07:束の間の休息


「ええい、いい加減離すのである!」
「そんなことしたら、おっさんまた森に行こうとするだろ!」
「当然である! 姫さまを助けにいかねばならんのだ!」
「その気持ちはオレだって同じだ! けど、このまま行った所で犬死にするだけだ!」
「だからと言ってこのような所に閉じ込めおって! さっさと此処から出さんか!」
 とんがり帽子の子供とハクエをそれぞれの腕に抱えてプリマビスタに駆け戻ったジタンとスタイナーは、船にいたシナに大慌てで火事を免れた船室へと案内された。
「確か、ブランクが薬をもっていた筈だずら。呼んでくるから、二人の様子を見ていて欲しいずら」
「ふぅ。俺達は、荷物の検品に行ってくるでよ」
「あのおっさん、オラの足踏んづけたでよ……痛いでよ」
 案内された船室のベッドにハクエ達を寝かせた後、ろくな準備もせぬまま単独で森へ戻ろうとしたスタイナーを、シナや仲間達と協力して物置へ押し込める事に成功したジタンは扉に鍵を掛けながらシナの言葉に頷いた。
 スタイナーが内側から激しく扉を叩きノブを回しているが、頑丈な造りの扉だ。そう簡単には破れないだろう。
 一人で森を進むのは自殺行為のようなものだし、そうでなくても彼はジタン達を敵視している。
 引き止めた所で大人しく話を聞いてくれないどころか、抜刀せんばかりの剣幕でジタン達を怒鳴りつけてきた彼をこうして身動きが取れぬように閉じ込めてしまったのは、些か仕方のない事だった。
 いちいち相手にしていたら整えるべき準備もままならない。
「オレ達も倒れなかったとはいえ、あの毒を浴びてるかもしれないんだ。今からオレの仲間が薬を持ってくるから、そこで待っててくれ」
「ハクエ殿と、あの黒魔法使い殿は無事なのであろうな!」
「ベッドに寝かせてるよ。先にあの二人に薬を飲ませるから、それまで大人しくしててくれ」
「ぐぬぬ……おかしな真似をしたら、ただではおかぬぞ!」
 ジタンに敵意を向けながらも、倒れた二人の事は心配しているらしい。
 至極不本意そうにジタンの言葉を受け入れたスタイナーが大人しくなった所でその場を離れる。
 その脳裏には、船から投げ出された時の記憶が蘇っていた。
(船から投げ出されたハクエを追い掛けて、オレも飛び出して……ちょーっとばかし痛かったけど、なんとかハクエに怪我させずに済んで、起こそうとして……)

 プリマビスタからハクエもろとも森へ落下したジタンは、痛む身体に鞭打ってハクエを草の上に横たえ彼女を起こそうと身体を揺さぶっていた。
 やがて瞼をゆっくり開いたハクエの顔を覗き込んでみれば、彼女は焦点の合わない瞳で微笑んだと思うとジタンの頬に手を延ばし囁いたのだ。
「師匠……おかえりなさい、か。オレを誰と間違えたんだかねぇ」
 今にも泣き出しそうな、けれども心の底から安堵しているような、見ている此方の胸が締め付けられてしまいそうな、強く印象に残る顔だった。
 まるでずっと焦がれていた人に、ようやく出会えたと言うような、切なくも喜びに満ちた顔。
 自分を見て、自分でない誰かを呼ぶ彼女に慌てて肩を強く揺さぶれば、一度瞼を下ろし、やがて再び目を開いた。その瞳は今度こそはっきりジタンを捉えていて、自分を呼ぶかすれた声にひどく安堵したのを覚えている。
 彼女が自分を誰と間違えたのか気になるが、きっと触れない方が良いのだろう。起き上がった彼女にあえて何も言わず、共にガーネット姫を捜しに行けばハクエは魔物の毒霧を浴びて倒れてしまった。
 ガーネット姫が魔物に捕らえられていた時の比で無いほどに、己の身体の芯から冷えていくような怒りと後悔が身を支配した。
 彼女は成り行きでガーネット姫と共に連れて行く事になったものの、巻き込まずに済んだかもしれない人間だ。それを、今では命を脅かす程の危険に晒してしまっている。
 協力的な姿勢を見せていたから深く考えずに受け入れてしまったものの、何とかして城に置いてくる事だって出来た筈だ。
 ぎり、と奥歯を噛んだジタンはハクエ達が眠る部屋には向かわず、船の奥へと進んで行った。

