温泉

「だぁっ。ぜってー終わんねぇ。終わる気がしねぇ!!!」
おじさんが書類の山を前に叫んでいる。
そもそも溜め込んだのは自分なのに・・・
「僕、二週間前から締め切りは明日だって言ってましたよね?それ以前にそこまで溜め込んだのは誰ですか?」
「ハイ、スイマセン…俺です。」
「で、自分の仕事でもないのに手伝っているのは誰ですか?文句を言う暇ありますか!?」
「バーナビー様です。ありません。」
「わかったらさっさと手を動かしてください!」
はぁ、もう、これだからおじさんは手がかかる。毎日ちゃんとこなしていればデスクワークなんて溜まるはずはないのに。

「なー、バニー。これ終わったらさぁ、温泉とか行かねぇ?こう、露天風呂浸かってのんびりさぁ…」
「おんせん?ろてんぶろ・・・ですか?」
「あれっ、もしかしてバニー温泉行った事ないの!?」
「ええ。知識としてはわかりますけど、今まで行く機会もなかったですし。」
「それはダメだ!よくない!よし、とっとと終わらせて温泉行くぞ!」
なんだかおじさんが俄然やる気になってる。
まぁよくわからないけど、いいか。


「と、いうことで、秘湯の温泉旅館予約しちゃった。今度の休みな。」
ランチから戻った第一声がこれだ。早い。仕事が早すぎる。
「ずいぶん手回しがいいじゃないですか。その調子で残りの書類も片付けてくださいね。」
「ふあーい。バニー、温泉楽しみにしてろよ!」



朝の九時という時間に、普段なら絶対に遅刻してくるおじさんが迎えにやって来た。
「おはよーっす。準備できてるか?まぁ、着替えだけあればあとはそろってるから問題ないけどな。」
着替えを入れた鞄を車に積み込む。
「よし、じゃあ、しゅっぱーつ!」
なんだかはしゃいでるおじさんがおもしろい。
「バニーはさ、スパとかはいったことないの?」
「そうですね、プールと併設してる大きなジャグジーのようなものなら行ったことありますけど、あれは温泉だったかな…ちょっとわかりませんね。多分ないと思います。」
「今回はお湯にこだわったからな。源泉掛け流し。露天風呂が三つもある旅館だぞ。」
「効能はどうなんですか?」
「効能は…まぁ…疲れがとれるんじゃねーの。」
はぁ、さすがおじさん。その辺りは適当だ。
シュテルンビルトを出て郊外を抜け山道に入る。
「ここまで来ると景色が全然違いますね。」
「たまには遠出もいいだろー?」
ふんふんふーん♪となんだかしらない鼻歌を歌いながらおじさんはハンドルを握っている。
確かに、のんびりと遠出なんてめったにしないな。窓を開けると緑の匂いがした。

シュテルンビルトを出て三時間、うっそうとした山の中にひっそりとたたずむ旅館に到着した。
古めかしいながらもきちんと手入れが行き届いている。
入り口で着物を着た女性と男性が迎えてくれた。
「ようこそいらっしゃいました。鏑木様ですね?」
「どうも。お世話になります。」
入り口で靴を脱ぐのか。日本式なのだな。
「早速お部屋にご案内いたします。どうぞ。」
着物の女性が荷物を持って先を歩く。
廊下のガラス戸からきれいな庭が見える。
「こちらのお部屋でございます。お風呂はいつでもご利用いただけます。ご昼食はおとりになられるようでしたら、一階の食事処でどうぞ。お夕食は6時頃でよろしいですか?」
「あ、はい。よろしくお願いしまっす。」
そういえばお腹がすいたな。
「虎徹さん、お昼ご飯はなにがあるんですか?」
「ここはそばがうまいんだ。手打ちだぞ。風呂の前に軽く腹ごしらえするか。」
僕たちは食事処に向かった。

窓際の席に案内される。
外には川が流れているのがみえる。せせらぎの音が聞こえる。
「ざるそば二つ、お願いします!」
「ちょっと、何勝手に決めてるんですか!?」
「だから、ここはそばなの。そばと言ったらざるなの。いいから黙って食ってみろって。」
まぁ、おじさんがそういうときはだいたい間違いがない。おとなしく従う事にしよう。
程なくして、四角い器にこんもりと盛られたそばが出て来た。
「虎徹さん、この、緑の物体はなんですか?」
緑の根っこのようなものと板がついて来た。
「おお、これがわさびだよ。この辺はわさびの産地なの。自分で擦っていれる。擦りたてのわさびは美味いぞ。あ、でも入れ過ぎは注意な。」
これがわさびか。寿司バーなどでちょこんと盛られたものしかみたことがなかったので初めてだ。
おじさんの見まねで自分も擦ってみる。
ふわんとわさびが香る。
「そばの薬味はネギもいいんだけど、わさびも美味いんだよなぁー。バニーも食ってみろ。」
「いただきます。」
わさびと出しの香りの中にしっかりとそばの味がする。
「なんか、いままで食べたわさびともそばとも全然風味がちがいます。」
「だろー。一度バニーに美味いの食わせたかったんだよねー。」
ずるずるっと啜りながら満足そうな表情だ。
この、啜る、と言うのが上手くできない。
そばやラーメンは啜るのが正式な食べ方だと言うが、僕にはどうしても上手くできないのだ。
それでも美味しくいただければ問題ない。
おじさんは食べ終わると白く濁った液体をつゆのなかに入れた。
「それはなんですか?」
「そば湯。そばをゆでた汁だな。これをつゆに入れて飲む。」
へぇ。
「そば湯はちゃんとしたとこじゃないと出てこないからなー。まぁ、飲んでみろ。」
なんだか不思議な味がする。
「さて、じゃー、部屋に戻って風呂行くぞ!」

