14 悪い魔女にご用心

 護廷十三隊でどの隊が一番苦手かと問われれば迷う余地なく私は十二番隊と答えるだろう。もっと細かく言うならば十二番隊全体ではなく、涅隊長が苦手だ。

 今まで直接被害を被った事は無いが、噂を聞いていれば事実かはさておき、関わりたくないと誰もが思うだろう。
 
「もうコイツでいいヨ」
「はいマユリ様」
「……はい?」
 
 だというのに何故、私は涅隊長と向き合っているのだろうか。人気の無い廊下は私と涅隊長、それとネム副隊長しかいない。
 
 涅隊長は相変わらず奇抜な格好に不機嫌そうな顔を張り付けて私を見下ろしていた。じりじりと廊下の隅に追い詰められ、じわりと嫌な汗が全身に吹き出す。
 逃げ出そうとすれば、私の横をすかさずネム副隊長が塞いだ。しかも、右手には何故か注射器がある。
 透明な筒にはどす黒い液体がなみなみと入っていて、それ絶対体に入れていい色じゃない!と思いはすれど恐怖から「あの、」とか「その」だのといった意味の無い言葉しか出てこない。
 
 ネム副隊長が私の腕を掴む。殺される!と心の中で私が叫んだ。本能的に足が床を蹴るが決死の思いも虚しく、私は取り抑えられた。
 豊満な胸が私の顔面を覆い、惜しげもなく露になった美しい太ももが私の動きを封じる。その幸福な感触に気を取られたのがいけなかった。

「申し訳ありません失礼致します」
「ぎゃーー!」
 
 ちくり、と私の腕に痛みが走ったのだった。
 
 
 
 
 
 
 
「うっ、あー、……ズビッ、」
 
 廊下ですれ違う隊士達が、戸惑いながらも私に挨拶をする。それに会釈を返しながら私は廊下をトボトボと歩いていた。
 
 彼らが戸惑うのも無理はないだろう。何故なら私の両目からはボロボロと大粒の涙が溢れているからだ。
 拭っても拭っても涙はとまる気配を見せず、ただ目尻が痛いだけだった。頭の芯がぼうっと熱くなり、鼻の奥がつまって窒息しそうになる。

 書類運びなんて引き受けるんじゃなかったと後悔が押し寄せるも、それよりも悲しい気持ちが勝ってますます涙がとまらない。
 
 涅隊長曰く、これは“感情を涙に変換する薬”らしい。この薬を投与すると普段は押し留めている様々な感情がすべて涙になって表に出てくのだという。しかも些細な変化さえ薬によって倍増され、本人の意思では制御できなくなるといったとんでもない代物だ。(実際はもっと専門用語に溢れていたが私では理解ができなかった)

 体験してみて分かったが、自分の意思と反して涙が出てくるというのは不安感がすごい、そしてまたその不安感によって強制的に涙が出る。
 辛い、地獄すぎる。っていうか技術開発局って暇なのか?もうちょっと世のため人のためになる開発はできないのかと心の中で悪態をつくも、ズビズビと鳴る鼻によって思考は遮断された。

 十二番隊もとい技術開発局は阿近がいるから辛うじて秩序が保たれているといっても過言ではないだろう。そう、目指すのは阿近の所だ。とっととアイツから解毒剤を巻き上げて仕事に戻らねば。ついでに一言二言文句を言って、最後に涅隊長には言わないでよと釘を刺してやるのだ。……だって怖いし!
 
「わっ!」
 
 などと考えていたからか、廊下の角を曲がった瞬間ドンッと誰かにぶつかり私の体が大きく後ろに反れる。やばい、建て直せない……!反射的にぎゅっと目を瞑る。しかし、いつまでたっても体に衝撃は無く、不思議に思い目を開ければ、私の腰に腕が回っていた。
 
「やぁ透子。奇遇だねこんな、……透子?」
「惣右介くん」
 
 私は惣右介くんと出会う呪いにでもかかっているのだろうか。こうも頻繁に彼と鉢合わせるといよいよ不審に思えてくる。
 私の訝しげな視線などものともしない惣右介くんは、いつも通り花も咲くような笑顔を向けてきた。けれどそれも一瞬で。みるみると彼の額に眉根が寄り、瞳からは光が消えていく。そこに浮かんでいるのは明らかな怒気で私は盛大に狼狽えた。
 え、何でこんなに怒ってるのこの人。どう声を掛けるべきかと私がわたわたとすれば、惣右介くんの霊圧が跳ね上がり床の木目がミシミシと音を立て始める。ちょっ、怖い!怖いんですけど!
   
