅刹の力を使わないとはいえ、そもそも新選組を担うべき人間と化け物は相容れない関係なのだ。
土方さんも私のことを思ってくれていても、そうでなくても。

「その通りです。ここまでお供させていただきましたが、お別れの時なのです。最後に土方さんのお役にたててよかった……」

「なら俺が羅刹なら、いいのか?」

おそるおそる彼の方を見る。
すると、そこには。

「土方さんも、羅刹、だったのですか……?」

髪を真っ白にした、土方さんの姿があった。
数日前に変若水を飲んだという彼は、ここ何日かその拒絶と、羅刹として昼間活動する苦しみに耐えていたという。
ずっと調子が悪かったのも、そのせいだったのだろうか。

これならいいだろう、血に濡れた私の手を彼が、強く引っ張った。
視界には、羅刹となった彼の姿が広がる。それは決して化け物でなく、羅刹となっても土方さんは土方さんだった。

「土方さんが、私を好いてくださるのは、同情ですか?諦めですか?それとも、ご自分を責めていらっしゃるのですか?」

目の前をかすった私の前髪が、白くなっていくのが見えた。羅刹の存在を感じて、興奮するのがわかる。


「全部、ちげぇよ。」

ぎゅっ、と抱き締められ身動きがとれない。白髪の化け物が抱き合う様子など、異様だけれども。

「京にいるときから、お前しか見ていなかった。」

土方さんの冷たい唇が、私のそれと重なる。くちゅり、と音を立てて私に流し込まれた彼のものが、かすかに血の味がする。私の唇についていたものだろうか。







すべてを捨てて羅刹になった私は最後に一番欲しいものを手に入れた。

どうか共に灰になるまで、あなたの手となり足となることを、心の中で誓った。



そして敗北の途中で、失われぬ誇りがあることを、感じたのだった。


化け物にも、愛はあるのだと。




海を征く獅子
(貴方の名を穢さぬ為に、せめてでも出来ることを)



end




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