むかしの話

 夕方の演習場に私の叫びが木霊する。

「ぬあああ!なんで当たらないの!」
「君は力みすぎなんだよ」
「力入れなきゃ飛ばないじゃん」
「じゃあ中間を目指すといい」
「何かコツとかないわけ」
「さぁ。僕は失敗したことがないから分からないな」
「……腹立つ!」

 ぜぇぜぇと息をしながら地べたに這いつくばる私は誰がどうみても滑稽に映るのだろう。その横で惣右介くんが腰に手を当てながら私を不思議そうに眺めていた。
 
「珍しく君がついてきて欲しいと言うから期待したのに、まったく色気がないな君は」
「逆になんで私に色気を期待したかな」
「テストは来週だろう?今日のところは諦めてまた明日練習しよう」
「特進クラスでまともに鬼道ができないの私だけなんだって、このままじゃ退学させられちゃうよ!」
「大袈裟だな。別に鬼道が全てじゃないんだからそこまで気にしなくてもいいじゃないか」
「実は座学もやばいんですよね」
「……それは、まずいな」
 
 珍しく言葉を詰まらせた惣右介くんに私の絶望感は一気に吊り上げられた。やばい、これは本当にやばいやつだ。
 遡ること半日前、鬼道の授業で的を外しまくり演習場の壁に穴を開けまくった苦い記憶が蘇る。先生は「まぁこれからだな」と励ましてくれたものの、安くはない修理費を計算してはひたすらに落ち込んでいた。
 私はこれ以上先生を落胆させないためにも、何より私の行く末の安泰のためにも、完璧に鬼道を習得しなければいけないのだ。だというのに、この男は。
 
「藁をも掴む思いでひっぱってきたんだからちゃんと教えてよ〜」
「ここまで来るとなんで出来ないのか不思議だよ」
「またそういう事を言う!」
「この間だって君が泣きつくから勉強を教えてあげたのに赤点を取っただろう。自業自得さ」
「けっ、天才には凡人の苦労なんて分からないんでしょうね!」
「さて、帰ろうかな」
「あああ!ごめんなさいごめんなさい!どうか教えて下さい惣右介様!」
 
 さっさと背中を向けて歩きだす惣右介くんに私は慌ててすがりつく。彼は面倒くさそうに振り返ると私の情けない顔を一瞥して短いため息を落とした。
 くっそぉ、そりゃあ天才からしてみれば凡人の私の悩みなんて理解できないだろうがせめて友達のよしみで助けてくれたっていいじゃないか。
 それに、ここに来てもう二時間は経とうとしている。いつまでも売り言葉に買い言葉を繰り広げている猶予は無いのだ。私は惣右介くんの着物の裾をきつく握りしめ、お願いだからと懇願の眼差しを向けた。そして、暫しのにらめっこの後、もう一度「はぁ」と短いため息が惣右介くんの口から溢れたのだった。
 
「仕方ない。僕もいい加減帰りたいから教えてあげるよ」
「惣右介様……!」
「ほら、もう一度構えてごらん。ゆっくり息を吸って一言ずつしっかりと詠唱するんだ」
 
 惣右介くんは的からきっちりと距離を取った場所に私を立たせ、横から指示を投げた。言われた通りに大きく息を吸い、手のひらに霊力を集める。中心に力を込めるイメージを思い浮かべると、僅かに手の平に熱がたまってきた。十分に力が集まったのを確認すると、頭の芯を研ぎ澄ませ、ゆっくりと口を開く。
 
「……――君臨者よ、血肉の仮面 」
「力まないで」
「へぇっ?!」

 だというのに、突然耳元で聞こえた声にぼんっ、と私の手の平から霊力が飛び散った。不発に終わった鬼道が無惨にも空気に乗って流れていく。驚いて体を捻れば、顔のすぐ横に惣右介くんの真剣な顔があった。いつの間にか惣右介くんがぴったりと私に体を寄せていたのだ。そのあまりの距離の近さに頬に熱が集まった。
 私の思いなど露知らず、惣右介くんは、目線は的に向けたまま私の腰を掴み、もう一方の手で私の腕を掴んで上に持ち上げる。
 
「集中して、もう一度」
「うっ、あ……君臨者よ、血肉の仮面」
「もっとゆっくり」
「っ、君臨者よ 血肉の仮面万象 羽搏きヒトの名を冠す者よ」
「そう上手だ。そのまま力を抜いて」
「……――焦熱と争乱海隔て逆巻き南へと歩を進めよ」
「もう少しだ」
 
 これは一体なんの拷問なのだろう。腰には彼の逞しい腕、構えた手には長い指、極めつけは耳を擽る甘い声。時折耳を掠める惣右介くんの吐息に発狂してしまいそうだった。けれども不思議なもので、私の手の平にはみるみると赤い灯火が球体となって形成されていた。指先の感触に、今度はいけるかもと淡い期待が浮かぶ。私はそのまましっかりと的を見据え、最後の詠唱を唱えた。
 
「破道の三十一、赤火砲!」
 
 手の平から勢いよく放たれた赤火砲は曲がることもなく真っ直ぐと的に向かって飛んでいく、そして見事的を打ち砕き、壁にぶつかることもなく消えた。ぽかんと立ち尽くす私の横で、「良かったじゃないか」と惣右介くんの声がする。その声で私はようやく現実に引き戻された。
 
「っやったーーー!!これで退学しなくて済む!ありがとう惣右介くん!」
「力になれて良かったよ」
「本当にありがとう、何でもお礼する!」
「……何でも?」
「うん!」
「へぇ、じゃあ今度の休みに僕と買い物にいこう」
「そんな事でいいの?」
「決まりだ」
「はー、良かった。これで今日は安心して眠れるわ」
「あぁ、そうそう。今のは僕が力を分け与えたから打てたけど、本番はもっと集中するんだよ」
「………は?」
 
 とんでもない爆弾発言に体がぴたりと固まった。えっ、こいつ今何て言った?

「じゃあまた明日」
「ちょっ、」
 
 止める暇もなく、惣右介くんは爽やかな笑顔で演習場を後にする。
 取り残された私は呆然と彼の背中を見送りながら、今しがた言われた言葉の意味を理解しようと必死に頭を回転させた。そして、
 
「……っ、惣右介くんの馬鹿野郎ー!」
 
 またしても私の叫び声が演習場に響き渡ったのだった。
 
(2020.06.16)




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