05 一欠片の優しさを溶かして

 渇いた風が吹いている。見晴らしのいい丘で、夕日が沈むのをただ二人で眺めていた。
 これは、そう。確か霊術院を卒業した日の記憶だ。
 
『これで惣右介くんともお別れだね』
『ひどいな君は、入隊したら僕と顔も合わせないつもりかい?』
『だって惣右介くんはあっという間に昇格して、私が簡単に話しかけられない地位までいくんでしょ』
『君だって特進クラスだったんだ。同じことだろう』
『私は無理だよ。下から数えた方が早いし』
『また君はそういう事を』
『事実だもの』
『……僕は』
『えっ?』
 
 遮るもののない丘の上を、一陣の風が駆けた。激しい突風によろけながら髪を抑える。惣右介くんは、今何か言っただろうか。
 
『ごめん、もう一回いい?』
 
 夕焼けの残照が、尸魂界の地平線を細く縁取っていた。これから私達が守るべきものを焼き付けるように真っ直ぐと向けられていた惣右介くんの視線が、私に移る。
 彼の瞳が、珍しく戸惑いに揺れていたのをよく覚えている。そう、確かこの後、惣右介くんは私の髪を撫で付けながら、
 
『僕は君と――』
 
 あの時、彼に言われた言葉だけが思い出せなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 意識の浮上と共に、重い瞼を持ち上げる。霞む視界に移るのは清潔感の溢れる白いカーテンだった。けだるげに目線だけ動かすと、開け放たれた窓から吹き込む風にカーテンが優雅に揺られている。
 あれ、私なんで寝てるんだっけ。靄がかかった記憶を手繰ってみても、いまいち思い出せない。
 確か、そう。浮竹隊長と現世の任務についていて、空の裂け目に何か大きな……――。
 
「うわぁぁぁ大虚!!」
「わぁっ!」
 
 シーツを蹴りあげんばかりの勢いで起き上がると、左隣から悲鳴が上がった。ついで、どすんと鈍い音が立つ。私はハッとしてベッドから身を乗り出した。
 見れば、小柄な男性が床に尻餅をついているではないか。
 
「あれ、山田七席?」
「いてて、笹竹九席おはようございます。お体は大丈夫ですか?」
「はい。というか、私はやっぱり怪我をしたんですね」
「重症だったと聞いています。処置は卯ノ花隊長が自ら行ったので問題は無いとは思うんですが」
「えっ、隊長が自ら?」
 
 どうりで何処も痛くないはずだと、改めて自分の体を眺める。卯ノ花隊長の処置は完璧で、逆に違和感を覚えてしまうぐらいだった。
 
「あの山田七席私はどうしてここに」
「僕も聞いた話なので確かかは分からないんですが……――」
 
 あの後、大虚によって吹っ飛ばされた私は気を失い。浮竹隊長が代わって対処してくれたらしい。虚は無事倒され、実習生も皆無傷だった。
 唯一、私だけが出血多量の重症で、浮竹隊長が自ら私を四番隊まで運んでくれたという。
 そこまで説明して、よほど私の顔が青ざめていたのだろう。山田七席は口早に「大丈夫ですよ、今回の事は誰も予想できませんでした」と補足してくれたが、私の顔色はとてもじゃないが戻りそうになかった。
 山田七席がどう慰めようかとおろおろしている気配を感じる。
 
「あっ!そうだ、笹竹九席にお渡しするものがあるんですよ」
 
 山田七席がはっと思い出したかのように、一つの包みを私に差し出した。拳一つ分くらいの大きさだ。
 薄紅色のちりめん生地に桜模様の刺繍がされた包みは、一目で上質なものだと分かる。

「……これは?」
「浮竹隊長から笹竹九席にお見舞いの品ですよ。先ほどまでいらっしゃったんですが、笹竹九席の容態が安定したと伝えると、起きたらこれを渡してくれとお帰りになりました」
 
 包みを受け取り紐をほどくと、中には色和紙に包まれた練りきりがいくつか収まっていた。桜や紫陽花といった花形の菓子はどれも手が込んでいて、浮竹隊長の私を心配する気持ちがそのまま綺麗に形になったかのようだ。
 鼻の奥がツンとして、目尻が熱くなる。嬉しいはずなのに、浮竹隊長の優しさが今だけは心に痛い。
 山田七席は私の様子を眺めて、何かを察したのか、静かに退室していった。
 七席は持ち前の気弱さと滲み出る頼りなさでよく先輩にからかわれているが、その実とても気配り上手でしっかりとした方だ。こういったさりげない気遣いがとても有難い。
 しかし、私の憂いは留まるところを知らず、堪らず片手で顔を覆う。
 私はこれからどうなってしまうのだろう、もしかすると最悪の場合は、
 
