15 揺らぐ心は何のため

 霊術院に来るなんて何十年ぶりだろう。私は道場の隅っこで正座をしながら、ぼんやりと目の前で繰り広げられる阿鼻叫喚を眺めていた。
 
「オラオラァ!もっと腰入れてかかってこいやぁ!」
「ヒイッー!」
「もうちょっと骨のある奴はいねぇのかよ!」
「わーっ!ごめんなさいっごめんなさいっ!」

 楽しそうな斑目三席と、悲鳴を上げながら逃げ惑う生徒達。そして増え続ける怪我人。
 
「笹竹九席手当をお願いしますっ」
「はい、大丈夫ですよ」
「私もお願いします!」
「ちょっと待ってて下さいね」

 私は彼らを手当てしながら手元の薬箱を開けて在庫を確認する。朝一番にパンパンに詰めてきた中身はもう既に底をつきかけていた。今日の実習講師が斑目三席と聞いて、多めに用意してきたのだがどうやら私の考えが甘かったらしい。
 
 今日は霊術院で定期的に行われる特別授業の日だった。それぞれ各分野に秀でた死神が抜擢され授業を行うのだが、今日の私は実習担当の医療係として来ていた。最初に講師の名前を聞いたとき、思わず正気かと目を疑ったのが記憶に新しい。
 戦闘分野において斑目三席を抜擢するのは間違いだとは思わないが、斑目三席を選んだ人物は果たしてなにを期待して選んだのだろう。彼を知る人ならば、実習生相手に丁寧に指南をする姿など想像できないと思うのだが。
 
「ねぇ、あれって」
「えっ本物?!」
「噂には聞いてたけど本当に素敵……」
 
 突然、殺伐としていた道場にきゃあきゃあと黄色い声が溢れる。不思議に思い騒がしい方へ視線を向ければちょうど惣右介くんが入口から道場に入ってくる所だった。
 きょろきょろと中を見回した彼が、私を見つけて手を上げるので、私も仕方なく片手を上げて振りかえす。途端に女子生徒達の視線が遠慮なく私に刺さった。大丈夫、彼女達はまだ死神の卵だ、怖くない。と自分自身に言い聞かせて精神の安定を図る。
 そんな事などおかまいなしな惣右介くんは群がる女子生徒達を軽くあしらい、優雅な足取りで私の元へと向かってきた。
 
「お疲れ様。そっちは授業終わったの?」
「あぁ、久しぶりで不安だったが問題なく終わって良かったよ。こっちはどうだい?」
「斑目三席のせいで忙しい」
「だろうね。彼の戦闘スタイルは勉強になるだろうが、生徒にはちょっと荷が重いな」
 
 そう言って惣右介くんはおもむろに私の隣へ腰を下ろした。ふわりと墨の匂いが鼻を掠めて、そういえば私も昔惣右介くんに書道を教えてもらったなぁと、懐かしい記憶が蘇った。
 惣右介くんの教え方は無駄がないし何よりとても丁寧だ、生徒達はいい勉強になったのではないだろうか。
 
「ぎゃあっ」
「わっ!」

 などと考えていると、思考を遮るように惣右介くんと私の間に男の子が投げ飛ばされてきた。吃驚して飛んできた方を見れば斑目三席が両手で生徒を抱え上げているではないか。
 いつの間に死覇装を脱いだのか、上半身をさらけ出した斑目三席が次から次へと生徒を捕まえて投げ飛ばす。もはや授業じゃねーじゃん!とツッコミを入れつつも、ついに堪忍袋の緒が切れた私は立ち上がり斑目三席に詰め寄った。
 
「斑目三席!これ以上怪我人を増やさないでください!これは授業なんですよ」
「あぁん?笹竹テメェ俺に指図しようってか」
「当たり前です。次から次へと怪我人を出して処置する私の身にもなってください」
「へぇ、言うじゃねぇか」
 
 斑目三席は次の玩具を見つけたとでも言うように両手に抱えた生徒達を放り出し、ゆらゆらと私に向かってくる。
 眩しいつるつる頭が私に迫り、鋭い眼光で威嚇するように私を見下ろす。負けじと睨み返せば、気に触ったのかそれはもうドスの聞いた声が降ってきた。
 
「じゃあなんだ、お前が俺の相手でもするか」
「いいですよ」
 
 まさか私が受けて立つなんて思っていなかったのだろう。間髪入れずに私が返事をすると、斑目三席は豆鉄砲をくらったように目を見開いた。いつの間にか周りを取り囲んでいた生徒達も私の発言にざわざわと驚いてる。
 ふふん、こうなると思っていたのだ。私はここぞとばかりに腕を伸ばし惣右介くんの羽織の裾を掴んだ。そのままぐいっと引き寄せて隣に立たせれば、斑目三席がようやく私の魂胆を察っしたのか「げっ」と顔を歪ませる。
 
「私じゃなくて藍染隊長がお相手しますけどね!」
「テメェ卑怯だぞ!」
「……透子、君って奴は」
「どうぞ何とでも仰ってください!あっはっはっは!」
「覚えとけよ笹竹……!」

 勝利の高笑いから一転、斑目三席の恐ろしすぎる笑顔に「ひっ」と惣右介くんの背中に隠れる。しかしこれで私の仕事も一件落着だ。
 この私が斑目三席と真剣勝負をして勝てるわけがないじゃないか、はなから惣右介くんをだしにようと決めていたのだ。惣右介くんには申し訳ないが日頃私をいいように弄んでいるのだから許してほしい。
 背中越しにじとりと頭に降りかかる視線には気づかないふりをした。
 
「まぁいいさ。今回は大目にみよう」
「そうそう同期のよしみだと思ってさ」
「藍染隊長と笹竹って同期なんすか?!」
「残念なことにね」
「どういう意味よそれ」
 
 普段あれだけ同期を強調してくるんだから、たまには私が使ったっていいじゃないか。視線だけで訴えると惣右介くんは短いため息を吐いて私の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。どうやらこれで許すという事らしい。
 
「じゃあ実習はここまでにして、今日は特別に僕の斬魄刀の始解を披露しよう」
 
 生徒達からわっと歓声が上がった。それはそうだ、隊長クラスの始解なんてそうそう見られる機会はない。良かった、やっと授業らしくなると私は胸を撫で下ろすが、同時にあれっと脳内にとある疑問が浮かぶ。
 
「ねぇ惣右介くん」
「なんだい?」
「そういえば私、惣右介くんの始解見たことなかった」
 
 そうなのだ、私は惣右介くんの始解を見たことがない。私と惣右介くんは霊術院時代に一緒に修行をして、死神として入隊してからも何度か鍛練をしていた。なのに思い返してみても浮かぶのは私の始解会得を喜んでくれた彼だけだった。
 惣右介くんはきょとんと目を見開いてから、何かを思い出したかのように笑顔に戻る。
 
「あぁそうだね。透子には見せたことがないな」
「長い付き合いなのに今の今まで気が付かなかったわ〜。でも私も楽しみ」
「……君には見せないよ」
「えっ?」
 
 いま、なんて?ぽかんと惣右介くんを見上げた。相変わらずにこにこと笑う惣右介くんはもう一度「君には見せない」と繰り返す。反論をしようと口を開けばあれよあれよという間に手早く薬箱を持たされ私は道場から放り出された。ついでに「これで美味しいものでも食べてお帰り」と小銭を握らされて。

 えっ、だから何で私だけ見ちゃ駄目なの?
 
「えぇ……?」
 
 結局、大きな疑問を残したまま私は霊術院を後にしたのだった。
 
 


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