08 心、くもりのち晴れ

「浮竹隊長、先日は申し訳ありませんでした」
「気にしないでくれ笹竹、俺こそ隊長でありながら判断が遅れ申し訳なかった。それにしても顔色が悪いが大丈夫か?」
「そんな、浮竹隊長は何も……すみません。ちょっと昨夜飲みすぎまして」
「そうかそうか、たまには息抜きをしないとな。……本当に大丈夫か?」
「だい、じょうぶ、です」
「……本当に本当に大丈夫なのか?!」
「……、うぷっ」
「笹竹ー!」
 
 十三番隊の隊舎の中を浮竹隊長の悲鳴が駆け抜けた。
 
 
 
 
 やってしまった。私は浮竹隊長に背中を擦られながら、裏庭の井戸の近くでうずくまっていた。浮竹隊長にこの間の失態について謝罪をしにきた筈なのに、まさかその浮竹隊長に介抱をさせてしまうなんて。
 浮竹隊長は「いつも看病してもらってばっかりだから新鮮だよ」と中々に笑いづらい励ましをかけてくれているが、私は未だにまともな返事ができないまま桶に身を屈めている。
 
 やばい、とんでもなく気持ちが悪い。原因は間違いなく昨夜の飲み会だ。私は果たしてどうやって自室に帰ったのだろうか。起きたらきちんと布団に収まっていたが、その前の記憶がない。精神世界での対話中は吐き気など無かったので、すっかりと油断していた。
 暫くして、第一波が過ぎたのか、吐き気が収まり嫌悪感が遠ざかった。口を水でゆすいで手を洗う。そうして起き上がると浮竹隊長がほっとしたように大丈夫かいと問いかけてくる。
 私は腰を直角に曲げ、ありったけの思いをこめて謝罪をした。
 
「本当に本当に本当に申し訳ありません……!」
「いいんだよ、笹竹が元気そうで何よりだ」
 
 ほら、これでも食べてと差し出されたのはハッカ飴で。ここまで気を使わせてしまうのは女としてどうなんだと、落ち込みながらもありがたく頂戴した。口のなかが爽やかな香りに満たされ、さっぱりとする。
 ころころと飴玉を転がしていると、廊下を誰かが歩いてくる気配を察知した。少しすると、ど派手な着物を羽織った男性が視界に入ってくる。あれは。
 背筋がぴんと延び、緊張が伝う。私の異変を感じた浮竹隊長が不思議そうに後ろを振り返り、歩いてくる人物を見つけてあぁと声をかけた。
 
「京楽!」
「あらぁ、どしたの。浮竹そんな所で」
「いやちょっとな。悪いもうそんな時間だったか」
「いいよ〜それよりだぁれ、その可愛い子ちゃんは」
 
 浮竹隊長が縁側に歩みを進めるので、私も慌てて飴を噛み砕きながらこっそりと後を追う。自分の立場だと、真っ先に挨拶をしなければいけないのだが、機会を逃して浮竹隊長の背中に半分程隠れる形になってしまった。
 どうしようかとおろおろとしていると、浮竹隊長の頭の上からひょっこりと京楽隊長が顔を出す。私は飛び上がり、慌てて一礼をした。
 
「こんにちは。お名前を聞いてもいいかな」
「はっ、はい!ご挨拶が遅れて申し訳ありません、四番隊第九席を勤めております。笹竹透子です」
「あぁ、君があの四番隊の!」
「なんだ知っているんじゃないか」
「いやなに、この間十一番隊の子が四番隊の医務室で大暴れしたらしくて。そしたら九席の女の子が飛び込んでその子達を殴って黙らせたっていうからさぁ」
「……本当なのか?」
「……お恥ずかしながら」
 
 嘘でしょう、京楽隊長のお耳にまで入っているなんて。あの時の私はどうかしていたのだ、何故果敢にも飛び込んでいけたのか、そして何故あの時に限って十一番隊の隊士は私なんかに負けたのか。四番隊に所属して初めて十一番隊に恨めしい気持ちを抱く。
 
「まさかこんな可愛い子だったなんて。本当にこの小さな手で押さえ込んだのかい?すごいなぁ」
 
 私がわなわなと羞恥心に震えていると、京楽隊長がごくごく自然に私の手をとり、すっぽりと包み込む。小さいかどうかはさておき、京楽隊長の手に包まれると確かに私の手はとても華奢なものに思えた。
 しっかし格好いいなぁ。まじまじと京楽隊長の顔を眺めると、視線がぱちりと合う。京楽隊長は私の惚けた顔を一瞥し、にこりと微笑みをくれた。うわっ、色気がある。
 野性味がありつつも、どこか上品な笑みに私の胸が大きく高鳴った。その様子を眺め、浮竹隊長がこらっと京楽隊長の頭をはたく。

