12 オレンジ頭の男の子

 今日は現世に来ている。卯ノ花隊長からおつかいを頼まれたからだ。
 意気揚々と義骸に入り、久々の外出に心が踊っていたのも数時間前。私はいま猛烈に困っていた。道行く街の人々が不信な目で私を見ている。それはそうだろう、“普通の人間”から見たら私は一人で騒いでいるようにしか見えないのだから。

「お嬢ちゃん、ワシの事が見えるんだろう?!頼む願いを聞いてくれ!!」
「いやー!離して!私いま仕事中じゃないんです!いや仕事なんですけどおつかいの途中なんです!」
「どっちもかわらんじゃろ!いいからワシの頼みを聞いてくれ!後生だから!」
「後生ってお爺ちゃんもう死んでるでしょう?!」
「こうなったら祟ってやろうか!」
「私を祟りでもしたらあの世で後悔しますからね!ていうかいい加減離してー!」
 
 地図を見ながら歩いていた時、声をかけられて振り返ったのがまずかった。後ろを見れば、そこにはお爺ちゃんが一人ぽつんと立っていたのだ。お爺ちゃんの胸元には鎖がぶらさがっていて「げっ」と後ずさるも時既に遅し。お爺ちゃんは顔を耀かせ、私の服を逃がすまいと掴んだのだった。
 
「ようやっとワシが見える人に出会えたんじゃ、ここで逃がすわけにはいかん!いいからさっさとその体をワシの為に捧げんか!」
「もう発言が完全に悪霊寄りなんですけど!だから、今日の私は何もしちゃいけないんですって!」 
 
 死神の現世任務には色々と制約がつく。任務の目的によって斬魄刀の使用は制限され、場合によっては斬魄刀を抜いてはならない時もある。私の今回の目的は現世での薬調達なので当然斬魄刀の使用は許可されていない。
 念のため、義骸を抜ければ帯刀した姿にはなれるが、それは緊急事態に出来ることであって許可を得ていない状態の魂送は違反行為だ。それに伴い、いかなる理由があっても死者への干渉は行ってはいけない。心苦しいがお爺ちゃんの悩みを聞くことはいまの私にはできないのだ。
 が、当然そんな事を知るよしもないお爺ちゃんは私を離す気配はないし、私も説明をした所で分かって貰えるとは思っていない。一番の問題は、この場を切り抜ける術を私は持ち合わせていない事だった。
 
「ワシはどうしても孫に届けたいものがあるんじゃ、車で跳ねられた時にそれを亡くしてしまって……」
「わー!やめて身の上を語らないで!助けたくなっちゃうから!」
「おっ、やってくれるか」
「お爺ちゃん耳遠いんじゃないの!」
 
 もう、駄目だ。延々と同じことの繰り返しで涙が出てきた。通行人はコソコソと喋りながら私をまるで不審者のように見ていくし、子供に至ってはお母さんに目を隠され歩いていく。私が何をしたと言うのだ。もはや今の状況こそ緊急事態じゃないのか。
 バレてもいいからさっさとお願いを聞いてしまおうか、それとも鬼道でちょっと脅かして逃げるか。
 私が苦しすぎる二者一択を迫られていた、その時。
 
「離してやれよ、じーさん」
 
 突如聞こえた第三者の声に私とお爺ちゃんの動きがぴたりと止まる。
 声が聞こえた方へ振り返ると、私は大きく目を見開いた。まず飛び込んできたのは鮮やかな蜜柑色だった。目の覚めるような髪色に心を奪われるも、それが長身の男の子だと気付き、さらに驚く。
 男の子はかっちりとした服に身を包み、鞄を気だるげに肩にかけていた。あれは、確か現世で学校に通うための洋服だっただろうか。いつの間にかつかつかと歩いてきた男の子はお爺ちゃんに近寄り、ぐっと顔を寄せた。驚いたお爺ちゃんは握っていた私の服を離し、そそくさと後ずさる。
 すごいこの子、幽霊が見えるんだ。
 
「じーさん、あんたの悩み俺が聞いてやるよ」
「……!ほっ、ほんとうか?!」
「俺に出来ることならな。だからこの人は離してやってくれ」

 怖い子かと思えば、随分と優しい性格をしているらしい。よくよく見れば、いかつい雰囲気はあるものの、つり上がった眉とは対象に目元は柔和だ。澄んだ瞳がお爺ちゃんを真っ直ぐと捉えている。素直な子なのだろうな、という印象を受けた。
 