「よぉジタン。シケた面してんな」
「バクー」
 ブラネの砲撃をもろに浴びて滅茶苦茶に壊された操舵室で、ジタンがバクーと呼んだは積み上げた板切れを椅子代わりにどっかりと座り込んでいた。
 口元を覆う立派な髭の隙間からパイプをふかしていた彼は、ジタンの姿を認めるとおもむろに腕を上げる。
 バクーはジタンが身を置く組織・タンタラス団のボスだ。
 今後の方針を相談しにくるであろうジタンを待っていたといわんばかりの姿勢でいる彼は、パイプを咥えたままジタンの言葉を待つ。
「ガーネット姫が魔物に攫われた。助けに行きたい」
「ふむ……」
 思案する口振りを見せながら、バクーはパイプを口から離すとジタンの目を真っ直ぐ見据えて口を開いた。
「そいつぁ無理だ。お前も見たろ、船の周りは霧から生まれたバケモンだらけだ」
「あんなヤツらどうってことない! オレ達が揃って行けば平気さ!」
「怪我人はどうするつもりだ? 自力で歩くことさえままならねぇ奴もいる」
「動ける奴がおぶって、一緒に連れてけばいいだろ?」
「そんじゃあ、襲われた時に身動きがとれねぇで、やられちまうぞ」
 バクーの威圧するような眼差しを物ともせず、自分の主張を述べるジタン。しかし、次にバクーが放つ言葉に表情を変えるのだった。
「ガーネット姫にゃ気の毒だが……仕方ねえ。仲間の方が大事だ」
「ちきしょう!」
 淡々と、一つの組織を束ねるボスとしての言葉を放ち、かぶりを振る。思い切り床を踏み付けたジタンを一瞥すると、バクーは声を張り上げた。
「怪我人が回復するまで、タンタラスは此処で待機だ! 身勝手な行動は許さねえぞ!」
「女を見捨てるなんて……見損なったぜ!」
 感情に任せて壁を強く叩いたジタンは、吐き捨てるように言うと足音荒く立ち去る。
 板張りの床を踏み抜かんばかりの足音が遠ざかっていくのを聞きながら、髭を撫でてそれを見送ったバクーが溜め息を吐きながらもどことなく嬉しそうな表情をしていた事は、ジタンには知る由もない事だった。



