02:あの日の記憶


 ガーネット姫から決意の依頼を受けた翌日の昼間。
 彼女の誕生日を二日後に控え、アレクサンドリアの街には人が増え始めているようだ。
 滞在用にとハクエに宛てがわれた尖塔の小部屋から城下町を見下ろしながら、ぼんやりと道行く人の数を数える。
 すると、街の人間よりも、貴族の方が多いかもしれないという事に気が付いた。
 広間で縄跳びをしている子供達は相変わらず仲良しで微笑ましい。商店街にある店の主は軒先に風船を括りつけ、お祭りムードを演出している。少し離れた所の屋根に上る男は、剥げたペンキを塗り直していた。
 城下町全体が、きたる姫君の誕生祭を待ちわびている。
 そんな浮ついた雰囲気の中、正直に言うとハクエは暇を持て余していた。
 ガーネット姫の護衛とはいえ、四六時中くっついている訳にもいかないし、なによりガーネット姫は今は勉強中である。自分が側にいて集中力を削いでしまっては申し訳がない。したがってやる事がないハクエは退屈の凌ぎ方を考えていた。
(久しぶりに、家の様子でも見に行こうかな)
 街道を目でなぞりながら、かつて自分が住んでいた家を見る。
 三年前、自分が旅に出るまで住んでいた家。
 年に一度しか帰らないものだから、きっとまた廃れてしまっているだろう。手入れでもしようと思い立ったのだ。
 ベッドの上に無造作に放り出されていた外套と帽子を引っ掴んだハクエは、それを身に纏いながら部屋を後にする。
(断っておいた方がいいのかな……まぁ、いっか)
 長い螺旋階段を足取り軽やかに降りながら、ちらりと女王の間の方へ視線をやるが、きっと公務に忙しいだろうと首を振る。
 ハクエが求められているのは、人手が足りなくなる誕生祭当日の事だ。ガーネット姫が多数の兵に見守られている今は、恐らく問題はないだろう。
 勝手に考えをまとめたハクエは、そのまま城を飛び出した。

 アレクサンドリア城下町のメインストリートから一本外れた路地。そこにハクエが育った家がある。
 立ち並ぶ家屋と変わらない外見のその家は、他の家と比べてやや寂れた印象を受ける。家主がいないのだ、当たり前だろう。
 玄関先で雑草が主張しているのを見つけて、後で草むしりをしないとな、と苦笑するハクエ。
 外套の下から家の鍵を取り出すと、少し錆びついた鍵穴へ差し込んだ。錆のせいで少し引っかかりを感じながら解錠し、ドアノブを捻る。
 極力静かに扉を開けたにもかかわらず、もわりと舞い上がった埃に顔をしかめた。
「すっごいホコリ。しかたないか」
 カーテンの閉められた部屋は薄暗く、玄関から差し込む光で舞い上がる埃がよく見えた。
 埃を吸わないように息を止めながら中に入ってカーテンを広げ窓を開け放つ。
 かつて見慣れていたものと変わらない窓の外の風景に安堵した。
「よし、ちゃきちゃき片付けちゃいますか」
 階段下の物置から掃除用具を取り出したハクエは、壁に外套と帽子を掛けると手始めに埃を払い落とす事から取り掛かった。

「……あ」
 あれからしばらくして。
 テンポ良く掃除を続けていたハクエは、寝室に飾られていた写真立てを見つけて手を止めた。
 表面に付着した埃を拭うと、窓から差し込む光に当てる。
 飾られた写真の中にいる二人の人物。今よりもやや幼い顔をした笑顔のハクエと、ハクエの肩を抱く一人の男。
 その男は、太陽のように眩しい金色の髪をうなじの辺りで一つにくくり、そのまま背中に流している。
 細められた赤い瞳が優しい表情をしてハクエを見ている事に気付き、じわりと目頭が熱くなるのを感じた。
「師匠……」
 物心ついた時には既にハクエの面倒を見てくれていた彼。
 きっと血縁者ではないだろう。けれど、まるで本当の親のようにハクエを暖かく育ててくれた。
 二言目には酒と女の事を口にするなど、少しだらしのない所もありながら、生きることに必要なほぼ全てを叩き込んでくれた彼。
 師匠と呼ぶようになったのは自然な事で、生きるために必要な事以外にも、己の身を護る為の戦いの術も教えてくれた。
 かなりのスパルタであったが、そのお陰でハクエは今日までを生きてきた。
 自然とハクエは彼を慕い、いつしか二人は師匠と弟子の関係になっていた。
 ――三年前のあの日までは。
「任務に行ってくるって、言ってたっけ」