「誰にやられた」
「へっ」
 
 今までに聞いたことが無いくらい、低い声が廊下を這う。本能的に逃げようと体が後ずさるが、惣右介くんの腕がしっかりと腰に回っている為叶わない。この圧迫感は何なのか、もはや霊圧なのか彼の声音なのかも判断が出来なかった。
 
「君を泣かせたのは誰だと聞いている」
「えっ、あっ、これ?!」
 
 そうだ、私は泣いているのだった。ようやく合点がいって私は自身の目元を拭う。相変わらず私の涙は絶賛流れ中だ。というか惣右介くんのせいでさらに量が増したような気さえする。
 ともかく、誤解を解かなければ。
 
「違うっ、違うんだって!」
「何が違うというんだい、じゃあこの涙は一体なんだ」
「だからこれは、もう、う〜……」
「あぁすまない君に怒っているんじゃないんだ。泣かないでおくれ」
 
 いや、そういう事じゃなくてと説明しようにも喉から息がせり上がりうまく言葉にできない。そんな私の様子を見て何を勘違いしたのか、惣右介くんが安心させるように私の足元に跪き、顔を覗きこんでくる。
 さらに片手で私の手を握り、もう片方の手であやすように私の頬を包んだ。驚きに目を眩かせる私の目元を親指がそっと拭う。

 あぁ、こんな事になるならもっと詳しく話を聞いとくべきだった。涅隊長への恨めしい気持ちばかりが募っていく。せめて終わりがあるのか無いのかだけでも教えてほしかったのに。

「それで、何があったんだい」
「これはねっ、ちがっ、違うの……!」
「透子落ち着いて、ゆっくり息をするんだ」
「うぅ……すー、はー、」
「そう上手だね」

 惣右介くんが胸元から取り出したハンカチで私の目尻を押さえ、そのまま頬を拭いてくれる。
 
「話せそうかい?」
「グズッ、……うん」
「僕のせいで誰かに嫌がらせをされたのなら」
「さっ!されてないからっ」
「じゃあいったい、」
「……くろつちたいちょう」
「え?」
「だからっ、涅隊長がっ!うっ、わあぁん」
「……あぁそういう事か」
 
 やっと伝わった……!今日ばかりは惣右介くんの回転の早い頭に感謝するしかない。泣きながら喜びに浸っていれば突然、はー、と大きいため息が足元から聞こえる。
 見れば、惣右介くんが片手で顔を覆い項垂れているではないか。その珍しい姿に一瞬だけ涙が引っ込んだ。

 彼でもこんな姿を見せるのかと一種の感動すら憶えていると「よいしょ」と惣右介くんの掛け声が聞こえる。ついで私の体を浮遊感が襲った。
 ……えっ、何で抱えられてるの?
 
「ちょっ、私は解毒剤をっ」
「その前に酷い顔をどうにかした方がいい」
「ひどいって、」
「あぁほらまた。頼むから泣かないでくれ、薬だと分かっていても落ち着かないんだ」
「むっ、無茶言わないでよ……!」
「まず目元を冷やそう。真っ赤で痛々しいよ」
「もうやだ、私っ、これから隊舎でないっ」
「それは困るな。僕が君に会えないだろう」
「うっ、」
「透子?どうしたんだい?」
「……わぁぁん!」
 
 
 
 その後、私は何とか阿近から解毒剤を巻き上げることに成功した。
 しかし薬の効力がとっくに切れていた事を知り技術開発局の床をのたうち回ったのであった。
 


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