03 本日限りで退職したい

 ちょん、と斬魄刀をつつくと不満げな声が返ってきた。私はそれを無視してツンツンと斬魄刀をいじり倒す。これは先日私を見放したこいつへの罰だ。暫くして斬魄刀から謝罪の声があがったので手を止めた。
 まったく、斬魄刀の諦めが早いのは困り者だ。そういえばこの前「ご主人様に似たんじゃない?」と松本副隊長に言われたのを思い出す。
 そのままそっくりお返しします、なんて口が裂けても言えなかったので、とりあえず目の前でたわわに揺れる美乳をガン見していたのが記憶に新しい。
 さて、そんな事はさておき今日の私はというと当直当番ゆえの暇を持て余していた。お忘れかもしれないがこれでも四番隊なので、専門は医療なのである。
 一応ここにも現世と同じく休日が定められている。なので診療所もそれに合わせて動いているわけで。本日の私は深夜の時間を担当する「宿直医」だ。
 まぁぶっちゃけよほどの大怪我ではない限り人は訪ねてこない。なぜなら、それぞれの隊には決まって回道が得意な隊士が一定数配属されているため大体が内輪で治せてしまうのだ。それでも限界があるから私達四番隊がいるのだけれど。

 時刻は軽く深夜を越えている。ふぁ、と欠伸をして壁にかけてある時計を見れば、文字盤はあと30分で3時を指す所だ。つまり、仮眠まであと30分。
 今日も給料泥棒をしてしまったなぁなどと、思いながら手元の診療記録を整理する。眠気覚ましに文字でも追おうと思ったのが間違いだった。活字を眺めれば眺める程、まぶたがユラユラと落ちていく。まぁ、このまま寝てしまってもいいか……。なんて、夢に旅立とうとした時。チリン、と受付から鈴が鳴った。
 眠気が一瞬で吹き飛ぶ。これは呼び出しの鈴だ。まさかの急患なのか?!と慌てて白衣を着て事務所を駆け抜ける。こんな時間に来るなんて、非常事態かもしれないと柄にもなく緊張が張りつめた。
 扉を勢いよく開けて深夜対応の手順を頭のなかで反芻する。まずはそう、
 
「お待たせしました! まずはお名前……」
「やぁ、こんばんは。名前は藍染惣右介だよ」
 
 ちなみに五番隊だ。と、にこやかに挨拶をしてくる男に、私は目眩を覚えた。
 こういう時の対処法なんて、習っていない。習っていないけれど、頭に浮かぶのはただ一言。
 
「……帰れ!」
 


 
 
「いくらなんでも帰れはひどいじゃないか」
「私は四番隊を辞める。もう惣右介くんと一生会わなくていい所に移動するんだ」
「おや、僕と会わない場所なんてこの瀞霊廷に存在するのかい」
「…………王属特務?」
「馬鹿なのかな」
 
 流石に今のは馬鹿だった、と。私は手の平に霊力を集め、どんよりとした気持ちで目の前の男を治療していた。
 治療室にいる藍染惣右介って何。どんな状況なんだと未だに現実を受け止めきれぬまま、黙々と治療をしている。
 先程はつい帰れと叫んでしまったが、よくよく見れば確かに惣右介くんは怪我をしていた。肘から下にかけて、人差し指分くらいの長さでぱっくりとした切り傷ができていたのだ。
 流石の私も冷静になって慌てて治療室へ押し込んだ。けれども当の本人はけろりとしていて、滅多にこない治療室がもの珍しいのか、先程から辺りを見回している。
 
「それにしてもどうしてこんな場所切ったの」
「隊舎で物置を整理してたら古い刀が棚の上にあったみたいでね、気付かず落としてしまってこの結果さ」
「えぇ、危ない…てか持ち主のいない斬魄刀なんてあるの?」
「いや、あれはただの浅打だったみたいだ。何も感じなかったからね」
「ふぅん。あ、終わったよ」
「もう?凄いな」
 
 惣右介くんが珍しく褒めるので驚いたが、素直に受けとることにした。私の唯一の特技を褒められるのは悪い気はしない。あとは神経が正常に作動しているか確かめれば本当に終わりなので、惣右介くんに「上、脱いで」と言うと、彼は驚いたように目を瞬かせる。

「なに? 最後に体の神経が大丈夫か確認したいんだけど」
「……君はこの間の事を忘れているのかな」
「はっ?!、って、ああ!回道が!」
 
 手元に集めていた霊力が分散してただの風となる。ふわりと前髪が浮き、その浮遊感に先日の記憶が色鮮やかに蘇る。
 顔に熱が集まった。そうだ、この間、私はこの男に組敷かれたのだった。 思わず顔に両手を当てて背を向けた。やばい、完全に忘れていた。記憶から消そうとして本当に消えてた。これ以上深入りすると確実に火を浴びるのが目に見える。
 よし、やっぱり追い返そう。私はぎゅっと手を握り、決死の思いで振りかえる、
 
