02 もう一度宜しいですか?

 人間と死神を問わず、女性は噂話が大好きである。他人の事がどうしてそんなに気になるのかと言われれば何とも言えないのだけれど、日常の鬱憤を埋め合わせるのに噂話が最適なのは事実であろう。
 こと四番隊ではそういった類いの話は尽きない。他の隊と違う点といえば、比較的おっとりとして真面目な性格の女性が多いので話の方向性がドロドロとしない所だろうか。
 今日も今日とて、彼女達は道端で健気に咲く菜の花を思わせる穏やかさで、会話に花を咲かせていた。
 私はというと彼女達の会話に耳を傾けつつ、倉庫でせっせと仕分けに勤しんでいる。先日、うまい具合にサボっていた所を惣右介くんに見つかったばかりか、これまた運悪く卯ノ花隊長にも現場を見られてしまったのでお仕置きとして月末の棚卸しを一人でやることになってしまったのだ。
 これは逆恨みだと重々理解しているのだが、惣右介くんの事だから卯ノ花隊長にバレるまで計算されていたとしか思えない。いや、まぁ、逆恨みなんですけど。
 せめてもの救いは倉庫の向かいにある休憩室からたわいもない会話が聞こえてくることだろうか。きゃあきゃあとした可愛らしい盛り上がりがかろうじて私の眠気を現実に引き留めていた。
 
「そういえば聞いた? 藍染隊長のお話」
「ええ! 勿論、私達やっぱりそうだったのねって盛り上がっていた所なの」
「思いきって聞いてくれた五番隊の方に感謝しなくちゃ」
 
 けれども、耳元に入り込んだ聞き覚えのありすぎる名前にうつらうつらと帳簿を記入していた手が止まる。同時にまた惣右介くんの話かと、ややげんなりした。
 悔しい事に彼は表向き善人で通っているので、四番隊でも女性人気は不動の一位なのである。内容は様々だが、大体が彼の優しさを褒め称えるものだ。ここまで来ると惣右介くんを怖がっている私の方が可笑しい気さえしてくるが、実際私にとっては年間を通して関わりたくない人物一位なので今日も惣右介くんに会いませんようにと祈るしかない。
 さて、そろそろ本当に終わらせてしまおうと最後の備品に手をつける。しかし、直後とんでもない一言が私の耳に流れ込んできた。
 
 
「ついに九席と藍染隊長がお付き合いを始めたなんて!」

 
 …………なんだって?
 
 
 
 
 夜の隊舎を走っている、それはもう凄い勢いで走っている。自分ってこんなに早く瞬歩ができたのかと驚きを覚えるくらい、過去最高の速度で廊下を駆け抜けていた。目指すのは、本来であれば行こうなどと思い浮かべもしない藍染惣右介の自室である。
 彼女達の口から飛び出た“九席”という単語は、聞き間違いがなければ、私の席を表す数字だ。恐らく別の隊の九席だろうと私は見ている。だって十三も隊はあるわけだし、まぁ、万が一?私がなんらかの手違いで巻き込まれているかも知れないけども?どうか後者ではありませんようにと願っていると、目的の部屋がすぐそこに迫っていた。
 乱れた呼吸を整え足音を立てないように摺り足で近付くと、障子の先に柔らかな光が透けて見える。良かった。まだ起きていたようだ。夜分遅くに申し訳ないが、少しだけ時間を貰おうと。手を障子にかける。
 ……いやちょっと待て。私はあと少しのところで手止めた。よくよく考えてみれば夜に男性の部屋を訪ねるのって、良くないんじゃないだろうか。多分だけれど、よく考えなくてもまずい。昼間は人の目があるからとそればかり考えていたが、こんなの端から見たら、
 
「入らないのかい」
「ヒィッ!」
 
 沈みかけていた思考が、突如開いた障子に一気に現実へと引き戻される。慌てて顔を上げるとそこでは惣右介くんが不思議そうに私を見下ろしていた。
 惣右介くんの姿は見慣れた死覇装ではなく深緑の浴衣だ。しかも風呂上がりなのか、髪から水滴が僅かに滴っている。いつまでたっても何も言わないわたしに、惣右介くんが少しだけ首を傾げた。ぽたりと一筋の滴が首筋を通って浴衣に吸い込まれていく。なるほど、これが色香というやつか。
 惣右介くんの首もとに意図せず釘付けになっていると、彼の瞳が企みの色を灯した気配を察知する。さっと急いで目を向けると、彼の口がいままさに開こうとしている所だった。
 
