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 Closer

雲一つない、晴天。柔らかな日差しに包まれて、今日わたしは結婚する。

式が始まるまであと20分。
もう一度グロスを塗り直し、鏡の中を見つめた。
人生の伴侶となる人は、ごく普通の一般男性。歳はさほど離れていないけど、わりかし稼ぎはいい。見た目は普通。どこにでもありふれた結婚だった。

「ありす、そろそろ始まるってさ。」

バージンロードを一緒に歩いてくれるお父さんが、控え室の扉を開いた。かわいいよ、と照れ臭そうに言った。無条件にそんなこと言ってくれるのは、今となっては家族ぐらいだ。

その一方で少しお父さんは表情を曇らす。

「この結婚は、心から望んだもので、いいのかな?」

ウエディングドレス姿の娘になんてことを言うのだろうか。普通ならこんなこと聞かれないのだろう。でも私には、そう聞かれるための思い当たる節があった。

「…………歳三くんの、こと?」

父親が小さく頷いた。

「その話はよしてって言ったじゃない。それに心配しないで。歳三くんのことは気にしてないから。」

「…………パパはてっきり、彼と結婚するかと…………」
「歳三くんとはそれだけだったの。友達にも心配されちゃったけどね。…さ、パパいこう。」

これ以上話が深くならないように。
何十年かぶりに、私から父親に腕を絡めた。


**********

土方歳三、通称歳三くん。

今までの恋愛遍歴の中で、一番輝かしくて一番虚しい思い出。
私の中で女の三大ステータスってのは、胸の大きさ・女子力・元カレ(イマカレってとこじゃないのがポイント)だと思っているけど。
歳三君が元カレだったことは、私のステータスをかなりあげていると思う。

それくらい、よくできた男だった。

出会ったのは地元のカフェバー。
週に1回は優しいマスターと気さくな会話を楽しむために通っていたのだけれど、ある日偶然隣同士になって、瞬く間に私が惹かれた。
近くの薄桜高校で国語教師をしているという彼は、頭脳明晰容姿端麗。おまけに女心ってのをよくわかっている。私のクソ元カレどもに、爪の垢でも飲ませたかった。
私の必死のアプローチを、うまくかわしたり、時々わざと引っかかったりして。
結果的に初めて出会ってかた半年後、ついにお付き合いを始めた。

こんなに夢中になった男性は、初カレ以来だったと思う。(結局初カレには騙されていたって、あとから知ったのだけれども。)私はタバコが嫌いだったけれど、彼の吸っているタバコだけは別の誘惑的なものにみえた。お酒の飲めない男は嫌いだったけれど、彼だけは違った(すごく、かわいいの)。
家族にも歳三君のことはたくさん話した。両親が会いたいって言ったら(元カレがクソすぎて両親なりに心配だったんだと思う)歳三君は素直に応じてくれた。
「今はまだ先のことはわからないけど、しっかりお嬢様を大切にします。」だからよろしくお願いします、と両親に向かって頭を下げた歳三君の姿は忘れられないくらい、かっこよかった。





雪がしんしんと降り積もる冬のある日、事態は急転直下した。


「ありす、俺の転勤が決まった。」

突然彼が口を開いた。

「え、いつから?どこに?どれくらい?」

歳三君はずずっとコーヒーをすすった。

「今度の4月から。場所は決まってねぇが、とにかく地方だ。それにどんくらってのもわかんねぇ。地方の荒れている学級を立て直す。これが薄桜高校が出した、教頭に上がるための条件だ。」

