06:暗い森


 優しく頭を撫でられるような、心地良い微睡の中でゆっくり瞼を開いた。
 柔らかな風が身体を撫で、暖かな光が優しく見守っている。
 ぼんやりとした視界に映るのは一面に広がる淡い光で、どこまでも続いているかのようだ。
 なんて心地の良い所なんだろう。懐かしさにも似た安らぎを覚えながら、ハクエはほうと息を吐いた。
 見たことのない景色の筈なのに、かつて親しんだ事のあるような、不思議な情景。
 揺らめく光が、まるで陽日にはためくカーテンのように思えて口の端を弛める。
 ふいに、視界に何かが映り込んできた。
 視線を投げれば、逆光で表情こそよくわからないものの、ずっと追い求めていた姿のように見える。
 淡い光に照らされる眩い金色を、うなじのあたりで束ねて背中に流している姿。
 よく見えないけれど、きっと、いつものように優しい眼差しで自分を見ているのだろう。
 ハクエはゆるりと腕を伸ばし、頬に触れた。
 手を動かした感覚も、頬に触れた感触も温もりもない事に内心首を傾げながらも、穏やかに笑って相手を見上げる。
「師匠……おかえりなさい」
 束ねた金色が揺れたのを見たハクエは、急激に睡魔が襲って来るのを感じた。
 抗うことなく瞼を閉じると、伸ばしていた腕をぽとりと落とす。
 淡い光はいつの間にか消え、辺りを暗闇が包み込んだかと思うと、やがてハクエをも飲み込んだ。



 強く身体を揺さぶられる感覚に瞼を開ければ、少年の顔が目の前にあって思わず声を上げた。
 その反応に安心したように身を起こした少年――ジタンは、ハクエに声を掛ける。
「ハクエ、大丈夫か?」
「ジタン……ここは?」
 何故か動揺しているように見えるジタンを尻目に、頭を片手で押さえながら上体を起こしたハクエは辺りを見回した。
 空が見えないほど鬱蒼と生い茂る木々に、泥に塗れた地面。遠くから不気味な獣の鳴き声が聞こえ、何処からか川の流れる音が聞こえる。草と土の湿気を含んだ匂いを運んでくる冷たい空気に、ハクエはまさか、と冷や汗を流した。
「魔の、森……?」
「あぁ、最悪な所に墜ちたみたいだ」
 苦い顔をしながら頷くジタン。なんて所に墜落してしまったんだろう、ハクエも苦い顔をする。
 ジタンが差し伸べた手に掴まり立ち上がると、服にべっとり付着した泥を払い落とす。髪にも容赦無く絡みついていることに顔を顰めていると、やけに頭が軽い事に気が付いた。
「ねえジタン、私の帽子を知らない?」
「それなら足元にあるぜ」
 指し示された所を見れば、木の根に帽子が置かれていた。
 拾い上げて帽子の具合を確かめたハクエは、泥でしっとり濡れているそれを被る事は流石にせず、ベルトに挟む。
「ジタンも私も泥まみれ。はやいとこ脱出して、綺麗に洗わなくっちゃね」
 淡い色のワンピースが泥ですっかり変色しているのを摘まんで見せながら、ハクエはくすりと笑った。
 脱出できるのが当然とでも言わんばかりの物言いに、苦い顔をしていたジタンも笑って頷く。
「あぁ。まずは、プリマビスタに行こう。きっとみんなそこにいる筈だ」
 プリマビスタというのは、墜落した飛空挺の事だろう。
 言いながら辺りの様子を窺っていたジタンは、やがて一つの方角を指し示す。
 木々に阻まれ向こう側を良く見ることはできないが、それでも赤く燃えている何かと火の臭いはここからでもわかった。
