03:開幕を控えて


 ハクエがアレクサンドリアに到着してから三日が経った、1月15日。
 ガーネット姫の誕生祭を当日に迎え、いよいよ街は待ちきれないとばかりに盛り上がりを見せていた。
 城下町から絶え間なく喧騒が聞こえ、貴族が街に到着したことを知らせる笛が一刻を過ぎるまでに何度も鳴る。子供は風船を片手に走り回り、大人は威勢よく声を張り上げ店頭に品を並べていた。街を見回る兵士も厳しい顔をしながらもどこか楽しそうで、今夜が待ち遠しい様子だ。
 そんな中、ハクエは宛てがわれた尖塔の小部屋のベッドに腰掛けていた。
 今日は退屈を持て余している訳でなく、武器の手入れをして来るべき任務に備えている。
 一見、ただの片手剣のように見えるそれは、柄の部分をよく見るとこの国では見慣れない銃の形をしている。剣の峰に添えられた銃身は長く、刃先の少し前まで伸びており、柄の部分には剣として握るのを邪魔しないような位置にマガジンやトリガーが取り付けられている。
 銃としても剣としても扱えるその武器は、ガンブレイドという名で一応の流通こそしているものの、ハクエが出会った人間の中でこれを扱う人間に会ったことはない。手入れの面倒くささとトリッキーな性格の武器だけに、人気や知名度は高くないようだ。
 けれども、ハクエは自由に戦えるこの武器が好きだった。師匠に与えられた武器だからというのも理由の一つにあるが、この銃剣は手によく馴染んでいる。
 銃身に詰まった錆と埃を掻きだしてオイルを注した後は、刃の錆を落とすと砥石に掛けて丁寧に研ぐ。仕上げにオイルを染み込ませた柔らかい布で刀身を拭きあげれば、武器の手入れは完了だ。
 壁際に立て掛けると、傍らに積み上げたマガジンの数を数える。
(これだけあれば、当分は戦っていけるかな)
 知名度が高くないだけに、流通も他の武器と比べるとやはり劣ってしまう。
 昨日の昼間、城下町へ買い出しに出た際に街の武器屋に僅かに置かれていたマガジンの在庫を根こそぎ買い占めたものの、長く旅をしていればまた不足してくるだろう。
 マガジンを揃えてポーチにしまうと、腰のベルトに括りつける。具合を確かめ、隙間を埋めるように携帯食料やポーションなどの必要最低限な道具をポーチに詰め込んでいく。
 重くなり過ぎない程度に詰め込んだ後は、ぱんとポーチを叩いて立ち上がった。
「よっし、準備完了!」
 武器を背負うとそれを隠すように外套と帽子を身にまとい、闇に紛れるような薄暗い格好になったハクエは部屋を後にする。
 まだ昼間だが、兵は今日のためだけに与えられた持ち場へ移動しつつある。与えられた任務を為すべく、ガーネット姫の寝室へ向かった。
 女王から与えられた、王女の身を護るという任務。
 王女から与えられた、城から連れ出して欲しいという任務。
 二つの任務を承け、ハクエは万全の準備の元ガーネット姫の寝室の扉を叩いた。
 しかし反応は無く、ハクエは静かに扉を開いて中へ足を踏み入れる。
「……ガーネット、また寝てるの?」
 見たことのある光景にくすりと笑みを浮かべて近寄る。
 窓辺でうたた寝をするガーネット姫は相変わらずハクエが隣に立っても目覚めることがない。気を許されているのだろうが、だいぶ警戒心の薄い姫君に内心苦笑する。
 開け放たれたままの窓に身を寄せて、外を眺める。
 先日ハクエがアレクサンドリアに来る際に利用した飛空艇よりも、ずっと大きくて豪華な造りの飛空艇が街へ向かってきている。
 ハクエの記憶が確かなら、あれが今夜アレクサンドリア城でガーネット姫の誕生祭を一番に盛り上げてくれる劇団が所有する飛行艇の筈だ。
(今夜、私とガーネットは、あれに潜り込んで城を出る……)
 昨夜、護衛の特権を活かして夜遅くにガーネット姫の部屋を訪れたハクエは、ガーネット姫と二人でいかにして城を出るかを話し込んだ。
 普通に城を出ることは難しいだろう。けれど、ハクエとガーネット姫にはひとつの心当たりがあった。
 毎年、ガーネット姫の誕生祭で催される芝居がある。
 ガーネット姫が一字一句違えず空で言える程に好きだというその芝居の演目は『君の小鳥になりたい』。
 外部から劇団を招いて演じられるそれは、今年は飛空艇を有する劇団によって演じられるという。