部屋に戻るとおじさんは服を脱ぎだした。
「えっ、何脱いでるんですか?」
「浴衣に着替えるんだよ」
「ゆかた?」
「あー、お前初めてだもんな、旅館。ホテルと違ってこの着物で出歩いていいの。外の風呂までこれを着ていくの。
この旅館は寝間着用とは別にちゃんと浴衣用意されてるから、今はこっち着て。」
と紺地に白の模様が入った着物を手渡された。
ぺったりとしていて袖を通すところがわからない。
おじさんをまねて着てみる。
「あー、ちがうちがう。それじゃ死人だ。」
おじさんは一人でおかしそうに笑っている。
意味が分からない。
「合わせが逆。こう。ああ、もう、着せてやるよ。」
「ちょっと笑わないでくださいよ。初めてなんだから仕方ないでしょう。」
「はい、ここ押さえて。」
おじさんに帯を結んでもらった。

「じゃー、外の湯から行くか。」
勝手が分からないのでついて行く。
草履を履いて外に出ると、長い木の階段を下る。
木漏れ日がキラキラとしていい気分だ。
川のほとりまで降りると竹の囲いがある。おじさんはその中に入って行った。
え、まさかここがお風呂!?
扉を開けると簡単な棚があるだけのシンプルな建物だった。
浴衣を脱いで、風呂への引き戸を開ける。
そこは、外だった。
「おーーーー、この開放感たまんねぇな。」
「えっ、えっ、外ですよね?えっ。」
おじさんは川縁の石で囲われた池のような所に向かった。
「なにぼーっとしてんだよ。早く来いよ。」
よくみると湯の入った樽と手桶が用意されている。
おじさんの見よう見まねで身体を流すと、そっとその池に足を入れた。
温かい・・・
「ここ、お風呂っていうか、川じゃないですか?」
「まぁ、そうとも言うな。その端っこから、湯が湧き出てるだろ。この辺はそんな風に温泉が湧き出てるんだ。」
辺りを見回すと、一応入って来た方からは見えないように竹垣で囲われている。
湯船(といっていいのか?)と川が同じ高さですごく不思議なかんじがする。
「なんか、すごい、自然の中、って感じですね。」
「この開放感がいいだろ。」
縁に頭を預けると目をつむる。木漏れ日が揺れて小鳥のさえずりと川のせせらぎが聞こえる。
はぁー、気持ちいい。
はーっと長いため息がもれた。
おじさんはそんな僕を満足そうに眺めている。

どのくらいそうしていただろうか、ちょっとうとうととしてしまったかもしれない。
目を開けると、おじさんは石を積んで遊んでいた。まったく子供みたいだ。
「お、そろそろあがるか?まだ二つ露天風呂あるからな。」
「え、全部回るんですか?」
「とりあえずもう一つな。」
湯から上がり浴衣を着る。今度は自分で帯を締められた。
長い階段を上ると庭園の中の道へ曲がった。
途中東屋がある。
「ちょっと休憩。」
そこには飲み物が用意されていた。素晴らしいサービスだ。
壁には湯の効能がかかれていた。
「さっきのが”川床の湯”ですよね。」
「おう。次ぎ行くのが”白湯”な。」
「へぇ、泉質が違うんですね。」
「そ、この旅館は源泉を四つ持ってる。すげーんだぞ。」
「あとは”見晴らしの湯”ですか。効能がなんか色々ありますね。」
「湯の効能もいいけど、景色っつーか全体の雰囲気でなんか解放されるだろ。」
「そうですね、さっきのはちょっとびっくりしましたけど気持ちよかったです。」
「よし、じゃー次行くぞ。」