「う、ん……」
「気が付いたか?」
 浮上した意識に瞼を押し上げると、見慣れぬ天井が目に入った。
 先ほどまで魔の森にいた筈なのだが、あまり寝心地が良いとは言えないベッドに横たわっている。
 酷い脱力感と吐き気を訴える身体に鞭を打って起き上がろうとすると、それをやんわり制する手と男性の声が降ってきた。声の主を見やれば、見覚えのある顔が心配そうに覗きこんでいる。
「あなたは……確か、ブランク」
「あぁ。お前はハクエで合ってたか?」
「えぇ。そうだ、私、森で魔物に……」
 貧血でも起こしたかのようにふらつく頭を必死で動かし、記憶を手繰り寄せる。
 やがて、森で遭遇した魔物にやられた事を思い出したハクエはブランクの腕を退かして立ち上がろうとする。
「あ、おい。まだ起きるんじゃない」
「離して、ガーネットを助けに行かなきゃ」
「鎧のおっさんと同じような事言うなあんた……でも、その身体じゃ無理だ。わかるだろ?」
「……」
 ブランクの言う通り、酷く具合が悪い。身体はじっとり熱を帯び、頭痛と吐き気、なにより軋むような身体の痛みで喋るのも億劫な程だ。
 どう考えてもあの魔物が死に際に放った毒霧のせいである。
 ハクエはブランクに押し倒されるようにベッドに横たえられると、抵抗すること無く沈む。
 ハクエが恨めしげに睨みつけると、ブランクは苦笑いをすると小瓶を取り出した。
「あんたが浴びたあれは毒じゃない、タネだ。ほっといたら死んじまう」
「……」
「そんな顔すんなって、これが薬なんだ。なかなか凄い味だが、効き目はバッチリだぜ」
 差し出された小瓶を受け取る。力の入らない手で封を開け、口元に近付けると何とも言えない臭いがして思わず手を止める。
「……なにこれ、これこそ毒じゃないの」
「気持ちはわかるけどな……」
 しばらく小瓶を睨み付けていたハクエだったが、やがて覚悟を決め、息を止めて一気に飲み干す。
「ん、ぐ……」
 咥内を通り過ぎていく想像を絶する味に、思わず涙目になると口元を覆ってブランクを睨みあげた。
 飲みきれなかった薬が口の端から零れ、指の隙間から細い顎を通り首筋をなぞる。
「……味、もうちょっとなんとかならなかったの」
「……」
「ブランク?」
「あ、いや、なんでも。少し安静にしてりゃ、治ると思うぜ」
 ハクエの言葉に返事をせず無言で見下ろしていたブランクは、再び呼びかけられると慌てたように視線を逸らした。
 濡れた首回りを拭いながら頭を傾げるハクエだったが、ブランクの背から覗き込むようにこちらを見る小さな影が有る事に気が付いて目を瞬いた。
「君は……」
「お姉ちゃん……」
 ずっと、ハクエとブランクのやり取りを見守っていたのだろうか。
 小さな身体をベッドにもたれさせ、大きな帽子に隠れてすっかり表情が伺えない中、不安そうに揺れるまるくて黄色い瞳が二人を見つめている。
「おう、薬は効いてきたか?」
「う、うん。少し楽になった」
「そっか、ハクエ。こいつはお前と同じ症状で、先に目が覚めたから同じ薬を飲ませたんだ。お前もそのうち良くなるだろ」
 自分の体調を確かめながらおずおずと言うとんがり帽子の肩にぽんと手を置いたブランクはハクエに安心させるように言う。
 その言葉に納得したハクエは、ベッドに横たわったまま顔だけをとんがり帽子へ向けた。
「君を巻き込んじゃったね」
「う、ううん。僕の方こそ、舞台に上がったりして、ごめんなさい」
「私は劇団の人間じゃないから、それは何とも言えないかな」
「そこで俺に振るか。ま、そんな細かい事誰も気にしてねーよ」
 チラリとブランクに視線を投げながら言えば、二人のやり取りを黙って見ていたブランクが頭を掻きながら言う。
 劇団員であるブランクにそう言われて少し安心したのか、とんがり帽子の下で輝くまるくて黄色い瞳が細められた。それを見たハクエも柔らかく微笑む。
 その時、部屋の扉がゆっくりと開かれた。三人揃って視線を投げれば、様子を伺うように中を覗き込んでいるジタンがいる。
「お、二人とも目が覚めたのか」
「えぇ、お陰様で。ブランクに薬を飲ませて貰ったから、あと少しだけ休ませてね」
 ハクエの言葉に頷いたジタンは、とんがり帽子の子供と視線を合わせるようにしゃがみ込む。
「おまえも、大丈夫か?」
「うん。あの、助けてくれてありがとう」
「礼には及ばねえって! オレ達こそ、おまえの魔法で助けられたんだ。おまえ、ちっちゃいのに魔法使えるってすげえな!」
「……」
 ジタンが魔法という言葉を口にした途端、俯いて表情を隠してしまうとんがり帽子。きょとんとその様子を見たジタンは、その背中を軽く叩いた。
「ちっちゃいの、気にしてるのか……?」
「気にしなくてもいいのに。私なんて、これだけ背が伸びてもあんなファイアは出せないわ。頑張ったってマッチ棒につけたような炎しか出せないもの」
「そういう問題じゃないと思うけどな」
 わざとらしく惚けてみせたハクエにブランクが乗っかる。
 お前らいつの間に仲良くなってんだ、と半目で二人を振り返るジタンだったが、とんがり帽子に向き直ると笑って見せる。
「あんなすっげえ魔法が使えるんだ、もっと自信を持っていいんじゃないか? 男の価値は見た目じゃないんだ、ハートの熱さと夢の大きさで勝負だぜ!」
 言い切る頃には握り拳を作って見せたジタンに、しかしとんがり帽子は項垂れたまま言う。
 熱く語った割に誰も反応を示さなかった事に、ジタンが肩を落としているように見えるのはおそらく気のせいだろう。
「ごめんね、ボクの所為であの人……」
「なぁに、心配すんなって! このジタン様に任せておけば大丈夫!」
「ハクエ様がいることも忘れないで頂戴ね?」
 今はこんな状態だけど、とハクエが笑って言えば、ようやくとんがり帽子は顔を上げた。
「必ず助けてあげてね、ジタンさん、ハクエさん」
「呼び捨てにしてくれていいぜ、『よぉ、ジタン!』ってな」
「よぉジタン」
「お前が言うのか」
「ハクエちゃん結構ノリ良いね……」
 ハクエとしては落ち込んでいる小さな子供が放っておけずに何とか笑いを取ろうとしているだけなのだが、元気な男性二人からは至極呆れた視線を頂戴した。
 にっこり微笑んで今の失言を無かったことにする。
「私も呼び捨てでいいからね、君のお名前は?」
「ビビだよ、ハクエお姉ちゃん」
「そっか、よろしくね、ビビ」
 起き上がれるだけの体力があれば、きっとその帽子越しに頭を撫でていただろう。
 はにかんで名乗るビビにハクエはほんわかとした気持ちになる。
「よし、二人はもうちょっと休んでてくれ。また後でくるからな」
「うん」
「そうさせてもらうわね」
 ビビの名前が分かったところで話を区切ったジタンはブランクを連れて部屋を出て行く。
 静かになった部屋で身体の力を抜けば、どっと疲れが湧いて来た。
 凄まじい味をもってハクエに文字通り苦い思いをさせた薬の効き目と言えば、あれだけすっとぼけたことを言っても笑える余裕が有る程で、もう間も無く身体の不調も治まりそうではあるのだが、いかんせん失った体力が回復していない。
 それはビビも同じようで、ずりずりとシーツに身を沈めつつあった。
「ジタンが戻ってくるまで、ちょっと寝よっか」
「でも……」
「今私達に出来ることは、きちんと体力を回復させて、森を抜ける時に迷惑を掛けない事だよ」
 自分達だけ休息を取る事に抵抗を感じているのだろう、あやす様に優しく言えば、こくりと頷いて黄色い目を閉じるビビ。
 しばらくもしない内に聞こえてきた寝息に、ハクエも瞼を下ろした。
(そう……少しでも早く回復して、ガーネットを助けなくちゃならない)
 その為には、休める時に少しでも多く休んで体力を取り戻す必要がある。
 やがて誘いの手を差し伸べて来た睡魔に抗うことなく、ハクエは短い眠りに就くのであった。



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