「やっぱり脱がなくて、」
「もう脱いだよ」
「っぎゃー!!」
 
 私は突如視界に入った大胸筋に悲鳴を上げる。慌てて再度両手で顔を覆ったが、瞳は指の隙間から覗く惣右介くんの体に釘付けになる。
 死覇装を上半身だけ脱いだ藍染惣右介の筋肉はそれはそれは素晴らしいものだったのだ。外見からは想像もつかないほどしっかりと割れた腹筋に、盛りすぎず、適度に引き締まった上腕二頭筋。それから何といっても私が一番重視する前腕筋群の素晴らしい血管の浮き具合。
 まさか四番隊に入るために暗記した筋肉の名称がこんな所で役に立つなんて。
 惣右介くんは、私の様子を見て、いつものように意地の悪い笑みを浮かべる。あっ、これ、やばいやつ。
 さらりと前髪をかきあげた惣右介くんが私に近付いてくる。咄嗟に逃げようと駆け出すが、診療台を背に、長い腕が私を囲う。一瞬で近付いた距離にひゅっと喉がなる。惣右介くんの顔がどんどんと迫り、無意識に、吐き出す吐息が細くなった。惣右介くんの低い声が、鼓膜を擽る。
 
「君はどうして僕がちょっかいをかけるのか、いつも不思議そうにしているね」
「……っえ?」
 
 近すぎて、吐息のような囁きが聞き取れず。思わず惣右介くんを見上げるとそこには無表情の彼がいた。
 この間と違い、光に満たされた室内では彼の顔が良く見える。眼鏡の奥、彼の瞳が細く引き絞られ、長い睫毛が虹彩に影を作っている。こんなに間近で惣右介くんの顔をじっくり眺めたことはない。改めて、美しい造形をしている事に驚いた。
 
「君は僕をいやだ、くるな、関わるなと言うけれど、それは本心なのかな」
「本心にきまってる、」
「なぜ?」
「…だ、だって惣右介くんといると嫌な事に巻き込まれるし」
「僕が気にくわないのはそこなんだ」
「えっ、なに」
「どうして一度も僕に言わなかった?」
 
 惣右介くんに問われて、初めて私は「そういえば惣右介くんに相談したこと無かったな」と気付く。嫌がらせと言っても、陰湿なものではなかったし。
 これでも友達は多い方だったから、そっちにばかり頼っていた。惣右介くんは何が言いたいのだろう。もしかして、私の物言いが気にくわなかったのかもしれない。
 考えてみれば、私のしてる事は最低だ。惣右介くんは悪くないのに、本人に心もとない言葉を投げ掛けている私は、明らかな八つ当たりでしかない。
 謝らなければ、と。本気で思う。

「ごめんなさい、私惣右介くんに酷い事ばかり、」
「あぁ、いいんだ。それによって君が右往左往してるのは見ていて面白いから」

 えっと、それはどういう事なんですか……?などと聞ける筈も無く。惣右介くんは黙れとでも言いたげに私の腰を片手で引き寄せる。だんだんと惣右介くんの顔がぼやけて見えなくなる。え、待ってこのまま行くと。
 
「すまん笹竹!寝過ごし…た……」
 
 その時、治療室の扉が大きな音を立てて開いた。立っていたのは私の後に担当に入る先輩だった。先輩は驚愕に顔を染め、私と惣右介くんを交互に見つめている。
 いつもは何も思わない先輩なのに、今日に限っては後光が指している錯覚すら覚えた。神様、ありがとう!
 
「せっ、先輩!」
 
 助けて!と最後まで言いきる前に「お邪魔しました!」と先輩が高らかに叫び、扉を壊れんばかりに閉めて行く。うそ、見捨てられた。確実に別の方向に察して逃げていった。
 ショックに手が延びきったまま、ふるふると震える。
 やがて、頭上で微かに笑う声がした。絶望の眼差しをゆっくりと投げ掛けると、惣右介くんは既にさっさと上着を着て、身だしなみを整えているではないか。そうして、自身の回道で傷口と体の具合を調べて。問題ないよと告げてくる。え、ていうか。
 
「自分で回道できるじゃん…」
「あぁ、言ってなかったかい?」
「……わたし、」
「うん?」
「王属特務にいく!!」
 
 惣右介くんは来たときと同じように爽やかな笑顔で治療室を後にしていった。
 私は、今なら卍解ができそうだと斬魄刀に話しかけてみたが、「無理だから」と無情にも返されて今日の業務に幕を下ろしたのであった。


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