今度はちょっとした建物になっている。
扉を開けると湯船は白く濁った湯で満たされたいた。
あ、さっきよりも熱い。
「なんか、お湯がさらさらしてますね。」
「肌にいいらしいぞー。美肌のバニーちゃん。ぷぷ。」
「それをいったら美肌の虎徹さんのほうがおかしいですよ!」
きれいに刈り込まれた日本庭園が見える。僕でも美しいとわかるくらいだ。
「ここは温度高いから長湯するとのぼせるぞー。」
おじさんは石に座って上半身を出している。
ああ、なるほど、そうやると半身浴になるのか。僕もまねる。
「温泉はどうだ?」
「気持ちいいです。外のお風呂ってこんなに気持ちがいいものなんですね。あとお湯の感触の違いって初めて実感しました。」
「そーだろそーだろ。」
おじさんは満足そうに笑った。

部屋に戻るともういい時間になっていた。
椅子に座ってぼんやりと外を眺めていると、「失礼します」と入り口が開いた。
「そろそろお食事のご用意させていだだいてよろしいでしょうか?」
「あ、お願いします。」
テーブルにつくと、次々とお皿が並べられる。
日本懐石は見た目にも美しい。
まずはビールで乾杯。
乾いたのどに美味しい。
どの小鉢も趣向がこらしてある。
ついお酒も進む。
「あ、次日本酒下さい。」
「虎徹さん、これは何ですか?」
「それは湯葉。大豆からできてんの。つーか、バニー顔真っ赤だぞ。」
「ああ、そうですね。少し酔ってるかもしれません。それより足がしびれてるんですが…」
「え、なに、お前律儀に正座してたの!?崩していいんだぞ。あぐら掛けよ。」
「その、”あぐら”ってのがよくわかんないんですけど。」
「えっ。こう。こんなかんじ。」
「こう、ですか。ああ、確かに楽ですね。でも裾がはだけますよ?」
「男はそんなの気にしないもんなの!」
「ああ、そうなんですね。」
なんだか酔ってるのかな。料理がどれも美味しくて楽しい。
「あっ、バニー、それわさび!」
うわっ、辛いっ、鼻が!!!水、水!
「ごほっ」なにこれ水じゃない。
「わはははははは。バニーそれ日本酒だよ。あはははは。」
「虎徹さん笑わないでください。ちょっと間違えただけなんですからっ。ふふっ。あはははは。」
なんだかすごく楽しくなって来た。
この赤い小鉢は何だろう?
「うわっ、すっぱい!」
「あはははは。バニーすごい顔してる。うへへへへへ。それ梅干し。」
「だーかーらー、いちいち笑わないで下さいよ。あはは。」

一通り食べた後は、日本酒をちびちびとやる。
「っていうかですね、虎徹さんはデスクワークため過ぎなんですよ。でもおかげでこんな所に来れてよかったです。」
「なんだ珍しく素直だな。」
「珍しく、っていうの、余計ですよ。」
まぁでもこんな風に楽しめるのもおじさんのおかげかな。
「ま、バニーが手伝ってくれて終わったようなもんだからな。」



「おーい、起きろ!ひとっ風呂いくぞ!」
なんだ。どこだっけここは、おじさんうるさい。
あ、そうだ、温泉旅館に来てたんだ。
「虎徹さんどうしてそんな元気なんですか…。」
うー、なんか頭がぼんやりする。昨日飲み過ぎたかな。
おじさんは枕元に用意されたポットから冷水をコップに入れて渡してくれた。
はぁ、美味しい。
「目ぇ覚めたか?風呂行くぞ!」
いつもなら絶対に寝起きが悪いはずなのに、子供みたいだ。
仕方が無いから付き合ってあげよう。

階段を上っていくとのれんがかかっている。
昨日よりもずっと広い脱衣所だ。
ここは木製の湯船だった。
昨日の川が眼下に見える。
はー、清々しい。
「朝の風呂ってのもいいだろ。ここは檜でできた風呂だぞ。」
昨日のアルコールが抜けて行くようだ。
”見晴らしの湯”と言うだけあって、遠く山々が見渡せる。
紅葉の季節もきれいなんだろうな。
そういうと、おじさんは「おう、また来ような。」と言った。

部屋に戻ると昨晩の惨状はきれいに片付けられ、朝食の用意が整っていた。
なんで起床して風呂に行ったのがわかったんだ!?
折紙先輩なら”忍びだからです!”とか言いそうだ。
ふっくらと白いご飯とみそ汁、焼き魚。
「おおー。日本の朝ご飯だな。」
おじさんは嬉しそう。
普段なら朝はあまり食べないのに、なぜか食が進む。不思議だ。
「なんかいろいろ初めての体験でしたけど、楽しかったです。」
「そうか。よかった。こういうのも悪くないだろ?」
「ええ。リフレッシュできました。」
「なんか体中が入れ替わった気がするだろ?」
「そのフレッシュさを少しは保ってくださいね。」
「ちぇ、バニーはそういうとこが可愛くないんだよ。」
「可愛くなくて結構です。」

女将にお礼を言うと旅館を後に、シュテルンビルトへ車は向かった。



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