「若い子がおじさんに手を握られるなんて嫌だろう。お前はすぐにそういうことをする」
「えぇ、ひどいなぁ。ごめんね透子ちゃん」
「いえっ!そんな事はないです!」
 
 京楽隊長の手が離れていき、私はほっと一息をつく。そのまま退散してしまおうと、お辞儀をすると何故か二人に呼び止められた。
 
「僕たちこれからちょっとお茶するんだけど、良かったら透子ちゃんもどう?」
「あぁ、笹竹も折角だから少し休んでいけばいい」
「……はぁ」
 
 副隊長クラスなら分からなくもないが、果たして一席官が隊長とお茶を飲んでいいのだろうか。疑問に思う声はあれど、どのみち隊長の誘いを断る不敬はできないので。お言葉に甘えて同席することにした。暫くして縁側に女中のお姉さんがお茶を運んでくる。私を見て不思議そうな顔はするものの、丁寧にお茶菓子を置いてくれる辺り、流石浮竹隊長の隊舎だ。 
 お茶菓子は栗羊羹だった。口に入れると控えめな羊羮の甘さにほくほくとした栗の食感が馴染んで幸せが広がる。渋いお茶をすすると何とも言えない穏やかさに胸が包まれた。
 十三番隊舎は数える程しか足を運んだことがないが、こうして改めて庭を見回すと、手入れの行き届いた綺麗な場所だと感じる。整えられた木の枝に、うるさくない程度の草花がある。砂利は美しい波紋を描いていて、庭全体が洗練された空気に満ちていた。四番隊舎の庭も綺麗ではあるが、ここまでの落ち着きは無いように思う。
 
「透子ちゃんは好きな人とかいないのかい?」
「今はとくにそういった方はいませんね」
「駄目だぞ京楽。部下にそういった事を聞くのは現世だと確か、“せくはら”という罪に問われるそうだ」
「ありゃま。気を付けよう」
 
 つい、ふふっと口から笑い声が溢れてしまった。
 何というか、隊長が二人揃って部下へのセクハラを気にする様子は可愛らしく見えてしまうのだ。まずかったかなと慌てて口を押さえたが、お二方とも気にする様子もなく笑っているので胸を撫で下ろす。
 
「でも透子ちゃん可愛いからきっと周りが放っておかないよ」
「そんな事はありません。私なんて……あっ」
「ん?」
「どうした笹竹」
「あの、つかぬことをお伺いするんですが。異性の言う友達だと思っていないと言うのは、どういう意味なんでしょうか」
「なんだい、そんなひどい事を言われたのかい」
「あんまりだな」
「はい。その方は私が長年友人だと思っていた人なのですが……あぁそういえば友達で終わらせる気は無いとも言われました」
「……あらぁ」
「……それは」
 
 そわそわと浮竹隊長と京楽隊長の視線が庭先をさ迷う。不思議に思って観察していると、二人とも意味もなく頬をかいたり、唸ったりしているではないか。
 私は何だかいたたまれない気持ちになり手元の湯飲みに視線を落とした。湯飲みの中に私の表情が収まっているが、その顔はどこか他人事のように見える。

「やっぱり、これはその。そういう意味なんでしょうか」
「そうだねぇ。熱烈な告白に近いんじゃないかな」
「うむ、その人は笹竹の事がとても大切なのだろう」
「そう、なんですね。私は未だに実感が沸かなくてこれからどうすればいいのかと考えていたんです」
「いやでも僕はその心意気を買うね、長い間友達として作り上げた信頼を壊す覚悟で言ったんだ」
「そうだな、俺もそう思う」
「そんな大層な話ではないんですが……!」
 
 縁側の下に、数羽のセキレイが降り立った。濃淡のはっきりとした色合いが美しい小鳥達は私達の会話など興味がないようで、浮竹隊長に群がり餌をねだる。
 日課なのだろう、浮竹隊長は袖からおもむろに小さな袋をとりだして、手ずから餌を上げていた。京楽隊長も群れの一羽を指に乗せ、まるで口説くように「可愛らしいね」と声をかけている。セキレイも満更でも無さそうに京楽隊長の手のひらに身をすり寄せているのだから京楽隊長の色気は凄い。
 この様子を写真で撮って女性死神協会に渡せば大層喜ばれるんだろうなぁとは思いつつも、私は心のアルバムにしっかりと納めることに専念した。
 