おそらく出世のための、高校側が与えた試練だろう。いつかはやって来ると思っていた。歳三君ならできる、と思ったけど、それは彼が遠くに行くことを認めてしまう。

「それじゃあ、私っ......」

どうしたらいいの、その言葉が出なかった。
ただ何をどうしたらいいのかわからなくて、涙の一粒も流れなかった。



歳三君も、もしかすると何か私のリアクションを期待していたのかもしれない。
彼自身も戸惑っているようにみえた。

「突然わりぃ。あー...なんか、飲むか。」

いつも通り差し出されたワイングラス。
とにかくこの時は、お酒の勢いに巻かれることにした。
そして勢い任せに、セックスした。

あの時のセックスは、すごく覚えてる。
いつも耳元で囁いてくれた「愛してる」の言葉も、形式的な甘い言葉も、なんにもなくって。ただお互い、ぼんやりのこの先のことを考えながら(果たして考えていたかどうかさえ、今ではわからなけど。とにかくその場しのぎだったような、そんな気がする。)快楽に溺れていった。








およそ三ヶ月後、思ったよりも別れはあっさりやってきた。








飛行場の出発ゲートで、歳三君のカバンを渡す。
空港内は春休みとあって、家族連れが目立つ。わりかし混んでいるように感じられた。

「助かった、手伝ってくれて。」

「いーのいーの。これからお節介できなくなっちゃうから、さ。」

出発ゲート変更のアナウンスが、響き渡る。通り過ぎる人々が、紙切れみたいにみえた。
「これから」と言ったものの、私たちにこれからはあるのだろうか。
心配なことはたくさんあったけれど、驚いたころに意外と無感情だった。
私の頭の中は、すっかりパンクしているみたい。

「必ず、成功させて帰ってくるからよ。」

「歳三君なら、大丈夫だよ。」

結局最後の最後まで、私たちが今後どうしていくのか話題に出ることはなかった。
転勤を告げられたあの日以来、その話はタブーになってしまった気がする。

触れなければいけない、決して触れてはいけないこと。

「それじゃ、そろそろ時間だから.......。」

ちらい、と時計を見て歳三君が呟いた。

「そうだね。...応援してるよ、更に立派な先生になって、帰ってきてね。」

「おう、任せとけ。」

ああ、時折見える少し哀愁漂った彼の笑顔が大好き。

「私、歳三君のこと、ずっと、好きだから。」

「わりぃな。辛い思い、させちまって。」

彼の言う「辛い思い」とは何を意図していたのだろうか。
愛する人に置いていかれること?別れを悟って欲しいということ?

「そんなこと歳三君が気にすることじゃないよ!ほら、いってらっしゃい!」

思いっきり、歳三君の背中を叩いた。彼の体が反射的に、私から離れていった。
振り返って、もう一度私の好きな笑顔を見せてくれた。

わりぃな。辛い思い、させちまって。

これが私の聞いた、彼の最後の声だった。
この時、低音の柔らかい彼の声をもう二度と聞くことはないと思ってた。

「(最後くらい、もうちょっといいこと言ってくれてもいいのに....)」

私はぼんやりと、午前11時を回った時計を眺めていた。
遠くで、子供の泣く声がした。



**********

結婚式から数ヵ月後の3月、今日で私は仕事を辞める。
子供ができるまでは続けてもよかったけど、家庭に入ってほしいというパートナーの希望もあったし、なにより突然辞めるのも会社に迷惑かなと思ったからだ。
ささやかだけれども、花束を頂いて、部署のみんなが見送ってくれた。

慣れ親しんだロッカールームから裏口を通って、帰路に着く。
帰り道に夕食の買い物を、と思った瞬間気がついた。

(今日、彼は飲み会だったんだ......)

手元の時計を見れば、まだ17時を過ぎたばっかりだった。なんだか家に帰るには早すぎなような気がして、落ち着かなかった。そんなこと考えているうちに、会社前の大通りを歩き終え、裏路地にさしかかっていた。

いつもの通勤だったけれど、なんだか今日は胸がざわついた。
この角を右に曲がれば自宅、左に曲がれば。

「歳三君、こっち戻ってきたのかなぁ...。」

彼と出会った、あのカフェバーがある。

歳三君と別れたあと、私たちは一切連絡をとっていなかった。世に言う、自然消滅ってやつである。自分では久々に夢中になった恋だったけれど、歳三君とはそれだけの関係だったみたいで。あえて連絡をとる勇気も、気力もなかった。あのカフェバーのマスターにはさんざん心配されたけど、一度婚約者を連れて行ったらなんにも言わなくなった。