「はい待って」
 
 私はぴっと右手を上げて惣右介くんの口を止める。伊達に長年おちょくられてる訳ではない、惣右介くんが言いそうな事など想像するまでもなく分かるのだ。
 
「その口を開いて夜這いかい?とかほざいたら待った無しに私の右手が眼鏡を叩き割るから」
「おっと、僕は何か君の気に触るような事をしたかい?」
「いけしゃあしゃあと……」
「とりあえず部屋に入るといい。ここは寒いだろう」
「すぐ終わるからここで大丈夫。流石にお邪魔するのは気が引けるから」
「そうかい?」
「うん。ごめんなさいこんな時間に訪ねてしまって」
 
 そう、いくら相手が惣右介くんとはいえこんな非常識な時間に訪ねるなんて迷惑以外の何者でもない。さっさと事実確認だけして帰らなければ。
 
「何だか惣右介くんが女性とお付き合いをはじめたって小耳に挟んだんだけど」
「あぁ、なんだその話か」
「別に惣右介くんが誰と付き合ってようと構わないの。重要なのはそれがどうやら九席らしいという話で」
「あぁ、君のことだね」
「私はその九席がどこの隊………えっ?」
「君のことだよ。恐らくね」
「なっ、なっ、なんで?!」
「この前聞かれたんだ、僕と君が付き合ってるのかって」
「付き合ってるわけないじゃん! 普段会ってもいないのに!」

 うそでしょう。胸のなかで阿鼻叫喚の大合唱が響き渡る。同時に、まだ起きてもいないのにこれから先、女性達に取り囲まれる自分の姿が浮かび、想像だけで足が震えた。しかし、そんな中ふとある疑問が浮かぶ。
 
「ちなみに確認なんだけどさ、惣右介くん」
「何だい?」
「彼女達に聞かれたときに、ちゃんと否定したんだよね?違うって」
「あぁ……、とりあえず笑って流したかな」
 
 それが元凶じゃねーか!私はわなわなと震えて惣右介くんを見つめた。
 彼女達は惣右介くんの笑顔を肯定と取ったに違いない。惣右介くんは「ごめんよ、ちゃんと否定するべきだったかな」と悪びれもなく答えるが、絶対にわざとだ。惣右介くんは物事を曖昧にさせるような男ではない“わざわざ”思わせ振りな流しかたをするなんて、私への嫌がらせ以外にありえるだろうか。
 そりゃあ惣右介くんの顔で笑われたら誤解してしまうに決まっているじゃないか。この男の事だから、何ならちょっと困り顔で笑って見せたに違いない。そこまで想像できてしまう自分にイラっとした。
 私は心を落ち着けるために、無駄だと分かっていながら、胸元に手を置いて深呼吸をする。
 けれども、呼吸は全く整わないし、頭に至っては度重なる衝撃の事実に軽い目眩を覚えはじめている。
 その頭で私は次に何をするべきなのか考えたが、出てくるのは「もう帰りたい」「疲れた」「寝たい」といった単語ばかりなのでいい加減限界なのかもしれない。
 私は最後の抵抗で惣右介くんを恨みがましく睨んでみたが、惣右介くんは腕を組んで優雅に微笑むだけだった。眼鏡の奥でやや細められた瞳が面白そうに私の挙動を観察している。眼前の女が見事自分の策にはまり悶えている姿はさぞ滑稽に写るのだろう。客観的に自分を見てみると、もう駄目だった。
 
「……帰る」
「おや、いいのかい?僕に何か言いたいことがあったんじゃないのかな」
「言いたいことは山程あったけど頭が爆発しそうだから帰る。それに惣右介くんに言ったところで言い負かされる未来しか見えないし。……何はともあれ今日から細心の注意を払って惣右介くんとうっかり会わないように努力しなければいけない事は分かった」
「へぇ」
「私の事なんて微塵も気にしないでいいから。じゃあこれにて御免」
「……それは、面白くないな」
「えっ、何か…ぐえっ?!」
 