 歩き出したジタンの後を追い掛けるハクエは、何気無く彼の背中を見て違和感を感じた。
 鈍い金髪をうなじで結った後ろ姿がじっとりと濡れている。暗い森の中でもわかるほどに、ジタンの背中は泥にまみれていたのだ。まるで、泥沼に背中を強かに打ち付けたように。
 対して自分の身体を確かめると、あちこち泥を被ってはいるものの、彼のように一部だけずぶ濡れというような事は無い。
 そう言えば起き上がった時、自分の身体は草の上に横たえられていたように思うし、帽子だって木の根に引っ掛けられて泥に浸ったままでは無かったような気がする。
 ハクエは小走りでジタンに追い付くと、背中を数度軽く払った。
「ジタン」
「ん、どうした? もしかして、暗くて怖いのか? 大丈夫、俺がちゃんと傍にいてあげ……」
「ありがとね、庇ってくれて」
 振り向いたと思ったら、何やら良くわからない事を口走り始めたジタンの言葉を遮るように言う。
 にっこり笑えば、面喰らったような顔をしていたジタンは照れたように頭を掻いた。
「いいって、そのくらい。それよりハクエに怪我が無くてよかったぜ」
「そういうジタンは、ちょっと怪我してるみたいね……」
 ジタンの肩や腕には擦り傷がいくつも出来ており、その上に泥を被っている為、衛生的に良い状態とは言えない。
 近くで川が流れている音がしていたのを思い出したハクエは、耳を澄ましてそれが進行方向にある事を確認すると、ジタンを急かした。
「早く傷口を綺麗にしないと、その状態は良くない」
「こんなん、ポーションでもしときゃ一発だろ? へーきだって」
「ううん。それじゃあ、泥の汚れが落とせなくて、不衛生だわ」
 ポー ションやケアルには速効性があり、確実に治癒できる上に手軽に行使できる方法だが、傷口から入り込んだ毒素や菌類までは癒してはくれない。戦闘中などの緊急事態でもなければ、適切な処置を行ってから傷を癒すのが後々身体の為になるというのは行方不明の師匠から教えられた生きる為の知識の一つだ。
 川辺に辿り着いたハクエはポーチからハンカチを取り出し、水に浸してジタンの肩に押し当てる。傷口に滲みる痛みにジタンは顔をしかめて小さく呻いた。
「も、もうちょっと優しく……」
「強引に洗い流さないだけマシでしょ」
 何度かハンカチを濯ぎながら綺麗に泥を拭い取ったハクエは、暗くてよく見えないながらも傷口の状態に問題がない事を確かめると手をかざす。
「ケアル」
 小さく唱えたハクエの掌から暖かな光が現れ、ジタンの傷口に潜り込んで傷を癒してゆく。
 内側から盛り上がるように傷口が消えて行くのを見たジタンは、立ち上がると肩を回し具合を確かめる。
「サンキュ。ハクエちゃんが俺への愛を込めて手当てしてくれたから、バッチリだぜ」
「それじゃあ、早くいきましょ」
 肩を動かす度に感じていた突っ張る痛みが無くなったことに機嫌を良くしたらしいジタンは、お礼とばかりにハクエに両腕を広げてにじり寄るが、その腕が届く前にハクエは歩き出してしまう。
 両腕を広げたままのジタンは、やがて肩を落とした。

 あれから暫くも歩かないうちにプリマビスタが見えてきた。
 木々の間をすり抜けて辿り着いた二人は燃え盛る船体に走り寄る。
 船の外には荷物が乱雑に放り出され、それに混ざって怪我人が何人もいる。
