11 人の噂も七十五日

 私はうんざりとしていた。原因は仕事でもなければ、今日のどんよりとした天気のせいでもない。
 
 すり鉢に薬草を放り込む手が、知らず知らずの内に乱雑になり、すりこぎを握る手にも力が入る。ゴリゴリと無心で薬草を砕くことで何とか保たれていた精神状態もいよいよ限界が近いことを悟っていた。
 
「笹竹九席、藍染隊長と一夜を過ごしたって本当ですか?!」
「九席を探して藍染隊長自ら山に走っていったって」
「朝に帰って来たお二人は仲睦まじいように見えましたがやはりお二人はそういう関係なんですか?!」 
「藍染隊長の羽織を被ってたのを見かけたんですが!」
 
 バンッ、
 机にすり鉢を叩きつけ、私は口を覆っていた布を乱暴に外す。周りを見渡せば何十人という隊士が私を囲んでいた。彼らの瞳は爛々と輝き、私の返答を今か今かと待ち構えている。
 ついに、ぶちりと脳内の血管が切れる音がした。
 
「ええい鬱陶しい!つーか一人も助けにこないってどういうこと?!」
 
 いいから仕事しろ、なんて。まさかこの私が叫ぶ日が来ようとは。
 私は心の中でしょっぱすぎる涙を飲んだ。
 
 
 
 
 
「地獄だ、ここは地獄だったんだ」
「まぁまぁ、笹竹九席落ち着いてください」
「あんまりだと思いませんか山田七席!私が遭難したっていうのに誰も助けに来ないばかりか、あっという間に噂が広がるなんて!」
「あははは……」
 
 手早く仕事を終わらせ、私が逃げ込んだのは山田七席の所だった。もはやこの隊舎に信用できる死神は山田七席しかいない。
 
「でも確かに驚きましたよ、藍染隊長が笹竹九席を探しに行くと飛び出していったんですから。他の皆さんは隊長が行くと言った手前動けなかったんです」
「うっ、いや、確かにそうですけど!」
 
 あの日、私と惣右介くんはすっかりと眠りに落ち、起きた頃には雨は綺麗に上がっていた。朝の空気に身震いをしながら二人で山を下りると、四番隊の隊舎の前では、何故か隊士が勢揃いして私達を迎えたのだった。
 彼らは私達を見るやいなや色めき立ち、惣右介くんが何も話さないと分かると一気に私を取り囲んだ。突然の人の波に溺れた私は、必死に惣右介くんに助けを求めたのだが、あろうことか、惣右介くんは私の頭を一撫でして颯爽と四番隊を後にしてしまったのだ。
 その一連の流れにより四番隊は黄色い悲鳴に包まれ、私は休む暇もなく質問攻めにされる事となった。以降、三日が経った今でも私は道行く先であれこれと追撃を受けている。

「人の噂も七十五日って言うじゃないですか、そのうち皆さん忘れてくれますって」
「長いなぁ……!」
 
 例の出来事は瞬く間に広がり今では四番隊を飛び出し、全ての隊が知るところとなってしまった。瀞霊廷の至るところでこの話題が持ち上がっているのかと思うと、私はいつ廊下で刺されてしまうのかと怯える毎日を過ごしている。
 
「それで実際どうなんですか、藍染隊長とは」
「何もないですよ、惣右介くんとは友達……。うん、そうです友達です」 
「……本当ですか?」
「友達です!」
 
 そう、彼とは友達。ちょっとだけ追加要素があるだけの普通の友達のはずなのだ。なのに、はっきりと断言できない自分にイライラとした。
 
 

 
 

 隊舎の廊下をいつかの日のように、凄まじい勢いで駆ける。本当はしてはいけないのだけれど、今の私はいかに人目に触れず書類を運べるかに全力を注いでいた。

「やぁ、元気かい」
「わぁぁっ!!」
 
 だというのに、無情にも私の手首が掴まれる。あまりにも急な停止に、私の手元からぼろぼろと書類がこぼれ、廊下に散らばった。それらを拾うことも出来ずに、私は自身の手を掴む人物をぎこちなく見上げたのだった。
 
「丁度君に会いたいと思っていたんだ」
「……私、瞬歩してませんでしたかね」
「あぁ、瞬歩だったのか。ただの急ぎ足かと」
「ええそうです、ただの急ぎ足なので先を行かせてくれませんかね!」
 
 小憎たらしい台詞がここまで似合う人物は、私が知る限り一人しかいなかった。わざわざ五番隊を避けてここまで来たというのに、どうして彼はいるのだろうか。
 したっぱとは言え私も一応席官だ。その席官の腕を、瞬歩の途中で掴んでしまうなんてやはり惣右介くんは凄い。けれど、彼にとっては朝飯どころかおやつにも入らないのだろう。特に言及するでもなく、惣右介くんはにこにこと私に話しかけた。
 機嫌がいいのが逆に怖いな、と私は身構える。経験上、こういう時は弄ばれる事が多いのだ。
 
「僕とデートしないか」
「……へっ、」
 
 けれども、まるで予想もしていなかったお願い事に思わずまぬけな声が私の喉から飛び出す。ぱちぱちと目を眩かせると、惣右介くんは私の反応に苦笑いをしながら、もう一度繰り返した。
 
「明後日、僕とデートをしよう」
「でぇとって、あの?」
「横文字に弱いのは相変わらずだな。そうだよ、デートさ」
「私の勘違いじゃなければあれは恋人同士に適用されるものだと記憶しているのですが」
「僕たちは友達以上恋人未満なんだろう?いいじゃないか名称くらい」
「……ちなみに拒否権は」
「無いね」
 
 無いんかい!盛大にツッコミながらも、私は頷く以外の選択肢は無いことを早々に悟り、仕方なく(かなり仕方なく!)頷いた。
 彼は、私の了承を得るとようやく手を離してくれる。そうして床に散らばる書類を集め、私の両手に納めた。念のため確認すると書類はしっかりと隊別に纏められていて、こういう抜かりの無い所が腹立つんだよなぁと私は重いため息を吐いた。

 そうして彼に一声かけ、踵を返そうとすると、ぽんと頭の上に手が乗る。軽い感触にゆっくりと頭を持ち上げると惣右介くんが優しい瞳を向けていた。
 瞳を縁取る睫毛が、下向きに影を作り、ただでさえ柔和な雰囲気をさらに膨らませている。惣右介くんの瞳は溶けてしまいそうに揺らいでいて、見慣れない視線にまたしても書類を落としそうになった。こんな色、今まで見たことがない。
 
「じゃあ明後日の晩、迎えに行くよ」
「わ、わかった」
「それじゃあお互い午後も頑張ろう」
「うん」
 
 惣右介くんに背を向けて歩きだした足が、いつのまにか歩調を早め、やがて駆け足となった。どうして、こんなに胸がうるさいのか。
 
 私は答えに辿り着いてしまうのが恐ろしくて隊舎の柵を勢いよく飛び越えたのだった。


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