メリーメリークリスマス?

 現世との関わりが濃いとはいえ、死者の世界は時の流れが遅いように思う。内勤が多い私などはたまに現世に行くと未だに驚くものだ。
 固い石に囲まれた長方形の建物が天高くそびえ立つ様も、布の少ない服をヒラヒラとなびかせながら歩く女の子達も。どれも私の生きる世界とは違いすぎて目がチカチカとしてしまう。
 それでも、たまに見る分にはいいものだと思っていた。自分の知らない世界を知るのは良いことだし、何より楽しい。
 いつか現世の文化が私達の暮らす世界に溶け込めば面白いかもしれない。確かに、そう思ってはいたけれど。
 
「松本副隊長、その格好は」
 
 四番隊の休憩室で、私はうどんを片手に絶句していた。目の前では松本副隊長が今日も輝かんばかりの美貌を振りまきながらにこにこと笑っていた。
 
「今日は現世でいうクリスマスなのよ」
「くり、くりすます……?」
 
 聞き慣れない単語を苦労して復唱すると、松本副隊長はにこにこと笑って頷いた。
 違う、私が聞きたかったのはそういうことじゃない。喉元まで出かかった言葉を寸前の所で飲み込んで、私はもう一度彼女の服装を凝視した。
 赤色を中心とした生地は目に暖かく、寒さがこたえる今の時期にはぴったりの色合いだった。しかし、布の面積は冗談かと思う程に狭い。
 
「差し出がましいようですが、ちょっと色々と出過ぎではないでしょうか。肩とか、胸とか、足とか」
「透子ったら知らないの? ミニワンピって言うのよこれ」
「み、みに……?」
「んもう、頭が硬いわねぇ。異文化交流とでも思えばいいじゃない」
「今のところ交流の要素が皆無なんですが」
「はいはい。つべこべ言わなーい! 何でも、今日は好きなものが手に入る日らしいのよ!」
「好きなものが手に入る?」
 
 うどんを啜っていた手を止めて松本副隊長を見上げる。私が反応したことで気を良くしたのか、彼女はいきなり私の手を取って歩き出した。
 
「ちょっ、うどんが!」
「ほらほら行くわよー。今日はがっぽりと巻き上げるんだから」
 
 白魚のような手からは想像もつかない力でずるずると引きずられながら、私は泣く泣く松本副隊長の後を追った。
 きっと碌なことにならない。その直感は悲しくも大当たりしてしまうのだった。
 
 
 
「松本副隊長。お願いです。何でもするので私を開放してください」
「えぇ? いまからが本番じゃない」
「せめて着替えさせてください…!」
 
 正気じゃない。本当に、まったくもって正気じゃない。
 賢明に自分の体を抱きしめながら私は松本副隊長に懇願した。
 
「似合ってるわよぉ。サンタって言うらしいわ、この格好」
「現世の人間は本当にこんな格好をしているんでしょうかね…?!」
 
 ミニワンピなるものの裾を賢明に伸ばしながら私は憤る。松本副隊長の手によって、あれよあれよと死覇装をひん剥かれた私の体は赤色の服に包まれていた。
 流石に彼女も色々と考慮したのか(主に胸あたりを)松本副隊長よりは露出が控えめだが、いくらなんでも太ももを隠す布が短すぎる。
 一生懸命布をひっぱって足を隠そうとするが、今度は後ろの布が上に上がってきて悲鳴を上げた。
 上半身は辛うじて胸元の白いふわふわと、肩と腕を覆うふわりとした袖口によって隠されてるが、この下半身の守る気の無さはどうなのか。
 
「寒い、寒すぎる。こんなの正気じゃない」
「文句ばっかり言ってないで行くわよー」
「嫌です…! 嫌だぁ…!」
 
 そこからの記憶は朦朧としている。道行く人達は驚いていたような気もするし、引きずられる私を哀れんでいたような気もする。
 覚えているのは、遠慮なく迫る松本副隊長と、真っ赤になりながらもお願いを聞いてやる男達。京楽隊長に至っては、永遠に伸びるのでは無いかと見間違う程に鼻の下を伸ばし、彼女のお願いを率先して聞いていた。松本副隊長といえばそんな京楽隊長に念書を書かせ、判を押させ。普段では考えられない有能ぶりを発揮していた。発揮するところが違うんじゃなかろうか、とは。口が裂けても言えない。
 というか、なにもクリスマスにかこつけなくたって。彼女の美貌にかかれば全てが手に入るのでは。
 そこまで考えて自分の卑屈さに泣きそうになってしまったが、浮竹隊長が手のひらにちょこんとお菓子を乗せてくれたのがせめてもの救いだった。
 似合ってるぞ。と、何の含みも無い笑顔でかけられた言葉には思わず眉を下げてしまったけれど。
 
「今日は付き合ってくれてありがとうね。おかげで大収穫よ。分け前は後で届けるわね」
「分け前はいいので着物を返してください。今すぐに…!」
「はいはい。十番隊の休憩室に」
 
 松本副隊長の言葉を最後まで聞かずに私は走り出した。一刻も早く、この頭のおかしい服を脱ぎ去りたい。その一心で足を前後に動かす。
 幸いにも人気は無く、今のところ誰ともすれ違ってはいない。あと一つ角を曲がってしまえば、目的地は目の前だ。
 そう、安堵したのがいけなかったのかもしれない。
 