 大きく穴が空いた船体を出入り口に、シナやブランクが荷物を運び出しているのを見付けて近付いた。
「ジタン! 生きてたずらね!」
「帽子のねーちゃんも、無事だったのか」
 ジタンとハクエの姿を認めた二人は荷物を放り投げると歓喜の声を上げた。
 放り投げた荷物が怪我人に当たって小さな悲鳴が上がっていたが、それを聞き届けたものはいない。
「それにしても、ジタンは無茶しすぎだずら! 船から飛び出すなんて……」
「ははっ、この通りピンピンしてるぜ。そんな事より他の皆は無事なのか?」
「それなら全然心配いらないずら、みんな悪運が強いからピンピンしてるずら。でも……」
「でも?」
 上半身を捻って無事であることをアピールするジタンに安堵の表情を浮かべるシナだが、仲間の調子を尋ねられると口篭る。
「……このままじゃ吊るし首になるずら。ガーネット姫がどこにも見つからないずら!」
「なんですって!」
「あ、おい、ハクエ!」
 さっと顔色を変えたハクエは、ジタンが静止の声を掛けるのも無視して再び森の中へ駆け出して行ってしまった。
 舌打ちをしたジタンも後を追う。
「シナ、ブランク! 悪いけど船の事は頼んだ! 俺とハクエはガーネット姫を探してくる!」

 森の中を走りながら敵との遭遇に備え、ガンブレイドを握るハクエ。トリガーに指を掛けたまま駆けていると、悲鳴が聞こえた。
「隊長! ……ガーネット!?」
 悲鳴の聞こえた方向に駆けつければ、剣を構えるスタイナーと座り込んでいるとんがり帽子の子供がいた。
 二人が対峙する先には、球根に一対の触手が生えたような姿をした魔物がおり、檻のような形をした頭頂部にガーネット姫が捕らえられているのを見たハクエは目を見開く。
 頭に血が昇り、身体中を流れる血液が騒ぎ始めるのを感じる。
 身体の奥底から力が溢れてくるようで、思わずガンブレイドを握る手に力を篭めた。
「なんだあいつは!?」
「姫さまに何をするつもりだ!」
「話が通じるような相手じゃない! やるぜ!」
 ハクエに追いついたジタンが鞘から短刀を抜きながら叫ぶ。その声に、剣を構えていたスタイナーも魔物へ斬りかかっていった。
 しならせながら叩きつけられる触手を剣で受け止め薙ぎ払う。しかし、一行を敵だと認識した魔物は追撃の為に再び触手を振りかぶった。
 その時、ジタンとハクエの身体を眩い光が包み込んだ。
「なんだ貴様、その光は!?」
「身体に力が溢れてくるんだ!」
「まさかトランス……! 聞いたことがあるぞ、感情の高ぶりがそうさせると」
 不思議な光を身に纏ったまま獣のような姿になったジタンと、長い丈のワンピースだった服がドレスのようになったハクエ。
 二人は身体から満ちてくる不思議な力を感じ、それぞれの得物を構えて口の端を吊り上げた。
「さあ、一気に片付けるぜ!」
「ガーネットを放しなさい!」
 風を切るようにして走りだしたジタンが身軽に跳び上がると、一本の触手を容易く切り落とした。
 耳をつんざくような悲鳴を上げた魔物は、残った触手を我武者羅に振り回しジタンを吹き飛ばそうとする。
 させまいとスタイナーが触手に斬りかかり、地面に降り立ったジタンは球根本体を狙って短剣を振るう。
 二人が魔物の相手をしている間、ハクエは力を溜めていた。
(魔力が満ちてくる……これなら!)