 三年前のあの日。
 その日はとくに天気が良かったから、シーツや枕も洗ってしまおうと家の中を駆け回っていたと思う。
 戦いの知識や生きる術は豊富なのに、家事や炊事などの生活に関する事がまるでダメだった師匠。お陰でハクエは幼い頃から料理も家事もやらされて、そしてそれはみるみる上達していった。
 ソファに転がって雑誌を読んでいる彼に向かい、たまには自分でやってくださいと文句を言えば、弟子が師匠の面倒を見るのも修行のうちだ、と訳のわからない屁理屈が返ってきてため息を吐いた事もある。
 そういう経緯もあって、彼の分もまとめて洗濯していたハクエをリビングに呼びつけ、彼は言ったのだ。
『遠いところへ、任務に行ってくる』
 口調さえ、普段の軽いものだったのに、その瞳はいつになく真剣だった。
 彼が任務で家を開けるのは珍しくないことで、数日から数週間は家を開けるなんていうのはよくある事だった。
 ただ、その時はいつも出掛け際に一言言うだけ言ってそのまま出て行ってしまい、また任務を終えるとひょっこり帰ってきて当然のようにソファでくつろいでいたりする。
 自由気ままに家を出入りする彼に、せめてどの程度家を開けるのかだけは教えてくれとハクエはいつも頭を抱えていたものだ。
 普段のそれとはまるで違う様子の彼に、嫌な予感を感じたハクエは口を開く。
『……どこまで行くんですか?』
『わからん。だが、今までよりも途方も無いほどに遠い所という事だけは、わかっている』
『いつ頃帰ってこれそうなんですか?』
『それもわからん』
 まるで要領の得ない回答。
 こんな嫌な予感を感じながら彼の旅立ちを見送った事なんてなかった。
 目の前に立つ彼の瞳を見上げながら、ハクエは彼のコートに縋り付く。
『私も、連れて行ってください』
『それは無理だ。お前みたいなガキを連れて行くには、危険すぎる』
『どうして……私、もう十分戦えます!』
『ダメだ』
 やんわりとハクエを離した彼は、いつの間にか用意していたらしい荷物を掴むと、ハクエを押しのけて玄関へ足を向ける。
 それでもハクエは彼の背中にしがみついて引き止めようとした。
『いかないでください! 嫌な予感がするんです……』
『……ハクエ』
 溜め息を吐いた彼に、びくりとハクエの肩が揺れた。
 自分があまりにもしつこく任務へ行くことを阻むものだから、怒らせてしまっただろうか。けれど、どうしてもこの正体の分からない嫌な予感が彼を引き止めろと騒ぐのだ。
 しがみつく腕に力をこめ、背中に顔を埋めるハクエ。
 やれやれ、と頭上から呆れたような声がして、彼はぐるりと身体を回してハクエに向き直る。
 伸びた前髪が彼の手によって掻き上げられたかと思うと、露わになった額に柔らかい感触を感じた。
 驚きに瞳を大きく開いたまま固まるハクエの視界には、してやったように弧を描く赤い目があった。
『ハクエ。俺はお前を連れて行く事はできない。なぜならあまりにも危険な旅になるからだ。……ただし、本当に俺を引き止めたかったら、追いかけて、追いついてみせろ。そうしたら、ちったぁ考えてやる』
 ぽん、と頭に手が乗せられた。
『スヴェン……』
『じゃあなハクエ、元気でな。戸締まりはちゃんとするんだぞ』
 一度だけ優しく頭を撫でたその手はするりとハクエから離れ、いよいよ玄関の扉をくぐるとその向こうへと姿を消してしまう。
 それを呆然と見送ってしまったハクエだったが、我に返ると慌てて玄関の外へ飛び出す。けれど、既に彼の気配はどこにも無く、辺りは柔らかな陽日に照らされていた。
 姿も見えないほど離れているのに何の準備もなく追いかけて、容易に追いつける相手ではないという事は、ハクエはよくわかっている。
『……必ず、必ず追いついてみます。どんなに危険な所にいたって、どんな遠い所にいたって、必ず』
 あれから三年の時が流れた。
 依然彼の行方どころか、手掛かりは何一つ掴めていない。



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