 飛空艇。
 地からならばきっと見つかってしまうだろう。
 ならば、空に逃げてしまえばどうだろう?
 二人はその手段に賭けることにした。

 うぅん、と喉奥から漏れる声が聞こえてハクエは振り返った。
 ガーネット姫はまたもうなされているようだ。けれど、ハクエが行動を起こす前に目を覚ましたガーネット姫は、しばらくぼんやりとした瞳で空を見つめ、やがてハクエの顔を見ると力なく笑った。
「ハクエ……私、また寝ていたのですね」
「ガーネット、大丈夫?」
「えぇ……」
 心なしか声にも力が入っていないように思う。今後を憂いて心も疲れてしまっているのだろうか。一段落ついたらゆっくりと休ませてあげなくてはと思案する。
 そんなハクエをよそに彼女の隣に立ったガーネット姫は、先ほどハクエがそうしていたのと同じように窓枠に寄りかかると悠々と飛んでいる飛空艇を見つめた。
「私達は、あれに乗り込むのですね」
 不安を隠し切れない声で呟くガーネット姫に、ハクエは穏やかに言った。
「大丈夫だよ、ガーネット。何があっても私があなたを護ってみせるから、安心して」
 それを受け、ガーネット姫もようやく安心したように笑った。
(別に、女王の任務に背いている訳じゃないもの。ガーネット姫の事を護ろうとしているんだもの、間違いじゃないよね?)
 ガーネット姫の線の細い後ろ姿を見ていたハクエは、二人の依頼主からの命令を思い出すと、子供じみた言い訳を心の中で呟きながら悪戯に口の端を釣り上げる。
 流石にブラネはガーネット姫が城を出ようとしているなんて夢にも思っていないだろう。だからこそ「目を離すな」という形で姫を守るよう命令を下したのだろうが、どうやらそれが仇になったようだ。
 ハクエの思惑をよそに、劇団の乗っている船はいよいよアレクサンドリア城にその身を降ろそうとしていた。



 夜の帳が降りた頃、ドレスを身に纏うガーネット姫はブラネ女王と共にロイヤルシートに腰掛けていた。ハクエはその背を護るように静かに立っている。
 見晴らしの良い席は、飛空艇に備えられた舞台が一番よく見える位置にある。正に特等席であり、その最前列にブラネは居た。
 ブラネからすると、ハクエとガーネット姫は左後ろの死角にいる事になる。
 しかし、彼女たちの背後には二人の騎士がハクエ達三人を見守っており、ヘタな身動きは取れそうにない。
 ハクエ達の左側にはベアトリクス将軍。そして、右側にはスタイナー隊長がそれぞれ己の剣を手に立っていた。
 ベアトリクス将軍は女性兵を、スタイナー隊長は男性兵をまとめあげる存在である。女王の御身を護る大役だ。選りすぐりの兵を、と言われれば、やはりこの二人が宛てがわれるのだろう。
(スタイナー隊長は兎も角、ベアトリクス将軍はどうしようかなぁ)
 ちらりと後ろを見やりながらハクエは思案する。飛空艇に忍び込むと決めたものの、具体案が練り切れていなかったのだ。
 銀色の鎧に身を包む大きな体格のスタイナー隊長は、頭が頑固ながらうまく交渉すれば騙して通り抜けることはできるだろうと、過去数年の彼との何気ないやりとりを思い出しながら結論を出す。
 けれど、ベアトリクス将軍はどうだろう? 見た目麗しく腕も確かな彼女は武術に長けているだけでなくとても聡明だ。
 下手に小細工をしかけても、きっと見破られてしまうだろう。
「……大丈夫、私に任せてください。今は大人しくしていましょう」
 ハクエにしか聞きとれない声量でガーネット姫は呟いた。それを聞いたハクエは了承の意を込めて咳払いを一つする。
 ロイヤルシートから見下ろせば、貴族が続々と宛てがわれた椅子に着席し、劇の始まりを今か今かと待ちわびている。
 女王もまた同様に、お気に入りと言っていた扇子を片手に今にも踊り出しそうだ。
 いくつか立ち並ぶ塔の一つに掛けられた時計を見れば、開演まであと少しという事がわかる。
 外套の下でそっと手のひらを握ると、ハクエは舞台を見据えた。
 物語の幕があがるまで、あと少し。



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