 あっけに取られながらもスカートの裾を直した私はお礼を言うべきか、どうするべきかと男の子とお爺ちゃんを交互に見る。おろおろとする私をよそに、お爺ちゃんと男の子は何かを話し合い、いつの間にか意気投合をしていた。
 これは逃げても大丈夫なのでは?と、歩き出そうとした瞬間、突然手首を男の子に捕まれ私は飛び上がった。
 
「あんた、触らなきゃ平気か?」
「へっ、」
「このじーさんの落とし物、探すの手伝って欲しいんだけど」
「……わかった。触れないなら、多分大丈夫」

 これは不可抗力だ仕方ない、そう言い聞かせながら私は腹をくくり、服の裾を捲ったのだった。
 



 

「ありがとうなぁ、ほんとうにありがとうなぁ」
「分かったからさっさと成仏しろよじーさん」
「お孫さん喜んでくれて良かったですね」
「これで未練なくあの世にいけるわい。お前さん達はまだまだ来ちゃ駄目だぞぅ」
「はいはい」
「あちらでもお元気で」
「……それじゃあの、ワシは行く」
 
 お爺ちゃんの涙はぽろぽろと地面に染みを作ることなく消えていく。姿が段々と薄くなり、キラキラと光る粒子が羽ばたくように天に昇っていった。やがてお爺ちゃんの姿は完全に見えなくなってしまう。
 ちゃんと成仏できただろうか。私達は普段、魂送をして霊をあの世へと送るが、こうやって人の手によって自然に成仏をする光景はとても美しいものだと思う。隣の男の子を伺えば、彼もほっとした顔をしていた。
 さて、すっかり夕方になってしまった。これは早く用事を済ませて帰らねば。手元の地図を広げると、男の子が「どっか行きたいのか」と声をかけてくれる。丁度いい、彼に聞いてしまおう。

「ちょっと道を教えて欲しいんだけど、あー……」
「黒崎一護、ちなみに名前は果物の苺じゃねぇからな」
「そう、私は透子。笹竹透子って言うの」
 
 一瞬、本名を明かしていいものか迷ったが現世の男の子に教えたところで何か不都合があるわけでもないかと、私も素直に自己紹介をする。
 
「私、この薬屋さんに行きたいんだけど一護くん場所わかる?」
「あー、ここなら歩いてすぐだな。つーか笹竹さんどっか体悪いのか」
「ううん。これはおつかいで私のじゃないの」
「へぇ、……帰り道だから連れてってやろうか?」
「いいの?助かる」
 
 そうして、歩き出す一護くんの後ろを少し離れてついていく。夕焼けの残照に照らされた住宅街は静かで、閑散としていた。それでも沢山の人間の気配に溢れていて、不思議な心地だ。

 ぼんやりと延びる電柱の影をみていると、なぁと前から声をかけられた。
 
「笹竹さんも災難だな。見えるばっかりにあーいうのに付きまとわれて」
「確かに困る時もあるけど見えることに関しては迷惑してないよ」
「そっか。俺もだ」
「私は助けてあげることは出来ないけど、一護くんは優しいんだね」
「そんなことねぇよ。ほっとけないだけだ」

 それを人は優しいというのだけれど、一護くんにとってはそうじゃないらしい。夕日に縁取られた一護くんの輪郭が、寂しそうに揺れている。彼にとって見える能力が、幸運ではない事は一護くんから漂う霊圧の高さが物語っていた。きっと、今まで沢山の苦労を重ねてきたのだろう。
 感傷に浸っていると、一護くんが突然立ち止まった。勿論私は気付ける筈もなく、一護くんの背中に思いっきり顔面をぶつける。慌てて離れると、いつの間にか目的地に到着していたらしい。確かに私が探し求めていた薬屋の看板が目の前にあった。
 
「わっ、ありがとう」
「ここで合ってるか?」
「うん。色々とお世話になりました」
「……俺の家、ちっせーけどクロサキ医院って名前で病院やってるから何か困ったことあったら来いよ」
「そうなんだ、分かった。家の人に伝えておく」
 
 そうして、一護くんは気だるげに片手を上げて帰ってしまった。
 私は、何だか疲れたなぁという感想しかなくて、薬を手早く買いしめ、新たな厄介事に巻き込まれる前に穿界門へ飛び込んだ。
 
 後日、流魂街でお爺ちゃんとまさかの再会を果たし、「もう死んだのか!」と怒られたのはまた別の話である。
 


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