「たまには、行ってもバチは当たらないよね。」

近くのスーパーのトイレを借りて、軽く化粧を直した。
カフェバーの入口の前で、お気に入りのスプリングコートを脱ぐ。カラン、と入口のベルが音を鳴らした。白髪まじりのマスターが、コップを拭いていた。作業を止めて、こちらをむく。ますは「いらっしゃい。」と。

「ありすちゃん、久しぶりだね!」

マスターは私のことをまだ覚えてくれていたみたい。半年くらい前に、婚約者を連れて行った以来だった。

「久しぶり。いつもの、頂戴。」

いつもの、とはジントニック。ここのマスターは、カットライムをちょこんとのせてくれる。音を一切立てずに、いつものがでできた。

「この前、式挙げたんだ。」
「そうかい、改めておめでとう。」
「そそ、ねー聞いてよ。すっごい面白いことあったんだから!」

他愛のない会話が、緩やかに続いた。会話のとぎれとぎれに聞こえるBGMが懐かしい。

「新婚生活は、順調?」
「うん、だからね今日で仕事辞めるの。これからは専業主婦なんだ。」

専業主婦になったら、こうやって好きにお酒を飲めることも少なくなるんだろうな..、と頭の片隅で思った。時間はあるのに、きっと予想以上に自由でない生活が待っていると思うと、少し憂鬱になった。

「君みたいな子が仕事やめちゃうの、勿体無いなぁ。......この曲。」

BGMが切り替わった。サックスの音が印象的な入り方の、ジャズの名曲だ。

「トシくんの、好きな曲、だね。」

トシくん、とは歳三君のこと。マスターが懐かしんだように、漏らした。私は目をそらした。そういえば、初めてであった夜の日も、この話題から始まったんだっけ。


遠くでお店の扉が開く音がした。「いらっしゃい」と声が目の前で響いた。一応悪いと思って隣の席に置いておいた鞄をテーブルの下に置いた。その人は、どかっと音を立てて、私の隣に座った。(おいおい、2個ぐらい席開けて座ってくれよ....)小さく頬を膨らました。




「いつものやつをくれ。って、俺のこと、覚えているか?」





私のマスターの二人で、耳を疑った。
なぜならもうその声は、二度と聞くと思っていなかったからだ。


「歳三、君........。」

数年ぶりに会う歳三君に、私は戸惑いを隠せなかった。だめだ、今彼を見たら間違いなく
ダメだ。何がダメか分からなかったけど、ダメだった。

微妙な空気感に、むしろマスターが居心地悪そだった。歳三君のいつもの、はトム・コリンズ。お酒が苦手な彼のために、マスターがいい具合に調整してくれている。レモンと一緒に刺さったチェリーがとっても可愛らしかった。

しばしの沈黙。スピーカーからサックスに混じって、軽快なドラムがリズムを刻み始めた。


「.....いつ、結婚した。」

沈黙を破ったのは、歳三君の方だった。おそらく、私の左手の薬指に光る指輪にさっそく気づいたのだろう。

「さすが、鋭い人ね。....入籍したのは半年くらい前なんだけど、忙しくてついこの前式を挙げたの。」

「相手は?」

「普通の人よ、普通!まぁ彼ね、病院に勤めてるから、私は家庭に入ることにしたの。それより、歳三君は、いつ帰ってきたの?」

「....今日、帰ってきた。」

これには驚いた。よく見るといつもの歳三君の荷物の量が多かった。

「そう、だったんだ。お疲れ様。じゃあ、仕事帰りの一杯?でも飛行場から歳三君の家までに、ここ通ったっけ?」

歳三君は黙っていた。やめてよ、私に会いたかったなんて、期待しちゃうじゃない。一刻も早くこの場を飛び出したくて。ゆっくり味わいたかった最後の自由なお酒だったけど、一気にかき込んだ。荒々しくコースターにグラスを置いて、財布を取り出す仕草をする。