「“守れなくてすまなかった”」
「へっ、」
 
 突然、耳馴染みのありすぎる聞こえて手元からお菓子が一つ落ちる。驚いて顔を上げるとたなびくカーテンの先に透けた人影があった。
 その影から延びた手がシーツに転がるお菓子を摘まみ丁寧に包みに戻してくれる。
 カーテンに手を伸ばして、おそるおそる横に引くと、そこには、
 
「浮竹隊長がそう伝えてくれと言っていたよ」
「……惣右介くん」
「おや、もっと驚くかと思ったのに」
「いや惣右介くんって実は暇なのかなって」
「少なくとも君よりは忙しいかな」
「左様ですか」
 
 いつからそこに居たのか、窓枠に腕を乗せてこちらを伺う惣右介くんは何時も通り愉快そうに眼鏡の奥を細めていた。
 気だるげにもたれ掛かる姿は本来であればだらしなく感じる筈なのに、惣右介くんがやると何故か絵になっているのだから不思議だ。
 それにしても浮竹隊長はどこまで優しいお人なのだろうか、後でちゃんとお詫びに行かなければ。
 
「君が重症だと聞いてね、お見舞いに来た」
「わざわざ来なくてもいいのに」
「君ってやつは、人目があると困るかと思ってこうして窓から来たのに。あんまりじゃないか」
「それよりさ、惣右介くん。私クビかな」
「何でそうなるんだい」
「だって、補助役でいったのに吹っ飛ばされて任務の途中で気を失うとかありえない」
 
 浮竹隊長がいてくれなかったらどうなっていたか、考えるだけでも恐ろしい。今回は隊長が一人つくという事で、補佐の死神は私だけだった。つまり、私が何かあったときに真っ先に動かなければいけなかったのだ。なのに、私は。
 
「良くて席官剥奪、悪くてクビだ……」
「そんな事にはならないよ、大虚の出現は誰も予想出来なかった。浮竹隊長もそう結論を出している」
「えぇ、何かしらのおとがめはあるでしょ」
「もしクビになったら五番隊へおいで。ほら、これで安心だろう?」
「何一つ安心できる要素がないんですけど……!」
 
 なんだその恐ろしすぎる提案は。おもわず後ずさって惣右介くんから離れると、彼は「不満かい?」と目をぱちくりとさせている。うそ、この人本気で言ってるの?
 新手の嫌がらせなのか、はたまた本心からそう思っているのか、どちらにせよ間違っても私が五番隊に行くことなどないだろう。というか、五番隊の人達だってこんな足手まといは要らないと思う。
 
「なんで私を五番隊に入れたいのかまったく繋がらないんだけど」
「本当に分からない?」
「友達だから助け船を出してくれてる。とか?」
「……君にいいことを一つ教えようか」
「確実にいいことじゃない気がするんですが」
「いい子だから最後まで聞きなさい」
「いだっ」
 
 惣右介くんの長い指が私のおでこを弾く。見た目以上に強い衝撃だ。ひりひりとする額を手で覆った。仕方ないので、惣右介くんの言葉を待つ。
 
「僕はこれでも君の事を気に入っているんだ」
「はぁ」
「だから僕は君を友達とは思っていない」
「……うん?」
 
 え、それはつまりお前の事は玩具的な意味合いで友人の枠にも入ってないという意味ですか。
 あまりの言いように私はちょっと傷付く。惣右介くんのことは厄介だとは思いつつ、長年の付き合いで友達くらいに思ってはいたわけだが、まさか本人はその気すらなかったなんて。
 彼は、言った後に自分の失言に気付いたのか、私の表情を察して笑いながら眉を下げた。
 
「あぁ、すまない。これだと語弊があるね」
「……なに」
「そうむくれないでくれ。改めて言葉にすると難しいんだ。そうだな、」
 
 こうすれば伝わるかな。おもむろに延びた惣右介くんの手が私の首を掴む。えっ、折られるの?!とひやりとしたのもつかの間、意外にも優しい素振りで私の上半身が惣右介くんの元へと引き寄せられる。
 同時に惣右介くん自身も前屈みになり、私へと顔を寄せた。ちゅ、と頬に吸い付いた唇が軽い音を立てて離れる。

「友達で終わらせる気は無いって事だよ」
 
 だから早く五番隊においで。
 惣右介くんの指先が私の頬をひと撫でして離れていく。午後の緩やかな風が私と惣右介くんの髪をふわりと舞いあげた。
 ぽかんと口を開けた私は、さぞ間抜けな顔に映るのだろう。満足げに笑った惣右介くんは私の顔を一瞥すると、優雅に羽織を翻して去っていった。
 
 カラリと、背後で扉が開く音がする。気配からして山田七席だ。薬の時間ですよと控えめに声がかけられる。
 けれども、いつまでたっても返事がない私を不思議に思ったのか、山田七席が近付いて私の顔を覗きこんだ。
 
「……大丈夫ですか?笹竹九席。とてもお顔が赤いですが」
 
 大丈夫じゃないです。
 あまりにも弱々しい私の声が、突っ伏したシーツの中に吸い込まれた。


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