07 波の合間で

 眩しすぎる光が瞼を通して眼球に刺さる。強い刺激に目を開くと、途端に日光が目を打った。
 体が水面に浮かび、ぷかぷかと漂う。あぁ、そうか、ここは。
 
「主、起きてよ」
「蝉法師」
 
 ぴちゃりと耳元で水が跳ね、私の体を影が覆う。子供が一人、私の顔を覗きこんでいた。くりくりとした琥珀色の瞳に結い上げられた長い茶髪、深い緑の袈裟を纏った小さな姿は間違いなく私の斬魄刀だ。
 私は起き上がり、足を水の上に乗せる。沈むことはないと分かっていても毎度の事ながらどきどきとした。
 果てしなく続く水面の上には私以外に人は居ない。なのに、何処からともなく蝉の鳴き声が聞こえるのは何故なのだろう。
 
「主、正座して」
「えっ 」
「早く」
「あの、蝉法師さん。確認なんですが蝉法師さんは私の斬魄刀なんですよね」
「なに当たり前の事いってるの。そんなのどうでもいいから早く正座」
「……はい」
 
 え、ほんとに?分かってる?
 疑問符を浮かべながらも、斬魄刀の命令通り、正座をして蝉法師を見上げる。よくよく見れば、普段、表情を変えることが無い蝉法師が、珍しく怒った顔をしているではないか。
 私、なんかしたかな。
 
「この間、僕の事を久しぶりに解放したね」
「はい」
「僕の事、また間違った使い方したでしょう」
「はい……えっ?」

 間違った使い方、とは。蝉法師をまじまじ見つめると、彼は可愛らしい顔を歪めて私にげんこつを落とした。

「いったぁ!」
「僕は刀だよ、何で毎回僕の事を“打ち付けて”戦うのさ」
「えぇ、違うの?!」
「違うよ!ばぁーか!」
「えーー!!言ってよ!!」
 
 貴方と出会ってウン十年だけど、一言もそんな事言わなかったよね?!捲し立ててみても、蝉法師はぷりぷりと怒ったまま、腕を組んで黙りこんでしまう。
 
「えっと、じゃあ確認なんだけど。もしかして相手にわざわざ触れなくても力を手に入れるのは可能ということでしょうか」
「いや、それは無理」
「えっ」
「だけど、一度力を集めればいくらだって使い道はあるんだよ。何で毎回ばか正直に一気に使って腕を痛めてるのさ」
「そんなの教えてくれなかったじゃない!」
「人に頼って自力でやろうともしないなんて、それでもいい大人?」
「……正論!」
 
 厳しい、厳しすぎるぞ。私の斬魄刀。
 ううむ、と頭を抱えて考えてみる。つまり、蝉法師は私に攻撃系の技を教えてくれようとしている。という解釈で合っているのだろうか。
 長い付き合いになるが、未だにこの子の事が分からない時がある。決して主従関係が悪いわけでは無いと思ってはいるのだが、どうも昔から蝉法師はこうして私をを試すきらいがあった。
 
「あのさ、主。僕の特徴を言ってみてよ」
「……音を中心として治癒や防御に特化した斬魄刀です」
「そうだね。主役は防御だ。でも攻撃だって出来るんだよ僕は」
「それはあの必殺技のことだよね」
「そう」
「つまり、使い方を変えればあの技は遠距離でも戦えるし、力を複数に分けて使うこともできると」
「なんだ分かってるじゃん。これで答えられなかったら一生始解させてあげないつもりだったよ」
「……まじで?」
 
 私はどうやらとてつもないリスクを含んだ問いに答えていたらしい。一筋の汗が背中を伝った。
 
「今すぐには無理だろうから、これから僕が実戦の時にこっそり教えてあげる。僕だって刀らしく斬るために使ってほしいし」
「そっかぁ、今までごめんね。気付けなくて」
 
 でも、どうして今なのだろう。首を傾げながらも蝉法師の頭を撫でていると、ぽつりとか細い声が聞こえる。
 
「主はあの小僧の事、好きなの?」
「小僧?」
「あいつだよ、いつも主が怒ってる眼鏡小僧」
「……惣右介くん?!」
「そう、そんな名前の」
「惣右介くんが小僧って!あっはっはっはっ!」
 
 私はたまらず水面の上を笑い転げた。
 そりゃあ確かに斬魄刀からしてみれば小僧かもしれないけど、惣右介くんの事を小僧呼ばわりするのなんて蝉法師くらいだろう。
 あまりにツボすぎてお腹が痛くなっても、笑いが止められない。
 
「答えてよ」
「いったぁ!」
 
 またしても、私の頭にげんこつが落とされる。斬魄刀にげんこつをされる死神っているのだろうか。多分いない。
 仕方ないので、真面目に惣右介くんのことを考えてみることにする。好きというのは、つまりは恋心ということで、私は惣右介くんにその気持ちがあるのか否か。
 思い返せば返すほど、毎度のように弄ばれ、私がひたすらにじたばたしている風景しか浮かんでこない。
 けれども、惣右介くんの笑った顔を見るのは嫌ではない、気がする。
 
「好き、なのかなぁ。分かんないや、惣右介くんには遊ばれてると私は思うんだけど」
「ふぅん」
「えっ興味ない感じですか 」
「……僕は守りと癒しに特化した斬魄刀だから、他の刀よりも敏感に感じとる物がある」
「なにそれ」
「悪意だよ」
「……えぇ?」
「あの男が近付くと感じるんだ。嫌な心地だよ」
「惣右介くんが私に悪意があるのなんて毎回でしょう」
「そうじゃない。いたずら心とは別に純粋な悪意さ。主に向けられている訳じゃないけど、僕はどうしてもそれが気になる」
「私に向けられていない悪意、ねぇ」
 
 そりゃあ惣右介くんだって感情があるんだから、何か上手くいかないことや怒る事だってあるんではないだろうか。でも、蝉法師の口ぶりからするに、恐らくそういった類いの悪意とも別物なのだろう。
 ひとまず私に向けられていないのなら、安心ではあるが……。
 ふと、頭を埋めていた疑念に一筋の光が差す。
 
「……私に新しく技を教えようとしてくれたのはそのため?」
「……」
「蝉法師〜!ほんとに貴方って子は!」
「ちょっとやめてよ、子供扱いしないでよね!」
「はいはい可愛い」
「主、怒るよ!」
 
 流石に三発目のげんこつは回避したいので、私はおとなしく離れた。蝉法師の表情は相変わらず変わらないが、耳が僅かに朱色に染まってるのを見ると、満更でもないんじゃないだろうか。
 蝉法師が手を上げ、しっしっと追い払う仕草をする。用は済んだからもう帰れという事らしい。
 これ以上機嫌を損ねて始解をさせてもらえなくなっては困るので、私も素直に従うことにした。

「あっ」
「なに、主」
 
 そうだそうだ、最後に主らしく斬魄刀を気にかけなければと。帰る前にもう一度、蝉法師に目線を合わせて問いかけてみる。
 
「えっと蝉法師、大丈夫?斬魄刀にも更年期があるのか分からないけど調子が悪いなら」
「僕はまだまだ現役だよ!」
 
 パァンと頭を叩かれ、私は水の中へ沈んだ。


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