 魔力はお世辞にも高いとは言えないハクエだが、トランスにより能力が大幅に引き上げられているのか、己の身体に今までにないほどの強い魔力が満ちるのを感じる。
 ガンブレイドを構えたハクエは、照準を魔物の本体に合わせトリガーを引くと同時に溜めた魔力を爆発させた。
「これでも喰らいなさい!」
 魔力が篭められた弾は大きく爆ぜながら真っ直ぐ魔物を貫き致命傷を与える。普段より遥かに強力な手応えにハクエはトドメを刺すべく魔物へと駆け出した。
 しかし、ガンブレイドの切っ先が魔物に触れる前に魔物はその身を起こすと、残った触手を頭上に広がる木の枝に絡み付け上空へ逃げていってしまう。
 すかさず弾丸を放つハクエだったが、枝を落とし樹の幹に穴を開けただけで魔物に当たることは無い。
 トランス状態の解けたジタンとハクエ、そしてスタイナーは魔物が去っていった方を見る。
「姫さま、姫さま〜!」
「どこへ行ったんだ!」
「なんてこと……」
 項垂れる三人に近付いたとんがり帽子の子供もまた、震える声で言う。
「連れて行かれちゃった……怖くて魔法が使えなかった、このままじゃきっと食べられちゃう!」
「この自分がついていながら、姫さまを守る事ができなかった……」
 スタイナーととんがり帽子の諦めにも思える嘆きに、ハクエは眉を吊り上げた。
「なにそれ、諦めるっていうの!? 私はイヤよ! ガーネットは私が助けに行く!」
「まぁまぁ、落ち着けって。二人とも、ハクエの言うように諦めるのはまだ早いぜ」
 吠えるように叫んだハクエに二人は気圧される。
 後ろからハクエの肩に手を置いて宥めるように言うジタンは、魔物が去っていった方向を指し示す。
「あいつらは森の主に操られた人形さ、ガーネット姫はこの森の奥にいる主の所に連れていかれたんだ」
「そ、そうか、ではまだ姫さまは! さっそくヤツの後を追わねばならぬ!」
 ジタンの言葉に気を取り直したスタイナーが数歩進んだ所で、一行の頭上に影が落ちる。
 いち早く気付いて顔を上げるハクエだったが、それよりも先に幼い悲鳴が響き渡った。
「うわあああ! 助けてぇ!」
 現れた魔物の触手に脚を持ち上げられたとんがり帽子が、先ほどのガーネット姫のように頭部に捕らえられてしまう。
 再び武器を構える一行に、半ばパニック状態になったとんがり帽子が頭部に向かってファイアを放った。
 苦しそうな悲鳴を上げる魔物の様子にジタンとスタイナーは声を上げる。
「魔法が効くようである!」
「いいぞ、その調子だ!」
 二人の声に勇気づけられたとんがり帽子は再びファイアを唱え魔物に攻撃する。しかし、魔物は頭部に触手を差し入れるととんがり帽子の身体に巻きつけた。
 微かな悲鳴と共に触手が離されると、ぐったりと膝を付く。
「あいつ、捕らえた奴の体力を吸うのか!」
「あの子が危ない、早くやらなきゃ!」
 打ち付けられる触手を交わしながら魔物の懐に潜り込んだジタンとハクエは、それぞれ触手を切り落とす。
「隊長!」
「うおおおおお!」
 ハクエの声に応えるように魔物の球根部分を一直線に斬るスタイナーに、魔物は倒れ頭部が開いた。
 ぐったりと倒れこんできたとんがり帽子を抱きとめるハクエ。
「こ、こわかったぁ……」
「大丈夫? 怪我はない?」
「う、うん……なんとか」
 触手に巻き付かれていたであろう部分を確かめながら声を掛けると、弱々しいながらも答えが返ってきた。
 安心させるために背中を優しく撫でると、動きやすいように抱え直し立ち上がろうとする。
 その時、背後で不気味な声がした。
「ハクエ殿!」
「ハクエ、危ない!」
「うっ!? ……ぐ、う」
「うああっ!」
 倒れていたとばかり思っていた魔物が断末魔と共に辺りに毒霧を撒き散らした。
 いよいよぴくりとも動かなくなった魔物だったが、間近にいたハクエととんがり帽子はその毒霧をまともに浴びてしまう。
 諸共倒れこむ二人に、離れた所にいたお陰で難を逃れたジタンとスタイナーが近寄るが、身体が動かない。
「ハクエ、ハクエ! ……クソッ」
「ハクエ殿! なんてことだ、自分がついていながら……!」
「おいおっさん、手を貸してくれ。ひとまず二人を安全な所へ運ぼう!」
 ジタンとスタイナーが叫ぶように交わす言葉を聞きながら、ハクエの意識はふつりと途絶えた。



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