「....こいつに一杯、同じやつを。」

歳三君が、目を伏せながら言い放った。マスターがどちらを加勢すればいいのか、本当に迷っている。歳三君は、動じない。こういう時はいつもそう、私が折れる。回転椅子を元に戻して、座り直した。

「.....新しい生活は、順調か。」

何事もなかったように会話が続けられた。なんだか歳三君の聞き方が、すっごく虚しかった。ほんとうに道を違えてしまったんだと、実感する。

「......順調、かな。」

歳三君が遠くへ行って一回も連絡を取らなかった間、不思議なことに歳三君に思い焦がれることはなかった。普通に仕事をこなして、あるとき上司からもたっらお見合い話に、そのまんま乗った。嫌いじゃなかったし、ああこれが結婚か、とも理解した。と同時に恋愛と結婚の違いを、理解した。

「うまく、いっていないのか?」

私が答えるのを躊躇ったからか。歳三君が気を使ってくれた。実際うまくいっていないわけではない。喧嘩も時々するけど、一緒に生活している。けれど、かといって、すごく上手くいっているわけでもなかった。
でも、なんとなくその質問には答えないことにした。

「歳三くんこそ、出世、できそう?」

「おいおい、随分露骨に聞くじゃねーか。」

「私を置いていった、仕返しだよ。」


別に、歳三君のこと恨んでたわけじゃないけど。
なんとなく「仕返し」って言葉があってる気がした。

不意に会話が途切れる。まだまだ数年の溝は埋まっていなかった。



「なぁ、あんとき、飛行場で、俺は別れる気なんかさらさらねぇよ、って言ったら。お前どうしたか?」

歳三君が、何年か越しにそのタブーに触れた。

「........わかんない。」

「はっ、そりゃそーだよな。正直言って俺もどうしていいか、分かってなかったしな。」

今更だよ、歳三くん。今更、「これから」の話をしてどうするの。
私と歳三くんのこれからは、もう一緒じゃないんだよ。

「俺も、ずっとお前のこと好きだって、あんとき言っていたら、どうしたか?」

「.......わかんな、いっ。」

目の前が涙で霞む。絶対に泣かないって思っていたのに。あんなに夢中になった男性も前でも、普通に振る舞えるくらい強い女だって、見せたかったのに。涙を見せたら、まだまだか弱い女の子じゃない。

「今ここで、伝えたいことがあるって言ったら、聞いてくれるか。」

「わかんないよ.......!!!」

今度そこ、グラスを一気に明けた。最初の一杯分のお金だけ机の上に置いた。残りは歳三くんが払ってくれるやつだから。多分400円くらい多いけど、これはマスターへのお詫びの印。空気、悪くしちゃってごめんね。

勢いよくお店を飛び出す。別れ際の歳三くんの表情は、しらない。
間抜けな顔してたら、思いっきり笑ってやろうと、いつか思っていたのに。

「歳三くんなんて、大っ嫌い。」

嗚咽が止まらなかった。明日きっと目が真っ赤だろうけど、お別れ会で泣いたとでもしとこう。







そのあとの話は、後日お店に行ったときマスターにこっそり聞いた。
歳三くんもすぐにお店を出たみたい。でもその前に、随分と下を向いてなにかをつぶやいていたらしい。近くにいても聞こえなかったみたいだから、もしかすると無意識だっかのかもしれない。

でもなんとなく、あの晩だけ歳三くんに会えたから。なんとなく彼の気配が残っていて。

「伝える前に、フラれちまうとはな。」

そう口が動いたような、何かがみえた。

その手には小さな箱と、その中に、きらりとひかる指輪があるのをかんじた。





だから最後だけ、一粒の涙を流した。



Closer
(全ての行先に、光があるのならば)






end












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