 惣右介くんの腕が延び、凄まじい勢いで手を引かれる。視界が反転して体を浮遊感が襲った。私は突然の事に反射的に目をきつく閉じ、せまりくる衝撃に備えた。けれども、不思議と衝撃は無くて、恐る恐る目を開くと広がっていたのはなぜか惣右介くんの顔だった。
 部屋は思っていたよりも薄暗かったが、はだけた浴衣から普段は決して暴かれることがないであろう肌ははっきりと見てとれる。おまけに部屋の隅でゆらめく蝋燭の灯火が惣右介くんの輪郭を縁取り、顔の端整さをより強調させている。恐る恐る惣右介くんと目を合わせると、波打つ前髪の隙間から覗く形のいい瞳がゆったりと細められていく。
 私はようやくそこで、惣右介くんに押し倒されている事に気が付いたのだ。
 身体中に警報が鳴り響き、喉からせり上がるように制止の言葉が漏れる。
 
「ちょっ、ちょっ、ちょっと待って!」
「待たないよ」
「いや待たないって、何を?!」
「おや、自分で言っておきながら何の事か分かってないのかい」
「つまりこれはやっぱりそういう事なんですか?!」

 藍染惣右介って私にでもそういう気を起こすのか。いや、まだこれがアレだと決まった訳では。私はとりあえず口早に正論を惣右介くんに投げ掛ける事で時間稼ぎを試みる。
 
「元々何もないんだからわざわざすること無いよね?!」
 
 惣右介くんは暫し動きを止め、私を無表情で見下ろした。心なしか、怒気が含まれているのは私の気のせいだろうか。
 数瞬か、数秒か、惣右介くんの顔がおもむろに下がってきたので、私はぎょっとする。
 
「……じゃあ」
 
 触れるか触れないかの距離。耳に、掠れた声が熱い吐息と共に甘さを含んで落ちてくる。言い聞かせるような、塗り込めるような、含みのある言い方だった。
 
「てっとり早く事実にしてしまおうか?」
 
 全身の血液が沸騰したかのように一気に体の熱が上がった。ものの数秒で私の顔は赤くなり、訳も分からず目尻に涙がたまる。
 異性との恋愛経験は多くない、当然こういった状況に耐えられるほど私は慣れていない。羞恥に身をよじって束縛から逃れようとすれば、惣右介くんの長い腕に上半身を絡め取られてしまう。
 こっ、この男は……!怒りと羞恥心がごちゃごちゃになり、何も言えずに陸に打ち上げられた魚の如く口をぱくぱくと開閉するしかできなかった。
 主導権を完全に握った惣右介くんはというとさぁどうしてやろうかという顔で、私を眺めているではないか。
 いよいよ本能がやばいと叫んでいた。咄嗟にありとあらゆる鬼道が羅列して頭に浮かぶが、果たして詠唱破棄の鬼道は惣右介くんに効くのだろうか。
 そんな時、はっと斬魄刀の存在を思い出して半身にすがる思いで呼び掛ける。が、「え、無理」とあっさり返された。主人が大変危険な状況なのにその諦めの良さは一体どうなのかと思う。もうだめだ、私はここで終わるのだ。
 そう、諦めかけた時だった。
 
「藍染隊長ーいてはりますー?」
 
 突如聞こえたこの場に似つかわしくない声に、惣右介くんと二人で廊下に目を向ける。そこには市丸隊長が居た。……えっ?市丸隊長?
 市丸隊長は一瞬だけ固まったが、すぐに首を傾げて私達を眺めた。やがて、恐らく開いているであろう市丸隊長の瞳と私の瞳が一直線に繋がり、沈黙が生まれる。そうして、今度は惣右介くんを見やり。市丸隊長はにこりと笑みを顔に戻す。

「ちょっと確認したい事があったんですけど、出直しますわ。お邪魔してすんまへん。ほな、失礼します〜」
「邪魔じゃない!全然邪魔じゃないです市丸隊長!」
「邪魔だよ。明日にしてくれ」
「今がいいです!今でお願いします!」
「えぇ、どっちなん」
「待って、待って待って!!誤解されたくない!」
 
 決死の思いが届いたのか、はたまたどうでもいいのか。市丸隊長は一応私の弁解を聞き、これまた一応形だけ惣右介くんに注意をしてくれた。
 惣右介くんから微かに舌打ちが聞こえたのは気のせいだったと信じたい。


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