「何というかその方は昔から何かと私に悪戯を仕掛けては反応を楽しむような人で、正直会いたくない気持ちが最近までは強かったんです」
「好きな子程いじめたくなるのは男のさがなのかねぇ」
「最近までというと、今は違うのかい?」
「今は……正直よく分かりません」
「それじゃあ、きっと近い内に答えは出るよ」
「今は待つ時だな」
「そうでしょうか」
 
 ふと、ここには居ない惣右介くんを想ってみる。何事も完璧で、かといって取っ付きづらい雰囲気はなく、優しい彼はいつも人に囲まれていた。
 なのに、何処か一線を引いているように見えてしまうのは私の勘違いなのだろうか。
 人に踏み込まれる前に、上手くかわす要領の良さも兼ね備えた惣右介くんは誰とでも親しいように見えて、その実特別仲の良い相手は今まで一人もいなかったように思う。
 何故、私なのだろう。彼はきっと他人に興味がない。もっと言ってしまえば、凡人など目に入れる事も無いだろう。私なんて、まさにその部類の人間なのに。何故かいつも側には惣右介くんがいた。
 才能もなければ人目を惹く容姿を持っているわけでもない。彼にとって利益になる情報網があるわけでもない。
 完璧な彼が、欠陥だらけの私に一体何を求めて関わろうとするのか、何十年かけても答えが出せないでいたのに。
 今になってはっきりと意思を伝えてきたのはどうしてなのだろう。
 私は惣右介くんに求められて、果たして返せるものを持っているのだろうか。
 記憶の中の惣右介くんが私に笑いかける。只でさえ柔和な目元がさらに引き絞られ、慈しみに染まった瞳の中にすっぽりと私が収まる。
 背の高い彼は、いつも私に合わせるように少しだけ屈んでくれた。
 最初の頃は惣右介くんが大きな壁のように感じて恐ろしかったはずなのに、いつの間にか当たり前になっていた。
 私は、惣右介くんのことを……――。
 
「その人が違うなって思ったら是非僕に声をかけてね透子ちゃん」
「えっ」
 
 ついつい一人の世界に没頭していた私の意識が京楽隊長の一言によって現実に引き戻される。
 
「京楽、お前はまた」
「いいじゃないの。僕だって可愛い子とお付き合いしたいも〜ん」
「あはは……、私では京楽隊長のお側に立つなんて恐れ多いです」
「今のは京楽が悪いが、笹竹の自信の無さも問題だな。笹竹は実力と可愛らしさをしっかりと兼ね備えている。俺が補償するから胸を張りなさい」
「えっ、あっ、はい!ありがとうございます……!」
「ねぇねぇこれは“せくはら”に入らないのかい?」
 
 何だか、隊長二人にとても気を使わせてしまっている。本来であれば私の悩みなど気にとめる必要などない立場の方々なのに。
 けれどもこうやって私の為に優しい言葉をかけて頂けるのは素直に有り難かった。
 有り難さと申し訳なさが込み上げて、いよいよ口から謝罪の言葉が飛び出しそうになった時。天の助けなのか、午後の始業の鐘が鳴った。
 私は今度こそお暇をするべく手短にお礼を告げ、お二人に腰を折る。今度は特に引き留められることはなかったが、代わりに隊舎の出口までお見送りをさせて欲しいと言われたので恐縮しつつもお願いをした。
 浮竹隊長と京楽隊長に手を振られながら、私も控えめに手を振りかえして十三番隊を後にする。
 不思議と晴れ晴れとした心持ちだ。何かが、自分の中で形を変えようとしている。恐らくそれは惣右介くんの事で、驚くべき事に私は死神になって初めて惣右介くんに会いたいと思っている。
 歩きだした足はいつの間にか駆け足になっていて、意味もなく走り出したい衝動に駆られた。目指すのは四番隊だけれど、業務が終わったら五番隊へ行こうと決心する。
 
 私だって、覚悟を決めなければ。
 
 
 
 

 
「なんていうか、甘酸っぱくてそわそわしちゃうねぇ」
「俺もついつい真面目に答えてしまったよ」
「おじさん二人が揃いも揃って若い女の子の恋バナに盛り上がるなんて」
「俺達も歳を取ったよなぁ」
 
 なんて会話が、あったりなかったり。


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