「えっ、」
 
 一瞬何が起こったのか分からなかった。突然体が浮き上がり、薄暗い部屋の中に引き込まれたのだ。
 私を引き寄せる力は強いもので、思わずぎゅっと目を瞑る。けれども、想像していた痛みは無く、代わりにふわりと体を包み込む暖かさがあった。
 
「捕まえた」
「え、あ、……惣右介くん?」
「やぁ。随分と面白い格好をしているね」
 
 鼻先を掠める甘い香りと、甘い声。うもれていた顔を持ち上げると、すぐ近くに整った男の顔がある。間違えようもない、藍染惣右介その人だ。
 
「ぎゃー! 放してっ、この変態!」
「変態? この僕が?」
 
 変なことを言うね。にこやかに微笑んだ男はまっすぐと私を見下ろしている。一体何が目的なんだこの男は。
 二本の腕はしっかりと私の腰に回り、密着するように抱き込まれた姿勢は逃げようと身を捩っても、びくともしない。

「噂になっていたよ。真っ赤な服を着た二人組がカツアゲをして練り歩いていると」
「巻き上げてたのは松本副隊長だから」
「君は何もねだらなかったのかい?」
「当たり前でしょ。っていうかいい加減離して」
「へぇ。勿体ない」 
「聞いてる? ねぇ、私の話聞いてる?」
「どれ一つ賭けをしようか」
「賭けって何を、うわっ!」
 
 体がふわりと浮く。軽々と私を抱き上げた惣右介くんは、そのままスタスタと歩き部屋の奥にあった長椅子に座った。抱えられていた私は当然、彼の膝の上に収まる。
 え、いや。ちょっと待ってくれ。これは何の罰なのだ。
 
「上手にお願いが出来たら何でも好きなものをあげるよ」
「わかった。目を潰されたいのね?」
「怖い事を言うね。僕は君に贈り物をしたいだけなのに」
 
 やれやれとため息を吐いた惣右介くん。たったそれだけの動作なのに、ひどく様になるのは何故なのか。恥ずかしさと悔しさが混ぜこぜになった胸の内がドコドコと太鼓にも似た音を立てている。
 逃げ出したい一心で腰を浮かせても、彼の腕がガッチリと腰を掴んで離さないし、距離が近すぎるせいで落ち着かないし。
 別の意味でため息を吐いてしまいそうだ。主に心労からくるものを。
 
「で、君は何が欲しいんだい?」
「何も欲しくないよ」
「本当に? 何も?」
「強いて言うならこの腰に回ってる手を離して欲しい」
「それは聞けないな」
「何でもとは……?」
 
 つまりは逃して貰えないということなのだろうか。惣右介くんを見上げると、よっぽど情けない顔をしていたのだろう。彼の目尻が柔らかく下がった。
 
「なんて顔をしているんだい」
 
 思わず、といった風に崩れた笑みはうっかり魅入ってしまいそうなほど美しかった。見惚れてしまうまえに慌てて視線を下に落とす。あられもない私の足が目に入るが、こっちのほうがまだマシに思える。
 
「その格好は似合っているけれど、流石に丈が短すぎるね」
「……へ?」
「こんなあられもない格好で歩き回っていたなんて。悪い子だ」

 ぐい、と後ろに倒される上半身。その間を詰めるように迫る惣右介くんの顔に、頭の中が真っ白になっていく。
 ぱさりと頬に当たるのは、彼の緩く波打つ髪の毛だ。髪の合間から覗く鳶色の瞳が、何かを吟味するようにゆっくりと細められていく。
 
「知っているかい? 本来クリスマスというのは、君がお願いを叶えてあげる立場なんだよ」
「え、あ、そうなの?」
「だから僕の願いを聞いてくれるかな」
「それ聞いたら、開放してくれるの」
「あぁ、勿論」
「……私にできることなら」
「じゃあお願いしよう」
 
 くっ、と体が惣右介くんの方へ引き寄せられる。
 近付いた唇が、まるで罪を告白するかのように密やかに言葉を紡いでいった。耳に塗り込めるように、一言一言。彼の言葉の意味はよく分からなかった。それでも、恥ずかしさに押されて、コクコクと首を縦に降ってしまう。
 
「ありがとう。じゃあ後日、約束の物を持っていくよ」
 
 ぱっと離された惣右介くんの腕。彼は約束通り、本当に私から離れていった。
 あまりのあっさり具合に、ぽかんと私は立ち尽くす。
 
「はい。君の死覇装」
「えっ、なんで持ってるの」
「暫く戸の前に立ってるから、着替えるといい」
「無視ですか」
 
 いやに機嫌のいい彼の背中を見送りながら、私は何の気なしに自分の右手を眺める。
 
 ――ここの指に、指輪を。
 
 はて、首を傾げてみても答えは出てこなかった。お願いといいつつも、結局は私が貰う側でいいのだろうか。

「……何で右手なんだろ」

 戸の前に立つ男が、上機嫌に空を眺めていることなど露知らず。
 私はのそのそと着替えたのだった。

 
(2021.12.25)
 



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